さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

御訪問者の皆様へ

ようこそ、いらっしゃいました♪ いつも御訪問頂きありがとうございます。 訳あってコメント欄閉じていますので、《おしゃべり広場》は閲覧のみとなっております。 本年もよろしくお願いします。

      

地名「大阪」とは≪1≫津国(つのくに)

2011年08月21日 13時34分00秒 | 姓氏/珍姓・難姓・奇姓/地名

 ~地名「大阪」とは~

≪1≫ 津国(つのくに)

☆『古事記』
  畿内には大和(倭)・河内(川内)山代(山背・山城)の国名がみえる。
  かつては、河内・和泉は摂津の国に含まれていた。

 

☆『日本書紀』
  応神紀四一年二月条、『舒明紀』=三年九月条に「津国」と記載有り。
  「津の国」→港津(難波津・武庫津)があることから。

「摂津職(せっつしき)」・・・初見は壬申の乱(672年)後の天武朝頃

【和泉国】 
  霊亀二年(716)
  現和泉市(茅渟宮)に河内国大鳥・和泉・日根の三都を割いて
  和泉監(いずみげん)と称し、特別の行政地域を置いた。
  一時は河内国に復したが、天平宝字元年に分立。

  「和泉」 = 「出水」の意
  泉井上神社境内に「出水(いずみ)」という清水井を伝承。

【河内国】 
  『古事記』・・・「凡(おふし)河内」
  『日本書紀』・・・「大河内」

  「凡」「大」は美称
  ※「大野」「大内山」「大原」「大丹穂」「大身狭」などの「大」も一種の美称

和銅官命によって地名の二字・好字化
  「出水」 → 「泉」 → 「和泉」
  「凡河内」「大河内」→広い河内(汭)の意を避けるため「凡」「大」を省略

  ※「河中」を「高知」、「上河内」を「上高地」なども好字化

【難波】 
≪ナニワは国の名ではなく、地方的な郷(くに)の意味≫

  「浪速」「浪華」とも書く。

  『万葉集』・・・「魚庭(なにわ)」とあることから、
        魚が多くとれる海に面しているという説がある。

  『日本書紀』・・・「天皇、難波の碕に到るとき、奔潮(はやきなみ)有て
        太(はなは)だ急(はや)きに合ひぬ。因りて名づけて
        浪速(なみはや)国と為す。また浪華(なみはな)ともいふ。
        今、難波(なにわ)と謂(い)ふは訛(よこなま)れるなり。」

※意:「天皇方の船がこのあたりに来た時、潮流がはなはだ急であった
   ので、“なみはや”とか“なみはな”と名づけたのであるが、いま
   “なにわ”といっているのは、それが訛ったものである。」

  『欽明紀』二三年条の歌
    ・・・「韓国の城に立たし、大葉子は領巾振(ひれふ)らす見ゆ、
      那爾姿(なには)へ向きて…」

  『万葉集』・・・「おしてる難波の国…」「難波の院」
  『仁徳紀』・・・「難波津」「難波の堀江」
  『推古紀』・・・「難波の荒陵」
  『孝徳紀』・・・「難波の長柄豊碕宮」
  『仁賢紀』・・・「難波小野」

 

   


関連obiログ過去記事はこちら→
『二字化地名』(2011.6.1 記) 

 

 

  『大阪地名の謎と由来』監修: 池田末則 参照  

 

 

 

 

 

 

ご訪問の記念に、1クリック募金のご協力を!
       ↓↓↓
 クリックで救える命がある。 
 いつもありがとうございます!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リンク