末日聖徒はエロヒムが天父なる神であり、ヤハウェ(エホバ)は御子イエス・キリストを指すと受けとめている。しかし、その理解は初めから首尾一貫してそうであったわけではなく、20世紀の初め1916年に「天父と御子に関する大管長と十二使徒による教義的解説」を公的に発表して以来、それに従って説かれるようになったのである。ボイド・カークランドはそれまでの経緯を5つの段階に分けている。
その五段階は次のとおりである。
1 ジョセフ・スミスは当初天父と御子を区分しないで、一方(ひとかた)の神が三方の姿で現れていたと三位一体の認識でいた。モルモン書も1835年前の教義と聖約の啓示、最初の示現(1832年)にそれが見られる。
2 1835年の「信仰講話」と1838年の最初の示現は天父と御子が別々の方であると強調するようになっている。天父は栄光と力に満ちた霊の存在で、御子は骨肉を有する方で御父の心と同じである。名前については、エロヒムもエホバも共に旧約の神で天父なる神である。
3 1838~1844年の間にジョセフ・スミスは神について、無限に連続する概念を展開した。アブラハム書で神々による創造(4:1)、キング・フォレットの説教ではこれらの神々が「頭(かしら)なる神」(天父の上位にある)のもとにあることとした。「エロヒム」という呼称は天父に、頭なる神に、そして複数の神々を称するのに用いられた。エホバはまだ御父を指すものとされ、イエスを指すものではなかった。
4 1854年の総大会や他の機会にブリガム・ヤングは、地が創造された後その業に携わったミカエルが地に降って、アダムとなった、そしてアダムは死後天界にもどってエロヒム、エホバの名でイスラエルを導いた、とアダム神の説を唱道した。
5 ブリガム・ヤングの死後世紀をまたぐまで、教会内で上記のような様々な立場の神概念が交錯し、争論や混乱が生じた。そこで一定の調和を実現し、外部からの批判を封じるため、教会の指導者たちは20世紀に入って慎重に教会の神学を構築し直した。その結果1916年に公的な発表を行なうに至った。声明は1915年に出版されたJ.E.タルメージの「基督・イエス」で、エホバはイエスであると確認されたことなどを踏まえて、整理され、タルメージが草稿を書き大管長会と十二使徒評議会に提出された。
以上のような経緯を経て今日に至る。一つの宗教として整えられた教義のもとに信仰生活を送るのは、自然な一つの姿であるが、矛盾がなくなっているわけではない。旧約聖書が異なる神格者の名前を使用する資料(複数)からなっているからである。神学に、また状況に通じた教会員はそういった背景を承知した上で、相違にとらわれない大きな観点で臨むことを求められる。 [旧約に見られる神の名前。6行目にエロヒム、下から2行目にヤハウェ。]
典拠
・Boyd Kirkland, "Jehovah as the Father: The Development of the Mormon Jehovah Doctrine" Sunstone, Vol. 9, No. 2 (Autumn, 1984)
・Boyd Kirkland, "Elohim and Jehovah in Mormonism and the Bible" Dialogue, A Journal of Mormon Thought, Vol. 19, No. 1, Spring 1986
参考文献
・Melodie Moench, "The Christianizing of the Old Testament," Sunstone 5 (Nov.-Dec. 1980)
・山我哲雄「一神教の起源 - - 旧約聖書の『神』はどこから来たのか」筑摩書房、2013年
>つまり我々は父なる神の名の下に一致しているのでしょうね。
「どや?もうかってまっか?」
「いやー、ぼちぼちでんな~」
「どこ行きまんねん?」
「ちょっとそこまで」
「いつもお世話になっております。」
「いや~賢そうなお子さんですな~」
「いつ見てもお奇麗で」
「ほんま、昔っちっとも変りまへんな~」
「アーメン」
歴史の中で聖徒やクリスチャンはどのように「神」を信じ、より良い人生を得てきたのか。
それを学びたいですね。
その為には現在当時の人の信仰心を受け入れて読むことが早道かもと愚考しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%AA%9E
モルモン教の使徒 (en:Apostle (LDS Church)) であるオルソン・プラットは、ミズーリ州デイビース郡の入植地「アダム・オンディ・アーマン」(en:Adam-ondi-Ahman) の一部の
"Ahman" はアダムの言語での神の名であったと言明した。
en:Joseph Smith Papers からの1832年の手書きの「純粋言語の一例」(A Sample of the Pure Language) と題されたページは、伝えられる所によればスミスによって
"Br. Johnson" に口述筆記させたものだが、神の名はAwmen と述べている
ーーーー
たしかこの「アーマン」は祈りの最後に唱える「アーメン」と深い繋がりがあるとか読んだことがあります。
アーメンには「同意」の意味もあるとか。
つまり我々は父なる神の名の下に一致しているのでしょうね。
間違いない!
