2023年3月のタスマニア3日目
州都はホバート港を囲むよう
に建設され、地の果てのよう
なタスマニアでの植民地建設
において、外の世界との玄関
口の重要性がしのばれます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/8a/ebb2c13c72ad99b7a0cbe3e568ca622b.jpg)
クルーズターミナルに続くプ
ロムナードはハンター通りと
いわれ、まさにホバート植民
地建設の礎となったエリア。
(※奥に見えるのがクルーズ船
建物がどんなに小さいことか)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/5e/802247f45caf892a5ac85f9cfd60b9b9.jpg)
往時の豪勢を今に伝えます。
1813年に港での交易が認可さ
れると、植民地への物資供給
を商機と見た船主や船長たち
が続々とここに集まり、流刑
囚たちを使いこぞって石造り
の瀟洒な倉庫を建てました。
ハンター通りの名は荒海に漕
ぎ出す鯨漁師を指したそうで
1850年頃までは沖合で漁がで
きたものの、その後は外洋へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/e5/c17559c85fc44068b27236b0b5befd2b.jpg)
(※2艘による沖合捕鯨1849年)
ハンター通りの位置。目の前
が船着き場になっていて、荷
揚げや荷積みに最適な立地。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/a2/43e667b2319d289e5c4a70ead4b52dd4.jpg)
船着き場からのハンター通り
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/4b/d9acc41ed6e57f7881f8e6429c5973da.jpg)
小さな貨物船がひしめいて、
活況を呈したことでしょう。
同じ場所でも今は静かなもの
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/dd/086b6cb11308f5cc0f308a9dd5952955.jpg)
すべてに事欠く新植民地での
物資の輸入は、すぐに輸出と
の双方向の交易となり、羊毛
や皮革、小麦、鯨油、木材等
のタスマニア産品がオランダ
領インドネシア、中国、イン
ド、英国へと運ばれました。
船隊を組んで貿易業に携わり
事業を拡大していった彼らは
ハンター通りの商人と呼ばれ
ベニスの商人(The Merchant
of Venice)よろしく、マーチ
ャント(商人)として海運で財
と名を成し、いずれは当地の
権力も掌握していきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/55/3469f95c593fbbfa0e9511c7984d9104.jpg)