[綴れ織りの例。左の作品には下に希望、愛、信仰と書かれている。]
最近、聖書とLDS教会の歴史について「綴れ織り」(タペストリー、tapestry) という言葉で形容している文章を見かけたので記したい。
キリスト教文化を見つめてきた作家、池澤夏樹が聖書について次のように述べている。聖書はとてもダイナミックな、生き生きとした、雄弁で多声的な書物であることがよくわかった。人類が成した大業のうちでも最も大きなもので、長い歴史とたくさんの人々の叡智が織り上げた大きなタペストリーであって、そこには目もくらむほど多くの文様と色彩がある。しかし、非常に大きなため統一の取れない部分が多々ある天井画と言える。(「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」2009年、p. 272。タペストリー tapestry とは「綴れ織り」と訳され、絵画や模様を織り込んだ壁掛け。中国語訳「掛毯」gua4tan3がよく意味を表していて分かりやすい。tapestry … < Gr. tapes, carpet 沼野註。)
また、LDS教会の幹部、七十人のスティーブン・R・スノー長老は、教会歴史家に召されてすぐ2013年、BYU宗教学センターからインタビューを受けた時、次のように語った。
「私にとって教会史やそこに登場する人々の生涯を学ぶことは、大変信仰を強めてくれるものである。教会歴史を一種の掛布団(キルト)か「綴れ織り」(タペストリー、tapestry)と考えれば、今まで私が見てきたものの中で最も豊かで、美しいものである。ただ、もし人が仔細に点検してみればその美しい綴れ織りの中に普通でない縫い糸を見つけ出すかもしれない。それを引っ張り出そうとしたり、そういった縫い糸が気になったりすると、私たちの歴史の素晴らしいメッセージを見失うことになる。一歩下がって壁掛け全体を見るとそれは見事である。」ここに教会をどうとらえればよいか、もう一つの比喩が示されている。
なお、同じインタビューの中でこうも述べている。
「従来教会は多くの記録を非公開にする傾向があったと思う。あるいは情報にアクセスできないようにしてきた。しかし、世界はここ数十年で変化した。インターネットで諸情報にアクセスできるようになって、私たちは昔の方式で続けていくことができなくなった。もっと公開(オープン)の方向に進み続ける必要がある。」
参考
LDS教会についてメリッサ・井上がこれまで幾つかの譬えで表現している。「焼きあがったパン」、「バンヤンの木」、「金属性の鍋」など。また、教会は会員が作りだしてもいる、という。順にこのブログの 2013.10.30, 2014.8.8, 2014.11.19, 2015.11.13付けの記事。
後半 source: https://rsc.byu.edu/archived/volume-14-number-3-2013/start-faith-conversation-elder-steven-e-snow
English text of Elder Snow's interview:
"to me, learning about their lives and their history has been very faith promoting. If you think of Church history as a quilt or a tapestry, it is the most rich, beautiful thing I have ever observed. If you examine it carefully, you are going to find some peculiar threads in that beautiful quilt or tapestry, and if you pull at them and obsess on those threads, you will miss the wonderful message of our history. If you will step back and look at the whole quilt or tapestry, it’s beautiful."
"I think in the past there was a tendency [by the Mormon Church] to keep a lot of the records closed or at least not give access to information. But the world has changed in the last generation--with the access to information on the Internet, we can’t continue that pattern; I think we need to continue to be more open.”
