さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

御訪問者の皆様へ

ようこそ、いらっしゃいました♪ いつも御訪問頂きありがとうございます。 訳あってコメント欄閉じていますので、《おしゃべり広場》は閲覧のみとなっております。 本年もよろしくお願いします。

      

さっちゃんと父 ★ 24 ★

2008年10月05日 19時45分00秒 | 実家の想い出

帯ちゃんシリーズ、第三弾!

今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。

父の決意、そして、引っ越し・・・とうとうさっちゃんの近くへ・・・

引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。

 

 

≪其の24≫ 父の引っ越し

 

「もう、山に上るのん、しんどなってきたわ。わしも年やなあ。」

   そりゃそうでしょ。70歳も過ぎていたら

   とても自転車で8駅もある処へは行けんでしょ!

    行きはよいよい、帰りは怖い・・なのによう~やるわ!

 

「そうか。とうとう、その気になったん?ほんで、一緒に住むか?」

     たぶんいやや、いうやろな~~

 

「いらんわ。一人が気楽でいいわ!」

     やっぱりなあ~!だと思ったよ!

 

「そう!ほんならそうしぃー!引越しの準備、しなあかんな。

   私のもん、ほるもんほらんとなあ・・・。」

     いざとなったら少し寂しいなあ・・・

 

 

 

子供が幼稚園のころ、自転車か徒歩で通っていた仕事も引退となり、

父がとうとう家を捨てる決心をした。もう充分、この家を懐かしんだ。

これからは、孫の顔を毎日でも見ていたい。最後の飼い犬も死んで

しまったし・・・、この家に思い残すことがなくなった。

ということで、とうとう、父は引っ越しの決意をした。


そして、私は最後の写真を撮った。幼い頃、父と初めて共作した野球バット

を持った男の子と女の子の絵、これは最後の日まで飾ってくれていた。

本類はかなりあったが全部持っていくわけにはいかず、近所の施設へ

寄付をした。漫画は全巻揃っていたものばかりだったので、喜ばれた。

「カムイ伝・外伝、55巻」「ワイルド7、48巻」「巨人の星18巻」など、

他にも数々あれど、ほとんど少年ものばかりだった。

当時の私の考え方が知られそうな気がするが・・・。

唯一、少女漫画の「ベルサイユのばら」のみ今でも本棚に残っている。 

懐かしいものばかり出てきてなかなか片付けが捗らなかった。

 

 

 

父は、私のマンションから5分とかからぬ所へ来て結構、楽しそうだった。 

毎日のように真ん前にある公園へと、散歩がてら幼稚園前のゆうちゃん

と一緒に遊んでくれた。一度、ゆうちゃんが顔を血だらけにして帰って

きたときは、流石の私も気が動転して

 

「うわ~~!どうしょうどうしょう!!」

 

と咄嗟に慌ててみたこともあるが、このときは石のオブジェの手前

でけつまづいてこけたらしく、目の上に切り傷ができたようだった。

そして、一度、こういう凄い姿を見れば、結構次からの対応ができる

自分に驚いたものである。母は強し!!実感である!!

 

 

 

今はもう実家は影も形もない。

その後はどうなっているのか・・・

最近行っていないからわからないが、

妙に行ってみたい気に駆られる。 

町の人たちは皆、元気なのだろうか。

 

唯一、幼馴染の毎年の年賀状だけが昔を繋いでいる。 

 

 

 

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つづく。。。

 

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さっちゃんと父 ★ 23 ★

2008年09月27日 19時16分00秒 | 実家の想い出

帯ちゃんシリーズ、第三弾!

今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。

初産のとき知った持病・・・

出産退院後は義父母達と一か月同居。

引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。

 

 

≪其の23≫ 出産を経て・・・

 

「やっぱり近所がいいね。」

「二人目は歩いてでも行けるところがいいんとちゃう?」

「N産婦人科にするわ。一番近いし娘さん(女医)帰ってきてはる

し・・・やっぱり女医さんは気遣い違うし・・・」

 

  

 

初産は、やはりそれなりに整った所がいいだろうということで、

近くの大きな病院を選んだのだが、予約しているにも関わらず、

毎回、時間が掛るのが欠点だった。


初めての検査で、特別な持病が見つかった。

発病していないキャリアということもあり、懇切丁寧に指導をしてくれる

準助産婦もつけてくれて有難かったが、実際はかなり辛いものだった

ブログ記事「長男誕生秘話」:参照)。

 

なんでも特別がいいとは限らぬもので、こういうときは辟易するものである。

 

  おーい!そこのお医者(男性)さん、(モデル)クランケに 

     聞こえるぐらい大きな声で説明しないでよね。

       ほんとに、デリカシーがないんだから・・

 

指導であろうか、若いインターンたちが毎回、3~5人ぐらい

来ていたようである。なんだか見世物にでもなったようで嫌だった。

 

  せっかくモデル(クランケ)が我慢して勉強させてあげてるん

     だから、君たち真剣に勉強してよーって思っちゃうよ!!