恐縮です。
FB。。しばしばログインできなくなる。。
火山灰って、厄介なんですよね。
黒い学生服は灰色に、白いワイシャツも灰色に。
サッシを締めても、室内はいつもじゃりじゃり。
硫酸を含んでいるので作物や車もダメになりやすい。
「日本基督教団」は大本教と創価学会によって設立された、キリスト教を破壊する工作員養成所!!
https://rapt-plusalpha.com/5064/
創価学会と日本基督教団のパイプ役「佐藤優」が末期の腎不全と前立腺がんを発表
https://rapt-plusalpha.com/26649/
”
https://rapt-plusalpha.com/
エニグマさん わかりやすいたとえありがとうございます。
神様は社長だった!!
でも、一つ疑問が、社長ってお金くれるんですが、私は神様にお金払ってるんですけど??
お客様は神様です!って言うのも、金を払って見に来てくれる人は神様なんですよね。
やっぱ、神様ってなんか良いものをくれる存在ですよね。 取るばっかりじゃあね・・・。
信仰が足りんのー
自分の所属している会社に関して言えば社長は一人だけ、でも世の中にはたくさんの会社があってたくさんの社長がいる。そういうことなんですよ。だからヘブライ語の聖書には「エロヒム」という言葉がたくさん書かれているし、文脈で何を指すか意味が変わってくる。ヘブライ人の神のことであったり、他の民族の神々であったり。
で、ここからは想像ですけど、世の中にキリスト教が広まっていった何世紀か後、いったい神の名前は何だろうかと考えた人たちが現れた。それ自体は不思議なことでもないのですが、そこで彼らは中途半端な知識でヘブライ語聖書の「エロヒム」って言葉を知って、ああ、これが神の名前だって思っちゃったんでしょうね。さらにそれを宗教的権威と結び付けて、これが聖書の真実だと信じ込む人たちも出てきてしまった。そうなると厄介ですね。
学術的な調査によって言語上の誤解は解けるはずなんですけれども、世の中には、学問よりも宗教のほうが正しいって考える人たちがいて、彼らは間違いを認めることができない。それは彼らにとっては信仰を捨てることになっちゃうのだから、どんな屁理屈を使っても、意地でも自分たちが信じ込んできたことは正しいのだって言い張るしかない、そういうわけで一部の人たちは、神の名前を「エロヒム」だって思い込んでいるわけですね、きっと。
1/22日付け「火山噴火のトンガに・・」の文(翻訳)、FBの「わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員です」というグループに転載させていただきました。
「神」で、単数形とか複数形とか分けないで使える。
例えば、「八百万の神」で通じます。
正しくは「八百万の神々」なんでしょうが。
でも考えてみれば、「神」について人間が認識できることは少ない。
神は、人間の英知を超えた存在だから。
複数なのか単数なのか?なんて人間に分かるはずがない。
神に名前を付けるって言うのは、唯一神信仰に反する考えです。
唯一の存在なら、固有名詞は必要ないですからね。
名前を付けると言うのは、その対象物を区別するためですから、「エロヒム」って固有名詞を付けた時点で、神が複数であると言う認識に基づいていることが分かります。
今も昔も、神は複数だと思います。
その民族の数だけ、否、人間の数だけ神は居るのだと思います。
