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この書名は一般の読者には目を引く過激な表現である。キリスト教徒が信じるイエス・キリストが本当はいなかったのか、と思わせるからである。しかし、これは地上を生きた「人」としての「ナザレ人イエス」と対比された、「メシア(=キリスト、救い主)であるイエス」は初めからそう思われていたのか?という問いかけである。



原題は “Zealot: The Life and Times of Jesus of Nazareth” で、大胆な展開であるが神学・宗教学を修めた研究者による真面目な著作である。著者本人は、20年にわたる新約聖書とキリスト教運動の起源に関する研究の集大成と位置付けている。日本の一般の読者は、史的イエスを含む批判神学や聖書学にかなり通じていないと何のことを言っているのか分からず、一部内容についていけないのではないか。かなり専門的な内容である。

他方、末日聖徒を含め聖書を逐語的に解釈する篤信のクリスチャンは、この本を読んで目を丸くするばかりではないかと思われる。これまでの理解が多分に覆されると思われるからである。逆に批判神学や聖書の高等批評に心得のある読者は、なるほど、そこまで言うかと新鮮な驚きを感じるのではないか。

以下、著者が提示する要点と注目した項目を若干記してみたい。

アスランはナザレがどれほど辺鄙な村で、ガリラヤ地方が革命運動の温床であったことに触れ、イエスは熱烈なユダヤ人ナショナリスト・暴力行為も辞さなかった男、zealot であったが、後に今日われわれが描いているような、平和的で慈善行為を行う説教師という姿に変えられていったと言う。結局、端折って言えば、イエスの伝承の担い手が変遷し、イエス像も変貌していったということである。担い手が初め無学な漁師たちであったのが、後にギリシャ語を話す、離散ユダヤ人に変わって、ギリシャ・ローマ文化圏に住む人々に受け入れられやすい、普遍的な呼びかけに変化していった。

イエスの生前の行動や言葉には、イエスがメシアであることを示すものがなかった。それでマルコは、イエスが自分はメシアであることを秘密にしたという形にした。これは「メシアの秘密」あるいは「メシア隠し」と呼ばれる。20年後に書かれたマタイによる福音書では、ペテロに「このこと(イエスは生ける神の子キリスト)をあらわした」のは天にいます父であると認める表現になっている。

ほかにもマタイ、ルカには虚像の埋め込み、補正、辻褄合わせ、など様々な調整の工夫と創作が挿入されていると指摘する。イエスの死後、メシアとしてのイエスの生前の生涯、特に幼少時代の空白を埋める必要に迫られて、約束のメシアがベツレヘムに生まれるという言い伝えに合わせるため、人口調査をもってきてヨセフとマリアをナザレからそちらに向かわせ、次いで幼子イエスを連れてエジプトへ逃れ戻ったという挿話を置いている。

アスランは聖書を読む時、書かれた当時の文脈で受けとめられる意味と、こんにち読む時の文脈でくみ取る意味は異なると警告する。例えば、「隣人を愛する」と言う場合、当時はあくまでイスラエル(ユダヤ人)を対象に絞って布教していたのでその範囲の意味でしかなく、こんにちのような普遍的な意味はおよそ含まれていなかった。

著者の文章は分かりやすく、展開がテキパキしていて、スラスラ読める。彼の現専門は創作学で、かなり劇的な筆運びが感じられる。そのため単純化、省略の気配や大まかな記述があると指摘されている。(ただ、注や参考文献は充分添えられている。)私は「人の子」の丁寧な扱い、パウロとエルサレムの指導的な地位にあった兄弟たちとの抜き差しならぬ関係、パウロの側が生き延びた次第など、啓発されるところが多かった。手元に置いて参照する価値が十分あると評価したい。

レザー・アスラン著、白須英子訳「イエス・キリストは実在したのか?」文芸春秋 2014年 (著者 اصلان, رضا はペルシャ人で宗教学の学者、カリフォルニア大学リバーサイド校創作学教授。)



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コメント
 
 
 
視点を変えると? ()
2014-10-22 10:00:05
 確かに私たちは、「イエス=キリスト」「イエス=神の子」と言う大前提に立って聖書を読んでいる。
 しかし、その前提無に聖書を読んでみると、別のイエスの姿が見えてくる。

 まず、イエスが何故ユダヤから出た神なのか?と言う疑問がわく。
 イエスは生れこそエルサレムの少し南の地にあるベツレヘムと言う事になっているが、聖書に書かれているイエスの活動拠点は、ほとんどガリラや地方である。
 このガリラや地方を私の身近にいるモルモンの人は、ユダヤの一部と勘違いしているが、実はガリラヤは、エルサレム文化圏よりもヘレニズム文化圏に近い。

 又イエスの行った事を見てみると、「癒し(治癒)」の奇跡が多い。
 ルカの福音書4章26節に興味深い聖句が有る、エリヤがシドンのやもめに遣わされた、と言う事が取り上げられている。これは、列王記17章8節からに書かれてある話から来ている。
 このシドンは、フェニキヤに有るが、ナザレと近い、このシドンからは、ヘレニズム世界の治癒神エシュムンの神殿が発掘されている。

 そんなことを思いながら、新約聖書を読んでみると、「ユダヤ人の救世主イエス・キリスト」と言うイメージより、ヘレニズム文化の中に育った、癒しの神「イエス」が見えてくる。
 この事は、ユダヤ人には救世主として受け入れられなかったイエス、そして、弟子たちがギリシャローマに伝道し、そこだ花開いたキリスト教の歴史と一致してくる。

 こういう事を調べるするほうが、教会の日曜学校よりも100倍面白い(笑)
 
 
 
調べてみたい (NJ)
2014-10-22 16:06:08
うーん、この視点(ガリラヤがヘレニズム文化圏に近いという点)、調べてみたいですね。

・・・私は最近、当時のユダヤ人(ガリラヤの人々を含む)が話していたとされるアラム語が気になってきました。本気で学ぶというほどではなく、どんな言語なのか、素性や歴史などを知らなさすぎると感じています。

(外堀の近くをうろつき始めました。)
 
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