 

劇症発作でも起ころうものなら何時間か以内に死ぬこともあるなんて

脅されたこともあるが、それほど気にしなくてもよい程度(キャリアと

言われる)なので、ま、その時はその時と至って私はのんきである。

 

  

   人間、死ぬときは死ぬだろうし、 

     嫌でも生かされるときは生きるもんだ

 

子供のときからある、根本的な自分に持ってる考えである。

  

ちなみに子供達は今のところ、自分で抗体を作っているようで

遺伝は良い方へといってくれているようである。

怖いのは大人になって不摂生が続いたときだろう。

 

 

父はやはり男性でこういうときは役に立たないので、すべてを

義母にお任せします。ということだったので退院後、1か月ぐらい

一緒同居させていただいた。義母が喜んだのは言うまでもない。 


義姉のときは過保護すぎて神経質な長男(赤ちゃんのときだけ)

 なったのを参考に全く逆な環境をした。

普通に出る音を普通に聴かせただけであるが・・・

ゆうちゃんが祭りの時にぐっすり寝ていたのには

皆、「頼もしいやっちゃ!」と笑ったものである。

 

 

今、私は思う。。。


私は何かに(誰かに)守られている気さえする。

不思議なもので、私が山で良い空気を吸いながら

健康に育ったのもこの病気を克服するためのもの

だったのかも知れないとさえ思うのである。

 

そして・・・・・

 

 

私を産んでくれた人は、どんな人だったのだろう・・・

どんな気持ちで私を産んだのだろう・・・

初めて、愛おしさを込めて、そう思うのである。

 

  

 

 

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ソラログより

撮影者:まーきー様

  

 

つづく。。。

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さっちゃんと父 ★ 22 ★

2008年09月21日 19時37分37秒 | 実家の想い出

帯ちゃんシリーズ、第三弾!

今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。

久々の実家帰り・・・そのとき聞いた可笑しな話・・・

このときやっと結婚式直前の義姉の言葉の意味が解ったのです。

引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。

 

 

 ≪其の22≫ 義母と義姉

 

「おばちゃん!お久しぶり!元気してるー?車、止めさせてな!」

  幼馴染のおうち~~、いつも車を止めさせてもらってたの。

     この家以上、車は通れません!

 

「おお、さっちゃんやんかー!帰ってきたんか、仲よーやってるか?」

     懐かしいおばちゃんの声ってホッとするね~ 

    

「いつも心配してんねんで~!実はな・・・・・、

あんたが結婚する前にな、いろいろ聞かれたことあんねん。

もちろん、全然心配ありませんわ、ええ子でっせ!

親孝行な子ですわ。って言うといたったでー!」

 

「えっ・・・??」

 

 

 

「私は何があっても式には出るからな。心配せんでもええで!」


という義姉をはじめ、ごくわずかな私の親戚の数を補うのに、

彼の友人・親戚で人数を合わせて結婚式をあげた。

義姉 のこのときの言葉にそんな深い意味があろうとは思いもしな

かったのだが、すべての意味を知ったとき、私はとてもこの家族に

感謝した。この家に嫁いできてよかったと、心底思ったのである。

実はこのとき、義姉の嫁ぎ先から、私たちの結婚を反対されていた

というのである。(なぜ?そんなところから反対が・・・?)

 

義姉の旦那さんがこの結婚式に出るなら、

実家が親子の縁を切るとか言っているらしいと聞いた。

ちょうど出なければならない結婚式が重なった、と私は聞いていた。


「旦那、出られへんけど・・・ごめんな。その代り・・・

私は何があっても式には出るからな。心配せんでもええで!」

と続く言葉だったのである。

 

 

結婚式は、私自身にとっては必要のない形だけの意味のないもの

だったのだが、義母からの申し出によってあげた形となった。

 

「やっぱり、さっちゃんのお父さんのためには、ちゃんと娘の 

晴れ姿を見せてあげないとね!申し訳ないでしょ!」

  へー、そんな考え方もあるもんなんだ~ 

  そういえばそうだなあ、結婚式は?って聞いてたなあ!