それぞれがそれぞれの神を信仰し、全く同じ神を信仰している人は他に居ないって思いますね。
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エロヒム(ヘブライ語: אֱלֹהִים)は、ヘブライ語聖書に登場し、神を表す普通名詞。文脈により何を指しているかは変わり、唯一のエロヒームは יהוה(アッラー)である。
エロヒムという語は、トーラーに頻繁に出現する。それはヘブライ語文法で単数名詞として使われ、イスラエル唯一の神を意味するとされる場合もあれば(例、出エジプト記3:4)、エロヒムは茂みの中から彼に呼びかけました ... ")、エロハ Eloah の複数形として使われ、多神教的な概念を示すこともある(例、出エジプト記20:3、「あなたは私の前に他の神を持たない」)。
ヘブライ語聖書には、エロヒムという語が2500回以上も出現し、一般的には最高神としての「神」を表すと考えられるが、それ以外にも、特定の神(例、列王記1、11:33では、ケモシュの 「モアブの神」)、悪魔、セラフィム、その他の超自然的存在、死者の霊、そして王や預言者に対してさえも使われた(例えば、出エジプト記4:16)。
七十人訳聖書には、ヘブライ語のエロヒムを複数動詞と共に使ったり、または文脈上、エロヒムを指して「天使たち angeloi」、「神の裁判官たち kriterion tou Theou」など、複数であることを示唆する記述もある。これはラテン語の聖書であるウルガータ、英ジェームズ王の欽定約聖書 (KJV)でも、複数形「天使 angeles」と「裁判官 judges」として記される。米聖書研究家ジェームス・ストロングは、「天使」と「裁判官」を、エロヒムが複数で扱われる例として挙げた。ゲゼニウスが編纂したヘブライ語辞書とブラウン・ドライバー・ブリッグス辞書では、エロヒムが神の他に意味する可能性があるものとして、天使と裁判官を挙げる。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%92%E3%83%A0
ようするにモルモン教会が、エロヒム=天の父なる神、という概念のみを教えているので、末日聖徒は誰一人として本来のヘブル語の用法を知らないと言う事なのでしょうね。
なぜ末日聖徒が、エロヒム=天の父なる神と考えているのかと言うと、聖典に書いてあるからではなくエンダウメントが理由ですね。エンダウメントの初っ端って、こんな感じでしたっけ?
エロヒム「エホバ、ミカエル。見なさい、あそこにまだ組織されていない物質があります。
降りて行き、これまでに私たちがしたのと同じような世界を組織しなさい。
この働きを第一の日とし、戻って報告しなさい」
エホバ「そのようにしたします、エロヒム。さぁミカエル、一緒に降りて行こう」
ミカエル「降りて行きましょう、エホバ」
christiantodayさんで宗教年鑑記事をみていたら、興味深い記事を見つけました。紹介します。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/28221/20200706/when-jesus-said-you-are-gods-what-did-he-mean.htm
「あなたたちは神々である」とイエスが言ったのは、どういう意味か?