最近、聖書とLDS教会の歴史について「綴れ織り」(タペストリー、tapestry) という言葉で形容している文章を見かけたので記したい。
キリスト教文化を見つめてきた作家、池澤夏樹が聖書について次のように述べている。聖書はとてもダイナミックな、生き生きとした、雄弁で多声的な書物であることがよくわかった。人類が成した大業のうちでも最も大きなもので、長い歴史とたくさんの人々の叡智が織り上げた大きなタペストリーであって、そこには目もくらむほど多くの文様と色彩がある。しかし、非常に大きなため統一の取れない部分が多々ある天井画と言える。(「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」2009年、p. 272。タペストリー tapestry とは「綴れ織り」と訳され、絵画や模様を織り込んだ壁掛け。中国語訳「掛毯」gua4tan3がよく意味を表していて分かりやすい。tapestry … < Gr. tapes, carpet 沼野註。)
また、LDS教会の幹部、七十人のスティーブン・R・スノー長老は、教会歴史家に召されてすぐ2013年、BYU宗教学センターからインタビューを受けた時、次のように語った。
「私にとって教会史やそこに登場する人々の生涯を学ぶことは、大変信仰を強めてくれるものである。教会歴史を一種の掛布団(キルト)か「綴れ織り」(タペストリー、tapestry)と考えれば、今まで私が見てきたものの中で最も豊かで、美しいものである。ただ、もし人が仔細に点検してみればその美しい綴れ織りの中に普通でない縫い糸を見つけ出すかもしれない。それを引っ張り出そうとしたり、そういった縫い糸が気になったりすると、私たちの歴史の素晴らしいメッセージを見失うことになる。一歩下がって壁掛け全体を見るとそれは見事である。」ここに教会をどうとらえればよいか、もう一つの比喩が示されている。
なお、同じインタビューの中でこうも述べている。
「従来教会は多くの記録を非公開にする傾向があったと思う。あるいは情報にアクセスできないようにしてきた。しかし、世界はここ数十年で変化した。インターネットで諸情報にアクセスできるようになって、私たちは昔の方式で続けていくことができなくなった。もっと公開(オープン)の方向に進み続ける必要がある。」
参考
LDS教会についてメリッサ・井上がこれまで幾つかの譬えで表現している。「焼きあがったパン」、「バンヤンの木」、「金属性の鍋」など。また、教会は会員が作りだしてもいる、という。順にこのブログの 2013.10.30, 2014.8.8, 2014.11.19, 2015.11.13付けの記事。
後半 source: https://rsc.byu.edu/archived/volume-14-number-3-2013/start-faith-conversation-elder-steven-e-snow
English text of Elder Snow's interview:
"to me, learning about their lives and their history has been very faith promoting. If you think of Church history as a quilt or a tapestry, it is the most rich, beautiful thing I have ever observed. If you examine it carefully, you are going to find some peculiar threads in that beautiful quilt or tapestry, and if you pull at them and obsess on those threads, you will miss the wonderful message of our history. If you will step back and look at the whole quilt or tapestry, it’s beautiful."
"I think in the past there was a tendency [by the Mormon Church] to keep a lot of the records closed or at least not give access to information. But the world has changed in the last generation--with the access to information on the Internet, we can’t continue that pattern; I think we need to continue to be more open.”
サマセット・モームの自伝的小説で、哲学的宗教的な作品らしい。
らしいと言うのは、私は読んでないから(笑)長い哲学小説など最近は読む気がしない。
ただ、この中で、人生を「ペルシャ絨毯」に例える話が出て来る(らしい)。
池澤夏樹さんって人も、この小説からヒントを得て、タペストり―って発想が生まれたんじゃないの?と言う人が居た。
それにしても、「Bondage」が「絆」に成るんだ・・。
確かに「絆」って人を縛り付けるロープみたいなもんだな~。
モームに言わせると「人生なんて何の意味もない、ただ、終わってみると、ぺりしゃ絨毯のように、幾重にも織られた美しい模様が残るものだ」って事かな?
聖書にも、何の意味もないのかも知れない。
単なる美しい模様なのだろう。
この教会には、一般人が聞いたときに理解しがたい失敗やモルモン流のしきたりやタブーはたくさんあるが、一歩はなれて永遠の観点から福音を説明してはじめて、賛同は無理でも、その理念を理解してもらえることって多いですね。
あえて「紬ぐ」と字を当てたのにはわけがありまして。
懇意にしていたご夫婦が伝道に赴き、伝道地が奄美大島でした。
私が、「あー大島紬の」というと彼らは「伊豆大島」の特産品と思われていたようで、先祖の地に近い奄美大島について紹介した記憶があります。
というのも父方の祖父母は大島紬の機織りをして生計を立てていました。
幼い頃目にしたトントンタンタンと紬がれる絹織物に渋い絵柄が浮き出てくる様が不思議でなりませんでした。
泥染の大島紬に末日聖徒の人と歴史が重なった思いです。