【梵語 samraj ・チベット語 samlarjas】
サムライといい、王者・武士を意味する。
稲水(いなひ)命は「古事記」によっても、
海に入り鉏持(さひもち)命になったとある。
これらのサム・サヒは、剣・刀の義で、それを持っている者のことになる。
「さぶ」・・・「覚む・醒む」に関連する内容を含む語
「さぶろう」・・・「伽」の本義に通じるもの
そのもののそばにくっついていて邪霊が犯さぬように
心配りをし、命令に応じてどんな呪法でも、作法でも
行える態勢をとっていることをいう。
自然と敬語・丁重な味がつきまとう。
☆「紫式部日記」
「よゐの僧のさぶらふ御屏風をおしあけて、
この世にはかうめでたきことまだえ見じと言ひ侍りし」
夜中護身役として勤める僧が同候しておられる御屏風を開けて、
「この世でこんなに立派なものはご覧になったことがありますまい」
☆新潟県東蒲原郡地域
毎年付きまといやってくる台風を、藁人形であらわし、
「サブロウドノ」と呼び、6月27日に村はずれで各家から
子供も大人も出て、コウセン(麦こがし)を供えて祭るのも
邪霊除却の心からの態勢が感じられる。
≪男文と女文≫
この「候」の多くなってきたのは流行の一つで、
古いもの・正統のものほど少ない。
「女文」の流行につれて――
男名であっても女房宣(女房が書いたもの)は、「さぶろう」を
語尾に洒落・気分的につけたのを、男子がマネをし増してきて、
軽い対話的な味を感じさせた。
元来、気張った古風な堅さが、「そろ」といいたくなる慣れ親しむ
消息文・会話体―口語体の砕けたものに変わったのである。
その一方には、
「御座り奉る」式の男文が固い文語体の候文になったのが、
往来文の「候」は剛直な一定の型を作り、女文のは、
「一筆しめし参らせ候」にはじまり、懸想文も一定の型を、
やはり律文的な柔軟な味を含めて保っていたのである。
『日本民族語大辞典』石上堅:著 参考
なんと!!
サムライという語も始まりは仏教語からだったのね~、驚きでした!
「候文は日本語ですョ。」と昔、師匠がおっしゃっていました。
なるほどね~♪
男性が想いを寄せる女性に出す恋文にはやはり
優しく聞こえる柔らかい言葉が必要だったのでしょう。
流行るものってやはり今も昔も似てるのですね~♪