イエスが「あなたたちは神々である」(ヨハネ10:34)と言ったのは、誰に対してであり、何を意味していたのでしょうか。
多くのニューエイジ思想家たちやヨガの擁護者たちは文脈からこの文を抜き取り、すべての人間が神であるとイエスが教えたのだから、私たち人間も神なのだと主張します。
また、ある誠実なクリスチャンたちは、このイエスの宣言を歴史的ルートに従うことを誤り、新しく生まれ変わったクリスチャンに与えられる称号であると主張します。
しかし、この文を文脈の中で詳細に調べていくと、それはまったく違うものを伝えているのです。
より深く掘り下げ、真理に近付きましょう。
・・・
この詩編で「神々」と訳されているヘブライ語は「エロヒム」です。旧約聖書で、2千回以上「エロヒム」は「神」と訳されており、この詩編の箇所を含んだ200回以上が、複数形の「神々」と訳されています。しかし、ここで言われる「神々」とは誰のことでしょうか。
それは、天にいる何かの神々のグループでしょうか。決してそうではありません! これは、特定の人々であるイスラエルの士師たちのことだったのです。
ーーー
うーん。なかなか深いですね。
より深く
真理掘り下げ
永遠に
末日聖徒の割合が世界で最も高い島国。
末日聖徒イエス・キリスト教会は、先週の火山噴火による津波、落石、通信途絶を受け、トンガ王国に援助を送ることになりました。
ユタ州に本拠を置く同教会からのニュースリリースでは、過去24時間にトンガの指導者と連絡を取り、この地域のニーズの程度を理解するために努力していると述べている。トンガは世界で最も末日聖徒の割合が高い国(約63%)で、他の末日聖徒教会から寄付された30トンの物資を積んだフェリーが土曜日に同国のハアパイ諸島に向けて出発した。
教会を統治する大管長会は金曜日にトンガの末日聖徒に手紙を送り、島の復興まで教会が共にあることを念を押した。また、土曜日にはトンガの国王と女王に別の手紙が届けられる予定でした。
ラッセル・M・ネルソン,ダリン・H・オークス,ヘンリー・B・アイリング各大管長は,「壊滅的な火山噴火とその後の津波から回復し,その他あらゆることを耐え忍び,現在も耐えている皆さんに対して,皆さんの仲間の聖徒や世界中の信仰と善意の人々が皆さんのために祈っていることを知ってください」と書きました。
「私たちは,主が皆さん一人ひとりに祝福を注いでくださること,皆さんの心が落ち着き,強められること,皆さんの家族や家庭が回復し,リフレッシュされること,皆さんの地域が再び平和で美しくなることを祈っています」。
ーーー
海底ケーブルが噴火で。。。これだけ情報が遮断されてしまうんですね。
各国人工衛星経由での情報網も確保しておくべきでしょうか。
火山国日本も情報孤立なんてことも、ありえないことではないですね。
あら?末日聖徒公式ページの統計では13万人突破。。と思っていたら令和3年宗教年鑑では逆に5千人近くもマイナイス。。。
いよいよピークアウトが顕著化でしょうか。
それともコロナ禍での統計の調整でしょうか。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/30484/20220121/2021-religious-year-book.htm
キリスト教系の信者数を教団別で見ると、最も多いカトリック教会は前年比0・6%減の43万5083人、2番目に多い日本基督教団は同1・8%減の10万9593人、
カトリック教会 43万5083人(43万7607人)
日本基督教団 10万9593人(11万1588人)
末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教、
12万3502人〔12万8132人〕)は除く。
ーーーー
>圧倒的にお休み会員のほうが伸びている
「10:67 見よ、これはわたしの教義である。すなわち、だれでも悔い改めてわたしのもとに来る者は、わたしの教会である。
」
一個人でも教会ということだわにゃ・・家庭集会でもひとりでやったてもいいがな?!
私は日本に引き揚げた後、教会に時々連れていかれましたが、信仰を持ったというわけではなく、高校1年生の時、この教会に改宗しました。
ユーラシア諸宗教
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%82%A2%E8%AB%B8%E5%AE%97%E6%95%99&ei=UTF-8
明治前半(明治20年代、23年(1890~))には、キリスト教演説会では日常茶飯であったとも・・大正生まれですか??(1911~)
常に損得が基準のオムナイさんは、モルモンの基準に合致してると言えますね。
どうして指導者に成らなかったのでしょうか??