 

と、親の立場からの考え方を、これからは知らなければならない

なと義母の話に耳を傾けた。

「何も持ってこんでいいで、体一つで来て頂戴!」

義母のその言葉通り、本当に体一つで嫁いだようなものだった。

私は本当に、自分以外を頼りとしない子だったな・・・・

甘えることをよしとしない子だったと思う・・・


 

結婚後・・・私は、義母に甘えてばかりである・・・

義母は、それが嬉しいと言う・・・ 

母親として、お嫁さんを独り占めできる・・・

それが嬉しいのだと・・・

 

 

 

 

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つづく。。。

 

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さっちゃんと父 ★ 21 ★

2008年09月13日 21時27分00秒 | 実家の想い出

帯ちゃんシリーズ、第三弾!

今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。

少々の反対はあったもののなんとか結納も済ませ

とうとう結婚式前、この父子の会話は・・・さてさて・・・

引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。

 

 

≪其の21≫ 嫁ぐ娘に・・・

 

「とうとうだね。」

「もうちょっとしか一緒におられへんねんなあ・・・寂しなるなあ。」

「でもまた、遊びに来るし、決心ついたら近くに来たらいいやん。

「そうやなあ。まだここで頑張るわ!離れたないねん。」

「うん、気が済むまでおったらいいやん。」

 

 

 

うちはお店をしてるわけでもなし、土地や山など継がせるものも

ないから一人娘だからといえど、別に家をでてもいい・・そう言っ

て長男である彼に嫁がせてもよいと、彼のご両親にはそう言って

いた父だった。しかし、やはり、親戚に同じ名前があるといえど

自分の名前が自分の代で消えるのは寂しいと言っていた。

けれど仕方がない、気にするなと。

お前が幸せになればそれが一番だと。


かわいがってもらわないとあかんで。それだけが心配や。

お母ちゃんがおらんから言うけどな・・・

初めての夜は・・・

    おーっと、そこまで言わずとも・・・    

        そんなに若くないし私ら・・・


「わかってるって!! 16~7の子供ちゃうし・・・」

  ・・・みなまで言うな、ちと恥ずかしい!

 

 

この年の頃の人はそこまで嫁ぐ時、言い聞かされてきたのだろうか?

止める私を無視して言いたいことだけ言って、しまいには

自分のことまで言いだした。印象に残ったのが、


「大の字で、『さあしいや!』にはちょっと参ったわ。

      ほんまに、色気もけったくそもない!」

 

・・・なんてことまで・・・おいおい・・娘にいうかあ!

     色気っと、φ(..)メモメモ。(何メモしとんねん!)

 

 だけど、好きだったんだよね。

      ふっふ~~んだ!なんとでも言ったんさい!!

 

嫁入り前の父子二人の最後の会話って、今までにないこと

しゃべってるね。・・・なあんかいいね。

 

えっ?普通、そんなことまでしゃべらんのんちゃう?・・・

      あれっ?  ・・・そうかなあ・・・

 

今日はパパって呼ぶのが似合ってるね。今さら、恥ずかしくって

呼べやしないけど、パパって優しくって素敵で可愛いんだね。

 

 

え。。と私は・・・直前の挨拶ってした方がいいかな。

「長い間お世話になりました。・・・」とかいうやつ。

 

え・・・と、どうしょうかな~ (^o 

     当日だと時間がないかも知れないな・・

            どうしょうかなあ・・・

 

 

 

 

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ソラログ

撮影:まーきー様

 

 

つづく。。。

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さっちゃんと父 ★ 20 ★

2008年09月05日 15時12分12秒 | 実家の想い出

帯ちゃんシリーズ、第三弾!

今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。

待ちに待った結婚への道のり・・・

だが、父にとっては不安要素がもうひとつあった・・・それは・・・・・

引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。

 

 

≪其の20≫ 父の内心

 

母から手紙を預かってきてん。」

   え~~私へのラブレターかなっ??んなわけないか!

