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[訳]言語(複数)を通じて得られる世界平和
10月初旬、京都の大学で中国語を教えている関西在住のLY女史と会った。授業を参観させてもらい、昼食を共にして彼女の近況をたずねた。Lさんは民主化運動に携わる活動家として健筆を揮っている。最近、中国に入国することを拒まれて拘束される在日中国人ZJR教授の話を耳にしていたので私は心配していた。
Lさんは、中国の入国管理に呼びとめられなかったですかと聞くと、「そのようなことはありませんでした。私には怖いものはありません、守られているという確信があります」と答えた。彼女はキリスト教徒として信仰に支えられている様子であった。母は郷里で三自の教会に通っているという。また、家庭教会が健在であることも語ってくれた。この日、昼食をとる時、食前の祈りをしてください、と所望されて少し驚いたが、私は応じて彼女の無事と今後の活躍についても祈りに加えた。
中国のキリスト教徒は一般的に聖書を文字通り受けとめる、福音主義的な姿勢であると私は何度も中国の教会に出席して観察しているが、彼女の信仰もそれを反映している。この中国のキリスト教信仰の状況について、日本の東北大学が最近刊行した「現代中国の宗教」も同じ見方をしている。
L女史はこれからも恐れることなく、今日の中国の現状を記録し続けていくと語った。今も民主化運動の活動家が拘束されるなど苦難に遭っていること、郷里では炭鉱の廃材を川に捨てるので川の水が真っ黒になり、離れた井戸で水を汲み上げても影響を避けられない、実際奇形の子供たちをよく見かけると語っていた。個人の良識の問題というより、社会の制度・体制に根深い問題がある、と嘆息していた。
教育と著述活動という二足のわらじをはいて、大変であるがそれを厭わず、立派に成功した郷里の同輩たちから何をしているのかと揶揄されようと構わず、LY女史は自分に託された使命とでも言うべき仕事に果敢に取り組んでいる。
参考文献
川口幸大、瀬川昌久「現代中国の宗教 信仰と社会をめぐる民族誌」東北アジア研究専書 昭和堂 2013 第5章 キリスト教と現代中国――上海におけるプロテスタント教会にみる信仰と政治/村上志保
私も中国人と共に教えを学んでいければと願っていますが
まだ、できない望みでしょうね
L女史もキリストの教えをベースに頑張られているのですね。
これからも頑張って頂きたいです
英語に興味を持っている日本人留学生は多いので
教会に誘いたいと思うのですが
なかなか難しいです
暫く前、中国全土で2桁の数はある、と聞いていましたが、最近では3桁の数、しかも日本より多い数の漢籍lds unit があると思われることが分かりました。
今は準認可の家庭教会のような地位なのでしょう。訪問や接触が制約されているのは大変残念ですが、決まり(当局の方針)を尊重するしかないと思います。動きがあれば、教えてください。
(モコポリさんにとっては自然な同じ信徒であるという思いに加えて中国語で礼拝できるという魅力もありますね。)
L女史は私もキリスト教徒である点に注目して親しく接してくれているようです。敬虔を磨く必要を感じます。