今までに私が係わった中で一番覚えているホームルームの過ごし方、
それが中学1~2年の2年間、担任を受け持って頂いた先生の時の事。
毎日の帰りのホームルームたった5~15分ぐらいでしたが、
明日の連絡もそこそこに、何をするかと思えば
毎日、いろいろな歌を歌わされたことがあります。
学校で習わない歌もまだ生まれてないやろという歌もあって、
なんで知ってるのかな?っていうのが多いです。
未だに口ずさめてしまいます。
昨日、図書館で見つけた本に何曲かあり、思いだしてしまいました。
『知ってるようで知らない 音楽おもしろ雑学辞典』
著者:長田暁二
「我は海の子」
我は海の子白浪(しらなみ)の
さわぐいそべの松原に、
煙(けむり)たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家(すみか)なれ。
生れてしおに浴(ゆあみ)して
浪(なみ)を子守の歌と聞き、
千里(せんり)寄せくる海の気(き)を
吸(す)いてわらべとなりにけり。
高く鼻つくいその香(か)に
不断(ふだん)の花のかおりあり。
なぎさの松に吹く風を
いみじき楽(がく)と我は聞く。
作曲者:不明、作詞者:宮原晃一郎
昔は作詞者も不詳でしたけど、
1989年(平成元年)5月、解かったようです。
「苫屋(とまや)」「不断(ふだん)の花」「浴(ゆあみ)」「いみじき楽」
などの詞は死語のようなもので、子供の生活に馴染まないから、
あるいは7番の歌詞が海軍将兵に憧憬持たせるために作られた
から良くないとかの理由で、共通教材からはずされたようです。
森繁久彌さんは「苫屋がわからなきゃ先生が教えてやりなさい。
私たちが住んでるこの1DKみたいな家を昔は苫屋と言ったのよと、
子供はすぐ理解します。」と憤っておられるとのこと。
戦争は現実に起こったことなのだから、こんな歌を歌いながら、
海国日本の保安を守ろうと意気昂揚としている歌だったんだよと
教材として教えていく方が、戦争を知らない子供たちへの教育に
なると思うんですけどね。また、じいちゃんばーちゃんたちとの
係わりが持てて、心の豊かな優しい子供たちに育ってゆける
のではないかと思いますね。
長崎や広島などでは、戦争風化はあり得ないでしょうが、その他の
地域では、子供たちにしてみれば、当たり前に忘れていく気がします。
学校の授業より、普段口ずさむ歌がどんなに心に残るか・・・
今、ほとんどの文部省唱歌が教科書から消え去り、
新しい歌が多いようです。
戦争を教えない大人たちになっていってますね。
私は、子供の頃、父から教えてもらいましたね。
もちろん、父も戦争は知りませんが過去の事実として自分も学び、子供にも教えたかったようですね。
昔のフィルムで映像を見た事もあります。
その他の事も、教えてくれましたね。
私は、たくさん、質問した記憶があります。
逆に、母は反対してましたけど子供なりに関心をひくようになりましたね。
良い悪いは、それぞれの価値観があるけど結果的に私にとっては、良かったと思っています。
いろいろな方々とお話する機会にも恵まれましたから。
何事も、隠すものではなく事実を教えてゆくのも大切と思います。
時に、戦争映画なども美化されただけであって
その裏側に起こったことは伝え続けてゆく事が大事だと思いました。
森繁さんの言われるてることに同感ですね。
懐かしく思い出します
唱歌では好きな歌です。
歴史の勉強って、教科書を読むだけだったように思います。だから苦手でしたね。
教科書上だけの勉強は本当の悲惨さなど伝わりませんしね。
私の父は戦争経験者でしたね。
貴重な体験談をいろいろ教えてくれました。
思えば、担任の先生も戦争に関係ある歌ばかり教えてくれていました。
当時は変わった先生だなと思ってましたけど、未だに覚えているなんて凄いと自分でも思います。
歌って教え安く覚えやすく、興味がひかれますが、習った歌が無くなっていくのは寂しいですね。
本当に戦争のことを教えない大人になって行ってますね。
これは小学6年生で習っていた歌です。
唱歌って私も好きなんですよ。
全国的に年代も関係なく歌える歌は残しておいてほしいものですね。