      ・・・なあんだろ?気になるなあ~~

 

「何て?」

「知らん!さっちゃんとお父さんに渡してくれってさ。」

   ますます気になる~~~~

       気になるきに~なる~きですね~~~

 

「ふ~ん。・・・じゃ、後でお父さんと見るわ。」

   彼の前で開けられない雰囲気が~~

       やだなあ今日は気になって

         デートどころじゃない気が~~~~

 

 

 

「きたか!・・・」

封書を見た父の開口一番である。実は、父には気がかりなことが

あったという。思えば父はこんなことを予想していたのかもしれない。

私の実の親について聞かれるかと、思っていたようである。

そして、これによって破断になることを懼れていたようである。

 

しかし、手紙の上の願い事は、戸籍抄本を見せてほしいというもの

だった。あとから私の親が現れて何かいちゃもんでもつけられたら

困るだろうというような心配だろうか?

私はこのとき、初めて戸籍抄本なるものを見た。

そこに初めてみる苗字

 

「これが、私の名前・・・。」

 

それはまるで他人の名前のように思えた。

今さら、この名前を見たって何とも思わない・・・はずだった・・・

こんな親のために一粒の涙さえ流してやるもんか・・・

 

私にはちゃんと両親がいるのだから・・・ 

私は、・・・本当の愛を見つけたのだから・・・ 

もう、必要ないんだ。捨ててしまえばいい・・・

       ・

       ・

       ・

       ・

       ・

一人になると息ができなくなるほど、自分に還ってきた・・・

 

 

 

次に彼が来たとき、帰りに封書を渡した。

 

「これ、お母さんたちに渡しといてね。」

「うん、・・・で、なんやったん?」

「えっ!ちょっと頼まれたもの。もらってきたから・・・」

「僕に言われへんもんなん?ちゃんと僕の目を見ていうて!!」

 

彼は彼なりに凄く気になっていたようだった。

息子に怒られるという彼の母のことを思うと絶対内緒にしてや、

と口止めして抄本を見せた。

彼は、自分の親が情けないと、私のために泣いてくれた。

 

「なにかあったときに名前を知りたかっただけだと思うから、

ご両親を責めないであげてね!絶対内緒だからね!」

 

私は彼に、この上ないぐらい優しく、口止め料代わりのキスをした。

 

 

 

 

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つづく。。。

 

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さっちゃんと父 ★ 19 ★

2008年08月30日 16時34分00秒 | 実家の想い出

帯ちゃんシリーズ、第三弾!

今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。

さっちゃんは彼との結婚を考え始めます。

するとやはり・・・、気になることが脳裏をかすめるのでした。

引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。

 

 

 ≪其の19≫ 突然の告白

 

「ふーん、これお母さんの写真?」

   ちょっとぉ今、目をそらせたやろ~、

      どこ見てたの~や~ね。うまくごまかしちゃって・・・・・

  

「うん!そう!・・・・・・・ねえ、私に似てると思う?」

「え・・・と、どうかなあ?・・・」

   そうやんね~!急に言われたら考えるやんね~。

 

「あんまり、似てないやろ!」

「え、そうかなあ・・・?」

    なにゆうねんこのこは???なんて思ってるだろうな~

 

「・・・本当の親と違うねん。両方とも血が繋がってないねん。」

「えっ!!・・・」

   とうとう言っちゃったぁぁあああ~~~

      このあとどうすりゃいいのさこのわたし~~~

 

 

 

12月の父の手術から後、彼からは毎日のように電話があった。

今は携帯なんて自分の部屋でもできる電話があって、思いっきり 

おしゃべりしてても文句も言われずにすむが、私たちのころは、

家族の前で彼女にTELはあたりまえの光景だった。

家族のほうがそばを離れてくれたりしていたものだった。

彼が私の処への電話中に、毎回のよう

「一回遊びにおいで~!」というお母さんの声がしていた。

 

一度、受話器を奪い取って 

「母で~~す。1回、顔見せに来てね!待ってるワン!」

と言ったこともある楽しそうなお母さんだった。

 

その翌年のお正月15日、成人式の日、私は彼の迎えを待って、大阪の

住吉大社へお参りをしてから、彼のお宅訪問となったのである。

 

 ブログ記事『振袖の想い出』参照)

 

 

 

 

