10月6日(土)午前10時から東京神殿別館の一室で、LDS教会歴史部(東京)主催で「そこが知りたい日本のキリスト教の今」を出版した潟沼誠二兄弟が90分にわたって講演した。歴史部の吉田憲博兄弟が司会し、出版を祝賀し、著者の話を聞こうと約50人が集まった。出版社も数社会場に来ていた。
潟沼兄弟は、いつもの親しげな口調で冗談を交えながら、巧みな話術で聴衆を飽きさせることがなかった。内容としては、執筆の背景を披露し、著書に関連していくつかのメッセージを聴衆に語りかけた。
大学の教職についてカトリック教徒の同僚と宗教についてデイスカッションしているうちに、その人物からギリシャ語、ラテン語を習うことになった。ラテン語はブリガムヤング大学でも続けて学んだ。そのことにより、潟沼兄弟は世界が広がって見えるように感じられ、LDS教会について見直すことになった、と語った。一例をあげれば、Logos[言葉]の意義が深淵な面でも卑近な場面でも記号としてしっかり機能していて、その意義が大変深いことに気付いた、という。
そして、この日聴衆が学んだことの一つは、言語学者ロマン・ヤコブソンが分析した「コミュニケーションの過程」で「コード」の果たす役割についてであった。コードというのは、話し手がメッセージ(思い)を受け手に向けて発信する時に信号(例えば、日本語や英語、点字など)に変えるが、その信号に変え、また解読するときの規則をいう。その発話者の表現時の仕方と受け手の理解の仕方が異なると、末日聖徒が伝えようとしても、非会員にはメッセージが伝わらない。相手が分かるように説明することが必要である。また、両者の置かれたコンテキストにも注目しなければならない。分かり合える間柄にあるかどうか、意思が通じる環境にあるかどうか。ユーモアのセンスもコンテキスト(両者の間柄)をほぐすことになって疎通をスムーズにする、と。聴衆はうなずいて聞いていた。
日本では印篭(いんろう)が物を言う、それがなければ聞いてくれない。広く知られた著名な人物の言葉を引くと、それは印篭のような役割を果たし、発信者の意図を受信者がすぐ理解できるのでコードを共通化することになる。モンソン大管長始め、教会幹部も多用していることである。他宗の牧師の言葉さえ引用されている。私が「そこが知りたい・・」でしばしば有名人を引用しているのは、同じ理由によっているので理解してほしい。
信仰生活の面では、ある時教会幹部からあなたが責任を負っているのは担当地域の教会員に対してだけではなく、広くその地域の全住民に対してである、と言われ、自分でもそう気づいて、PTAや町内会で会長の責任を引き受けるようにした。それによって素晴らしい、多くの友人を得ることができた。・・また、話は変わるが、高齢者が教会でも増えている。私たちのような存在に配慮してほしい一面、我々高齢者はあまり介入しないで、聞かれたら答えるぐらいにするのがよい、孫の世話をよくする責任がある、と提案された。
この度の出版について、10月5日の週刊朝日が取り上げてくれ、ネット上でも注目の本に数えられた。これは著者にとって夢のようなことである。今は出発点のようなもの、後に続く世代に素晴らしい才能を持った人たちがいる。われわれはメッセージを発信していく必要があり、そうしてもらわなくてはならない、と聴衆に訴えていた。・・外部の人たちと張り合っている時ではない、それぞれの地域で一緒に手を取り合ってすることがたくさんある、とも語りかけていた。
講演の後、質疑応答が行われた。ある質問に対して「何でも善悪の区分で考えてほしくない」、本当はそれほど単純な二分法ですまないし、逆に問題を生じることがある、と答えていた。
(この記事はメモにもとづいて、管理者が敷衍、説明的に書いている部分があることをお断りします。)
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と思います。
私は以前地域の老人会で日本の昔話の冒頭の「昔々あるところにおじいさんと、おばあさんがいました」をひきあいに出し、昔話がこのようなでだしで、始まる理由は、子育ての主役がおじいさんとおばあさんだったからです。と話しました。
教会はどちらかというと子育てを両親の責任にしますが、3世代同居の家の子は、おおむね落ち着いている傾向が見られます。NJさんも日本の将来のために孫育児よろしくおねがいします。
「外部の人たちと張り合っている時ではない、それぞれの地域で一緒に手を取り合ってすることがたくさんある、とも語りかけていた。」
本当にそのとおりです。
外部の人と一緒に働いたことのない(ボランティア経験のない)指導者に爪の垢を煎じて飲ませたい気分です。教会の外には、信じられないくらい責任感、使命感が強く一緒に働いて楽しい方がたくさんいらっしゃいます。
私は今でも教会外の方たちと煙草の副流煙のまう場所に出向いて、(自分は副流煙以外は吸わない)知恵の言葉を無視し教会外の方とコミュニケーションをとります。
飾らない本音の話ができるし、決めたことは確実にチームで行うことができるので、神権会より100倍楽しいものです。
最後の2行も身につまされる思いです。
潟沼兄弟の話に共鳴する方がいて、彼も喜ばれることと思います。