残念!!(古いギャグ)
オムナイさんが「健全な見方」とやらによって揶揄している、衰退している宗教と、伸びている宗教が具体的に何を指すのか分かりませんが、人数の話でいうなら、モルモン教会の内部では圧倒的にお休み会員のほうが伸びていると言う現実があるのですよね
「伝統的には、最後に「国と力と栄えとは限りなくなんじのものなればなり」という語句があるのですが、後代の付加なので除きました。祈りとしてもあまり意味を持つとは思えませんし。
それから重要なことですが、最後の「アーメン」はやめましょう。そんなの言う必要ないの。ここに引用した主の祈りにも書いてないでしょ? 当教会ではすべての祈りからアーメンを抜かしています。
」
https://www.babelbible.net/mariko/opi.cgi?doc=prayhelp&course=church
>聖書通読や祈りを励行している
>私の考えでは、イエスは今から2000年ほど前に存在した宗教者で、後にその教えを信じ広めた人たちが、イエスをキリストだと言い、イエスはいつの間にか信仰者の間で「イエス=キリスト」になった。
古くて新しい問題ですかね。
ヨーロッパやアメリカ、日本みたいに社会が熟成されてくると宗教の役割は少なくなってくるのかも。
健康な人に医者はいらない。そういうことですかね。
https://christianpress.jp/liberal-churches-are-dying-but-conservators-grow/
スポングは自由主義神学者として、「聖書の逐語的解釈をやめ、離婚や中絶、同性愛を容認するなどの社会の変化に適応していけば教会は成長する」と教えていた。
しかし、この本が出版されてから20年後、自由主義的精神が衰退傾向への解決策になっていないだけではなく、分裂や衰退をももたらしていることを如実に表す結果となった。
・・・
今回のピュー研究所による調査のディレクター、デービッド・ハスケルは次のように説明する。
「成長している教会は、伝統的なキリスト教信仰を保持し、聖書通読や祈りを励行していることを指し示していることが、この調査結果から分かる。こ
うした首尾一貫した信仰姿勢が、結果的にクリスチャンでない人々を引きつけている。
また、普遍的真理として位置づけられる中心的教理は、訪れる人々に信頼感を与えている。
前向きで活力のある有益なメッセージと結びつくこの信頼感も、実に魅力的なものとなっている」
教会成長と福音派牧師の実践には相関関係があり、日常的に聖書を読み、福音はきわめて重要なものと考える教会は力強い成長を維持していることが、この調査結果を通して分かるという。
ーーーー
衰退している宗教を手本にするより、伸びている宗教を手本にする方が得策だと思います。
>つまり、正直に事実を事実として認めたうえで、どんな信仰が残るのか?って言うとこで勝負をするしかないんですよね。
>
>それで自分の信仰が消えるなら、その程度の信仰だったって事です。
覚悟きめてますね、いいですね~。そういう姿勢。
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自由主義神学
「自由主義」の語は社会学・政治学用語からの仮借であり、神学分野では「歴史的・組織的な教理体系から自由に、個人の理知的判断に従って再解釈する」の意である。教義・教理の批判的研究である教義史を確立させた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E7%A5%9E%E5%AD%A6
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私も誤解しているのかもしれませんが自由主義神学と言うのは、「昔から教会でそう言われてきたからそのまま信じる」のではなく、そこから離れて、各人が自由に理知的判断で再解釈するということみたいですよ。と言っても、思い付きで勝手気ままに根拠のない解釈するのではなく、きちんとした理論と合理性で、神とは何かを追求することだと、私は理解しています。
どうもね、モルモン教会って、幹部が思い付きで口にしたことを真実だ、真実だ、とそのまま鵜呑みにして、それに対する批判があればとんでもない屁理屈まで持ち出して護教するのを信仰だと思ってる人が多くて私はしばしば嫌になるのですよ。
間違っていたら間違っていた、矛盾があったら矛盾していた、そう認めないとモルモン教会はこれからの時代には生き残れないんじゃないかと思います。とは言え、そんなのは嫌だ、幹部の説教をそのまま信じて平安を得たいのだという方もいらっしゃるでしょうから、それは仕方ないですけれど。
私はもう何年も自由主義神学みたいな姿勢でモルモン教会に接してきましたけれど、そっちのほうが面白いやって感じたんですね。正直なところ幹部の話はホントにつまらんです。いちおう聞いてはいますが・・・。
こんな変換ミスするなんて・・・信じられない!!