付き合いだして7か月が過ぎたころ、彼の家が以外と大きかったことが

気になっていた。当時ゴルフショップの名残りの入口や金物屋から

電気関連を加えていったような家電製品製造事務所玄関、工場

出入口が横並びにあり、奥行きも結構あろうかと思われた。

私は、ホントのこというと今時古いと言われるかもしれないが、あの

楽しかったお正月のパーティー以来、身分違いを感じていたのである。

だから初めて会った時のインスピレーション(=私はこの人と結婚

するかも知れない)が、もしかしたら錯覚かもしれないと思い始めていた。

 

・・・・・もしも別れがあるなら・・・・・

私が彼に秘密を打ち明けたときか、彼が両親に打ち明けた時、

 

そう思っていた。前者はあり得ない、その自身があった。

気になるのは後者。両親・親戚全てから、もしかして猛反対を

受けるかもしれない。その時彼はどうするだろうか。

「駆け落ち」そんな言葉も頭をよぎった。しかし、これは絶対に

避けなければならない。なにより、父を置いてゆけない。

 

それに私の血が許さなかった。私は・・・

私から始まるルーツを、血の繋がりを、

幸せな家庭を・・・・・創りたかったのである。

 

 

 

 

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つづく。。。

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さっちゃんと父 ★ 18 ★

2008年08月22日 21時02分01秒 | 実家の想い出

帯ちゃんシリーズ、第三弾!

今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。

さっちゃんに、とうとう彼氏が、と思った直後父の看病!

しばらく会えないと思っていたのですが・・・・・

引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。

 

 

≪其の18≫ 父の看病

 

「ごめんねぇ~!そんなに毎日来なくてもいいのに~。」

 

「気にせんといて。僕が来たいだけやから。」

 

「私ならちゃんと食べてるから大丈夫だよ。だってさ~、

 

お父さんの前で食べやんと心配や、っていうんよ。

 

今、私の夕飯。サンドイッチ食べてるねん。」

 

「ええって、ええってそのまま食べとき。はい、マクド!

 

後でお腹すいたら食べな。」

 

「ありがとう!もうちょっと待ったらよかったね。

 

後で食べたら太っちゃうな。朝食べてくわ。」

 

「ええでぇ~少々太っても!今はしっかり食べる方が先決や!」

 

 ちょっと~~~こっちはよくないんだよ。

 

       ただでさえぽっちゃり~してるんだから・・・ 

 

 

父が胃痛がすると言いだし病院で検査すると、十二指腸潰瘍

 

だった。手術で摘出したものを家族に見せるという。 

 

やはり証明するためにみせるのだろうか?なんて考えながら、 

 

叔父が見やん方がええで、というのを横目にしっかりと見た。

 

私は何でも経験できることはしないともったいない、と思う方だった。

 

どうせ内臓類は嫌いで食べられないから見ても平気だ。

 

牛レバーと同じような色の人間の内臓の一部を初めて直接 

 

みたが、こんなに取っても大丈夫なんて動物の身体って凄い

 

なあとおもった。ぽっかりと、10円玉ぐらいの穴が開いていた 

 

のを見せながら医者が説明していた。 


  


父が十二指腸から胃の3分の1までを切除する手術をしたのは、

 

私が彼と付き合いだしてちょうど1か月後だった。 

 

まだ2・3回しか会ってなかったが、父の入院によって毎日 

 

病院へ会いに来てくれたのである。いつも夕方6時~7時の間

 

に来てくれたので、私の夕食を運んでくれたようなものだった。 

 

この看病のおかげで私と彼はかなり親しくなれて、

彼の思いやりを、めいっぱい感じることができた。

 

 

 

 

私は看護はもう手慣れたもので、若干、はたちの娘が目にする

 

にはどきどきするだろうものにも不思議なことに、思ったほど 

 

でもなく、やはり私は看護婦に向いているのかも知れない、

 

なんて思っていた。初めて接するものに戸惑いを感じながらも 

 

父はどう思っているのだろうなんて考えが脳裏をよぎった。

 

  しっかし、男性のはやりにくいなあ~。   

 

          小はめっちゃ、簡単なんだけど・・・・・

 

ちょっと、いたずらごころで聞いてみた。ちょっとつまんで・・と。

 

「こんな持ち方したら気持ち悪くない?」

 

「ぜんぜん!!」 

 

「あっ、そう!!」  (まるで無反応!つまんない~~)

 

 

 

私と父もこの看病で親子以上の親子を感じていた。    

 

 

 

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 つづく。。。

 

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さっちゃんと父 ★ 17 ★

2008年08月16日 22時32分32秒 | 実家の想い出

帯ちゃんシリーズ、第三弾!

