【瓶原(みかのはら)】
京都府の南端に位置する木津川市に、瓶原村があった。
現在は俗称になっている。
瓶原公民館がある正式名称は、加茂岡崎。
現在では「みか」とはいわず、
「瓶」=「甕」=「かめ」と読むことが多い。
古代人は、美しく流れる川を「御河(みか)」と呼んだ。
その川沿いにひらけた原野に、「御河之原(みかのはら)」と地名をつけた。
川の流れ込む形が甕(カメ)に似ていたからという説もある。
瓶原は、東西に流れる木津川沿いにひらけた土地で、
古代には、草花が咲き誇る風景が開けていたであろう。
そのあたりで伊賀街道と信楽街道が分岐していた。
聖武天皇がそこに恭仁京(くにきょう)をおいて生活していた
時期がある。(740~744年)
「三日原(みかのはら)、布当(ふと)の野辺を清(すが)みこそ、
大宮処(おおみやどころ)定めけらしも」―― 『万葉集』
恭仁京の穏やかな風景は天皇の心をなごませていたらしい。
布当とは瓶原の近くを流れる布当(ふたぎ)川にちなむ。
しかし、恭仁京は交通に不便だったこともあり、
国政の地に相応しい平城京に戻って行った。
≪実在の名称と学問上の名称≫
「みか」と「かめ」についての私のブログ参照→ こちら
『意外な歴史が秘められた 関西の地名100』 竹光誠:著