自由主義神学が何者かは知りませんが
ですよね
自由主義神学が何者か走りませんが、モルモン生活も半世紀、もうここまで来たら、開き直るしかないでしょ?
つまり、正直に事実を事実として認めたうえで、どんな信仰が残るのか?って言うとこで勝負をするしかないんですよね。
それで自分の信仰が消えるなら、その程度の信仰だったって事です。
事実でも無い事を、自分に事実だと思いこませないと継続できない様な信仰なら、そんな信仰は何の価値もないって思います。
「水は高いところから低いところに流れる」と言う様な事実の積み重ねの世界観の中に存在し得る信仰ってものも有ると思います。
たとえイエスがただの人間であっても、その中に真理と思える言葉が有れば、私はその世界感の中で信仰を持つことが出来ると思います。
はじめに言葉が有ったんですから。
>また、1000年も経てば話も教義も変ってしまう。
いやぁモルモンの場合、10年くらいで教義が変わってませんか?
>つまり、すべて人間の信仰と想像力が作りがした話で有り、教義ですから、イエスがエホバなのかエロヒムなのかって論議はまったく意味がない。
まぁね、自由主義神学も行きつくところまで行ってしまうと「そもそもイエスはラビの一人としてユダヤ教の解釈論を示したに過ぎない、自分が救い主などとは言ってない」ってなるんでしょうね。つまりキリスト教自体の否定になっちゃいます。もっとも、そこに行きつくまで追求したらそれはそれで立派なものだと思いますが。
それで、一つ私にモルモン教義の問題提起をさせていただくなら、この教会が真理と言ってる事柄は文字通りの意味での「永遠に変わらぬ真理」ではないってことです。教義も変化しているし、神概念も変化してる、最初の示現の内容も変化してる。それを一生懸命に真実だ、変化していないのだ、と言い訳しているのがモルモン教会。
でもね、それでいいじゃないの。もう認めましょうよ、その程度の教義なんだってこと。あんまり必死になって戒めだ、救いだ、活動だってやってるとしんどいだけで馬鹿を見ますよ、って思うのです。
私の考えでは、イエスは今から2000年ほど前に存在した宗教者で、後にその教えを信じ広めた人たちが、イエスをキリストだと言い、イエスはいつの間にか信仰者の間で「イエス=キリスト」になった。
それが世に広まり、「イエス=キリスト」と言う教義が定着し、一般的に唱えられるようになった。
さらに、イエスを神の子として崇め、神と同等の存在にまでしてしまった。
イエスが神なら、旧約の時代から存在すべきだとして、「イエスが旧約の神エホバで有る」との解釈が生まれ、やがて教義として広まった。
つまり、すべて人間の信仰と想像力が作りがした話で有り、教義ですから、イエスがエホバなのかエロヒムなのかって論議はまったく意味がない。
また、1000年も経てば話も教義も変ってしまう。
目糞と鼻くその相違を論じる方がまだ価値が有ると思う。
>
>ワロタ!
>さすが護教サイト、良くまぁこう言う詭弁に満ちた言い回しを思い付くよなぁ、呆れつつ、感心しますわ
この FairMormon とか FairLatterDaySaints というサイトのこういう言い回しが私はすごく嫌いですね。
人を小馬鹿にしてごまかしているような悪意を感じます。これで本当に教会を守っている気になっているんでしょうかねぇ・・・
ワロタ!