今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。

開心見誠の結果、さっちゃんはようやく、父親と心が繋がったのでした。

・・・そして・・・、言いたいことぶちまけたのでした。

引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。

 

 

≪其の17≫ 重荷の言葉

 

「なんでお母さんとわかれへんかったん?何度も同じ目に

 

あって・・・私は毎日喧嘩をするより別れてほしかった。

 

別れても親は親だからね、私にとっては・・・。」

 

 

「何言うてんねん。お前がおるのにそんなことでけへんやろ!

 

お前のため、幸子がいたから我慢できたんや。」

 

 

「それっ!その言葉が嫌やった。お前のため、お前のため・・・。

 

何でもかんでもお前のため!私のために自分のしたいことが

 

できない。って言ってるように聴こえるんや。」

 

 

「・・・そんなこと思てへん!」

 

 

「じゃあ、誰のためよぉ!!」

 

 

「・・・・・・。」 

 

 

私は父に 言って欲しい言葉 があったのだ。

 

なんとかしてその言葉を引き出したかったのだ。

 


  


東京から帰ったその日、遅くまで父と語らった。

 

こんなにいっぱいしゃべったことはないぐらい話をした。

 

父は私が家出をするのではないかと懸念していたらしい。

 

いつかは言おうと思っていたらしいが、ついついそのままできた

 

ようだ。小学生の時、何かの書類で養女とみたことがある。

 

その時、おバカな私は父の言うことをそのまま信用していた。

 

 

「これはな、親が養ってる女の子やから養女って言うねんで。」

  

父はこのあといつか言わねばとおもったらしい。

 

だったら、早く言っておくれよ!!

            

              そしたらこんなに悩まなくても良かったのに・・

 

その頃はTVドラマでよく秘密を知った子供がぐれて不良になって

 

いく、あるいは家出をするとかいうパターンが流行っていた。

 

 

私は逆にあり得ないやろと思って見ていた。

  

今までお金をだして育ててくれて有りがたいと思わんか?

 

 

と冷めた目でみていた。少しでも恩返しするのがあたりまえやろ!

  

なんて気持ちがあった。そのため、高卒で就職の道を選んだ。

 

 

 

 


「そういうなよぉ・・。お母ちゃんはあれでもいいとこあったんやから。」

  

・・・ おっ、やっときたかぁ~、あともう少し・・・。

 

 

「ねえ、お母さんとは見合いやったん?」

  

「ちょっとややこし~ねんけど、嫁さんにしてと言われたンは、

 

違う彼女で、お母ちゃんはわしが好きやってん!」 

  

・・・ おお~~、硬物だと思ってたけど、 

         お父さんにもそんなことあったんだぁ。

 

嬉しくなってきた。こういうこと話している父が素敵なんて思ったりした。

 

「今は・・??今はどうなん?」

 

「う・・ん。好きやったんやなあ!そうか。。。」

 

 

やった!!私はこれが聞きたかったのである。

  

と同時に、重荷の言葉から解放されたのであった。

 

 

「やっぱり、自分が好きやったから別れへんかったんやろ!」

  

 

 

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つづく。。。

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さっちゃんと父 ★ 16 ★

2008年08月07日 15時04分05秒 | 実家の想い出

帯ちゃんシリーズ、第三弾!

今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。

さっちゃんは、幼い頃から疑惑を持ち続けていたのです。

それを聞くため東京へ。 ・・・はたして・・・・・

引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。

 

 

  

≪其の16≫ 開心見誠


「僕らみんないとこの中でさっちゃんが一番心配やねんで。なあ、姉ちゃん。」 

 

「そうやそうや。いつも大丈夫やろかっていうてんねんで。」 

 

「ただいま~。」 

「あ、ほら、一番、さっちゃんのこと心配してる、いいなずけ が帰ってきたで。」

 

 

 

  

彼らはもともと、私の実家の駅一つ隔てた所に住んでいた。

 

 

そのころからなぜか一番下の二つ違いのいとこと仲がよく、 

 

周りの兄弟たちが彼氏ー!彼女ー!とはやし立てていた。 

東京へ来て、初めてなぜだかがわかった。 

 

「さっちゃんのお母ちゃん、よお言うとったで。 

 

結婚してくれたらいいなあって。私らに頼むでー。って。」 

 

