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この度、ジョセフ・スミスが多妻を実行していた事実をモルモン教会が公的に認めたことについて、アメリカの女性ジャーナリストとニュージーランドのオークランド大学のメリッサ・井上が、教会が信徒に衝撃を与え負の代償を払う危険を冒してでも情報公開に踏み切ったことを、教会の成熟度を示すものと述べた。
米テキサス州のフリーランスジャーナリスト、アマンダ・マリー・マルコッテは、インターネットによって信徒が情報にアクセスできるようになったのに対し、宗教がどのように対処するのか注視し、それが極めて困難な問題であると見ていた。そして、信徒や一般市民から信頼される存在であるためには、これまでよりも情報公開を行ない、透明度を増すしかないと述べる。モルモンはそれに気づいて適応している、と言う。
マルコッテは教会歴史家スティーブン・スノーがインターネット上に情報がふんだんにあふれていると語り、教会は会員たちに教会史の微妙で難しい側面についても信頼できる、真実の情報を提供する必要を感じている、と認めたと書いている。そして、9月に教会は指導者たちに、教会史について疑問を感じる会員がいれば、教会がネット上に掲載した記事(essay, 論文)を読むよう導いてほしいと文書(memo)を送っている。
また、カリフォルニアで育った香港出身のメリッサ・井上(現在オークランド大学講師)も、末日聖徒イエス・キリスト教会が教祖ジョセフ・スミスの多妻結婚を認めた件で、傷を負ったのは誰かいろいろ取り沙汰されるが、得点を得たのは明らかに教会であると言う。教会が透明度を増す方向に踏み出したのは、モルモニズムの成熟度を示すものであり、21世紀に求められる適応性を示している。そして今回の公認は、モルモンの知識層が長年モルモン史について邪悪視するのでも美化するのでもなく、的確に記述しそれが知られるように努めてきたことが正しかったことを証明している、と書いている。ただ、今回ジョセフ・スミスが隠して多妻結婚を実施していたという二重性は、今日夫婦間の信頼と貞節を当然とする「家族」を強調する教会にとっては確かに苦い事柄であると断っている。
M. 井上はこの投稿に際し、「教会は鍋の如し」という比喩を添えている。それは、料理する時、どんな鍋も厳格に検査すれば微量ながら金属を溶かし出しているが、それを気にしていては調理した食物を食べられない。生で食べる原始の生活にもどることはできない。結局何らかの器を使って調理し、生きていく日常がある、と言う。なお、彼女はハーバード大学で学ぶ時期に信仰の危機を経験している。
http://www.salon.com/2014/11/14/why_the_internet_is_slowly_strangling_religion_partner/ アマンダ・マリー・マルコッテ
http://www.patheos.com/blogs/peculiarpeople/2014/11/toxic-religion-the-parable-of-the-pan/ メリッサ・井上
されど 天の理を知る
ブタは転じてブッダとなる。
色々な資料から、説明を加え、意見を述べる人がいると、それを聞いた人は、つい「この人は、論理立てて物事を考えることが出来る人だ」と思い込んでしまう。
しかし、色々な資料を添えて、意見を述べる人でも、まったく論理的な判断能力を持っていない事が有る。
論理的判断が出来ない人に、筋道を立てて、時間をかけて説明し、納得してもらおうとすることほどあほらしい作業はない。
その人は決して悪人ではない、詐欺師でもない。ただ頭が悪いだけなのだ!
私がこう書くと、その人は、「豚さん、ジョセフは教育は受けていないが、頭の悪い人ではなかったですよ」と色々な資料を添えて説明する事でしょう。
だ!だから!!ジョセフの事じゃなくて・・・。
と書くと、その人は。
「はい、確かにヤングは強引な印象が有りますが、誠実で優しい人で・・」
そ!そうじゃなくて、ジョセフでも、ヤングでもなくて・・。と言うと
「ジョセフでも、ヤングでもない?・・・??ジョセフ・フィルデイング・スミス?マッケイ?モンソン?・・・??」
あなたは気付いていないかも知れませんが、教会の公式な教えについて説明したB.H.ロバーツ長老の説明もまた『個人的な意見』に過ぎず『公式のものではない』のです。
そもそも預言者の言葉を『教会の聖典に合致する範囲内においてのみ受け入れられるものである』という考えはモルモン教会の歴史と教義に反します。
以下のようなエピソードがセミナリー教材にありました。
ジョセフ・スミスが存命中、ある集会で一人の兄弟が「預言者は聖典の内容に矛盾しない啓示を受けるのである」と話した。それを聞いたジョセフがブリガム・ヤングにコメントを述べるように求めたす。ヤングは立ち上がり、聖典を手に持った「私はこららの聖典に書かれた言葉よりも、生ける預言者の言葉によりいっそうの信頼を置く」と述べた。
ところでモルモン聖典は誤りのない完璧な文書なんですかね?
もうすっかりお忘れかも知れませんが、あなたは別の書込みで、教義と聖約にはいくつかのバージョンがあり内容が書き換えられていることをご自分で認めましたね。その通り、モルモン教会の指導者は自分らの都合に合わせて神の言葉を書き換えているのです。それは憎むべき大教会がしてきたことと同じですね。
預言者の言葉に対しては個人的な意見だとか、公式のものではないとか言い訳し、聖典は内容を勝手に書き換えてしまう。モルモン教会の確かな教義はいったいどこにあるのでしょう。
どこにもない、と言うことだけは確かなようです。
http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/c49a91b630a3e851846d94be65ba7434
>これは公式な教義ではありません。じゃあ、公式な教義って何よ?