さすが護教サイト、良くまぁこう言う詭弁に満ちた言い回しを思い付くよなぁ、呆れつつ、感心しますわ
>聖書の著者が現代の慣行に従ったかのように読もうとするのは時代錯誤であり、混乱と誤読を招く恐れがある。
これはその通りだけど、そう言う混乱と誤読が広まっている原因はモルモン教会にあるのだけどねぇ・・・
イザヤ書のある箇所では「エホバ」が父なる神のように表現してあるが?という質問を見かけて、調べた事があります。
エロヒム=父なる神、エホバ=キリストというのは最初の示現以来の真理と思い込んでいた私ですが。。。
モルモン書にも三位一体的な記述がありますからね。
実は三位一体思想の方が真理と短絡するのではなく鷹揚に構えて聖典を読む事が吉ですかね。
https://www.fairlatterdaysaints.org/answers/Mormonism_and_the_nature_of_God/Elohim_and_Jehovah
・・・
エロヒムは古代の全能の神であり,わたしたちすべての父であり,エホバはその子であるイエス・キリストであるという確信は,
現代の聖句(D&C 110:1-4)に基づいており,聖書の釈義に基づいているわけではありません。
現代の預言者や使徒の教えはこの用法を強化する傾向があります。
例えば,ジョセフ・F・スミス大管長は,"エロヒムの霊の子供たちの中で,長子はエホバまたはイエス・キリストであり,他のすべての者はそれに続く者である "と教えています。[2]
末日聖徒イエス・キリスト教会では、天の父なる神とその独り子であるイエス・キリストを表すために、エロヒムとエホバという名称を使っていますが、
これは聖書を含め、これらの名称が常に古代に使われていたと主張するためのものではありません。
むしろ、これらの呼称は、明瞭さと正確さのために現代の教会で使われている命名規則なのです。
キリストは多くの意味で「父」として語られることがあるので、現代の聖徒たちは、神のペルソナのどの「役割」が議論されるかにかかわらず、
曖昧さを避けるためにこれらの呼称を使用しています。
この用語は20世紀以前には利便性と明瞭性のために標準化されていなかったので、読者は教会の初期の著作が、わずか数十年後に生じたこの慣習を常に反映していると期待しないように注意されたいのです。
同様に、聖書の著者が現代の慣行に従ったかのように読もうとするのは時代錯誤であり、混乱と誤読を招く恐れがある。
ーーーーーー
最後の段落「以上の・・求められる」は、私の結びです。気持ちとしては、当惑していると言った感じで、仕方がない、間隔を置いて眺める、といったところです。
命令的な印象を与えるとか、批判,干渉するな、という気持ちはなく、自分に対する対処法を書いたような次第です。
これはどなたのアドバイスでしょうか?カークランドさん?NJさん?
命令しているように感じますが、具体的にどうして欲しいのか意味不明ですが・・・。
忖度して考えると、ようするにこういうことでしょうか?
根本的な教義が変更されているように見えても教会に反発を感じるな、こういうのは宗教ではよくあることだから気にするな、モルモンが真実の教会ではないなどと怒ってはいけない、それより教会の良いところに目を向けろ、またこうした知識は純朴にモルモンを信じている会員の前では絶対に口にしてはいけない・・・と。
もしそういう事であれば、これはジョセフ・スミスが多妻結婚をしていたことを秘密にしていた理由と同じ感覚が働いているのだと思いますねぇ。そういう事をやってるからモルモンから人が離れていくのだと思います。
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https://en.wikipedia.org/wiki/Boyd_Kirkland
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ボイド・ダグラス・カークランド(Boyd Douglas Kirkland、1950年11月4日 - 2011年1月27日)は、アメリカのテレビアニメーションディレクター。X-Men: Evolution』や『バットマン: アニメーション・シリーズ』などの作品で知られる。
カークランドはモルモン教の思想における神の性質について記事を発表している。末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師であったとき、カークランドは19世紀に表向き教えられ、1970年代に否定されたアダムと神の教義について混乱し、現在の教会の公式指導者に疑問を持つようになった。 教会指導者からの短い回答要請の後、カークランドはこの論争について独自の調査を続け、サンストーン誌, ダイアログ誌に記事を掲載する結果となった。
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経歴が面白すぎます・・・