ぇえええ、うそ~~!聞いたことないで~そんなこと。 

 

ーーー初耳だった。母がそんなこと言っていたとは。

  


 


 

次の日、いとこ達は、東京タワー、浅草雷門、浅草花屋敷など、 

ここぞ東京というところに連れってってくれた。

結局私は年上のいとこに、聞けなかったのである。 

楽しすぎたことがひとつ。

おお兄ちゃんと二人っきりになれなかったことがひとつ。 

近所の飲み屋さんへ連れて行ってくれたことがひとつ。

あっ、もちろん私は未成年だからジュースだけどね。 

姉が、そこのマスターとそろそろ結婚するらしいと紹介された。 

お目出たい話を聞いたことがひとつ。 

とてもとても自分の話ができる雰囲気はなかった。

それに一生懸命私たちを楽しませようとしてくれている、 

いとこたちの誠意を潰す訳にはいかなかった。

 

 

  

 

我家へ帰るまでの山の上り道。 

 

誰もいない。夜も遅い。途中の電灯もない。

ここまで上ってくるともう邪魔をするものはいない。

思いきって私から父へと、きりだしたのだった。 

自然に・・自然に・・どうってことないようにさぁ・・・笑ってさぁ

・・いや、笑っちゃあダメかな・・え・・とぉ・・ 

「なあって、お父さん。もういい加減話してくれる気ないのぉ?」

「何いうてんねん?何の話や??」

「東京の兄ちゃん達に聞かれへんかってんもん。」 

 

「・・・・・・・・・・・」 

 

「もう、嫌やしー。別に聞いたからって、私は変わらんよぉ。 

変わるはずないやんかー。家出なんかせえへんしー。

そんなアホちゃうで~、私。 

 

・・・お父ざんぼっどぃで、出れるばげだいやん。

 

ぞんだぎぼうぢゃちゃうじ~。」 

(エーン、なにしゃべってるかわからんやん・・)

 

 

ずるずる、ダ~~~~~

   (おっ~~と、鼻が~~、ティシュか、ハンカチは?っと)  

「ほい、ハンカチ!」  

   (なんでもっとんねwん!!いつも持ってないのに!)

 

 

「もう、騙されるのは嫌やねん!!嫌やねん!!」

 

 

 

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 つづく。。。

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さっちゃんと父 ★ 15 ★

2008年08月02日 21時30分00秒 | 実家の想い出

帯ちゃんシリーズ、第三弾! 

今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。

 

さっちゃんは、幼い頃から疑惑を持ち続けていたことがあったのです。 

誰にも言えず悩んでいたこと、・・・それは・・・・・

 

引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。

 

 

≪其の15≫ 長年の疑惑

  

私には、記憶のない空白の5年間がある。

それは、おぎゃあと産まれ落ちてからの引き取られるまでの間。 

本当に病気だった母の姿は写真があり何枚もみせてくれた。

私より年上の親戚の彼らの写真も沢山あるのである。
 

私は・・・というと、5歳からの写真しかない!
 

 

家を建てている時からの写真・・・ 

私は自分から親に何も聞かなかったが、何かを察してか父は、


「お前の写真はな大きな台風があってな。そん時みんな
 

流してしもたんや。確か、伊勢湾台風やったかな」 


私が幼い時からそういっていたが、なんとなく腑に落ちな

かったのである。普通の台風でも被害があるからそれは 

気にしなくて、少しは忘れていたのだが・・・

やがて、だんだんと不可思議に感じて、私の心の中を 

ぐるぐる廻っていた。誰にも言えなかったのだ。

なんと、11年間もの長い間、悩み続けたのである。

『伊勢湾台風』 ちょうど私の誕生日前後のことである。

  

  

母を亡くしたその年、私は、東京のいとこ(父の兄の子)たちに

誘われて、父と東京へと物見がてら、遊びに行くことになった。 

4人兄弟のいとこは、長男とは15ぐらい離れていたのかなあ?

ゴールデンウイークというのに突然の旅になったにも関わらず、

いとこたちは私たちに休みを合わせてくれて、富士急ハイランド

へとドライヴして連れてってくれたのである。 

父は兄に次いつ会えるかわからぬということを思っていたようだ 

 

が、私は、年上のいとこに聞いてみたかったことがあったのだ。

 

 

 

 

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ソラログ

撮影:まーきー様

 

 

 つづく。。。

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