それはこちらが参考になるでしょう。
ttp://www.geocities.jp/waters_of_mormon/Hard_Questions_j.htm
B・H・ロバーツ長老はこう述べている。「一部の批評家は、よく『個人的な意見を述べたに過ぎない言葉』をあたかも教会の公式な教えかのように引用して、自分たちの批判を展開している。」
長老たちが弁護する義務があるのは、教会が所有する聖典(聖書、モルモン書、教義と聖約、高価な真珠)だけである。これらの本は、神のみ言葉が載せられた ものとして教会が認めているものである。これらの本は、長老たちが本国においても、また外国においても、絶対的に真実として擁護すべきものである。その他 の本に関しては、非常に有用で教訓的かもしれないが、上述の4冊の本に与えられたのと同じ威厳を持つものではなく、教会の聖典に合致する範囲内においての み受け入れられるものである。
それはローマ法王と握手することなの?
モルモンはこう教えています。
ジョセフ・スミスは人の形をした神とイエスにまみまえした、と。
でも知的モルモンは答えます、これは公式な教義ではありません。
モルモンはこう教えています。
全ての教会は間違っており憎むべきものであると神はジョセフに告げられました、と。
でも知的モルモンは答えます、これは公式な教義ではありません。
モルモンはこう教えています。
神にかかわる重要な啓示は預言者を通して与えられます、と。
でも知的モルモンは答えます、これは公式な教義ではありません。
モルモンはこう教えています。
黒人はカインの子孫であり前世で不忠実なものたちだと生ける預言者は教えました、と。
でも知的モルモンは答えます、これは公式な教義ではありません。
モルモンはこう教えています。
「この故に汝行きてアブラハムの業を為せ」と啓示によりジョセフは多妻婚を実施しました、と。
でも知的モルモンは答えます、これは公式な教義ではありません。
じゃあ、公式な教義って何よ?ってたずねると知的モルモンは答えるでしょう。
「言いません、いつでも都合の悪いことを否定できるようにしておかねばならないからです。
ただし世間で評判のいいことは全てモルモンが正しいことを証明しています」
こんな態度でいったいどんな「成功」をおさめるのでしょうか?
トーマス・フォード著, イリノイの歴史 (ニューヨーク: S・C・グリッグス,1854年), 354-355.
ブリガム・ヤングの死の後にも同じように評価されました。
末日聖徒には永続的な成功を手にするシステムが当初から備わっているように思います。
できる限り良い教育を受けるよう勧める伝統は優秀な人材を生みますし、教会の指導部は実績を積んだ人々が集積されるようになっています。
預言者一人の独裁を許さないシステムも備わっています。
現代のインターネット時代への対応も今後の艱難な時代への対応も的確な最善の対処をするでしょう。
最近アイリング長老が法王様と握手したとことが話題になっていました。
異端・カルトの評価の声も今後小さくなるでしょうね。
その1 罪を認める
その2 罪を悲しむ
今回の情報公開と言うのは、「罪を認めた」と言う事では無いんですよね?
結局悔い改めたわけでもなく・・・・開き直っただけ?それじゃあ、救われないかも?
彼女は末日聖徒です。マルコッテさんは違います。
ニュージーランド大学教授であるメリッサ・井上の「教会の成熟度を表している」という素晴らしい表現に心を打たれました。モルモン教会の現状とよく似たあらゆる局面に対応できる汎用性の高い言い回しですね。
またニュージーランド大学教授であるメリッサ・井上が言うようにモルモン知識層はモルモン史を邪悪視するのでも美化するのでもなかったという態度は、これまでのNJさんの姿と重なって見えます。
ニュージーランド大学教授であるメリッサ・井上と同じく大学教授であるNJさんもまた教会を積極的に美化したことはなかったように思います、ただ教会を褒めている人の言葉を集めて紹介したことはありましたが。またNJさんは教会を邪悪視する人々の主張は極力紹介を避けてこられましたが、これは信仰のまだ弱い教会員が傷つかないようにとの優しい配慮からと思っております。
またニュージーランド大学教授であるメリッサ・井上が用いた鍋の如しという比喩は現実的かつ理解しやすいものだと言えるでしょう。さすがはハーバード大学出身者ですね。
ところでニュージーランド大学教授であるメリッサ・井上が末日聖徒であることをNJさんは書いておられませんがそれは過去の記事も含めてこのブログをよく読めばわかること、決してNJさんが外部からの評価であるかのような演出を狙ったものでなく、あくまで中立なスタンスであることは承知しております。
NJさんの著書も同様に中立な視点からモルモンを描いているとの評価を、モルモン関係者から多く受けておられますね。これまでのモルモン書籍といえば敵対者による批判記事ばかりでしたから、末日聖徒の手による中立な書籍は安心して読めますね。
私は末日聖徒イエス・キリスト教会が唯一まことの神の教会であることを証します(笑)
メリッサさんはなかなかいいこと言いますね。