帯ちゃんシリーズ、第三弾!
今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。
さっちゃんに、とうとう彼氏が、と思った直後父の看病!
しばらく会えないと思っていたのですが・・・・・
引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。
≪其の18≫ 父の看病
「ごめんねぇ~!そんなに毎日来なくてもいいのに~。」
「気にせんといて。僕が来たいだけやから。」
「私ならちゃんと食べてるから大丈夫だよ。だってさ~、
お父さんの前で食べやんと心配や、っていうんよ。
今、私の夕飯。サンドイッチ食べてるねん。」
「ええって、ええってそのまま食べとき。はい、マクド!
後でお腹すいたら食べな。」
「ありがとう!もうちょっと待ったらよかったね。
後で食べたら太っちゃうな。朝食べてくわ。」
「ええでぇ~少々太っても!今はしっかり食べる方が先決や!」
ちょっと~~~こっちはよくないんだよ。
ただでさえぽっちゃり~してるんだから・・・
父が胃痛がすると言いだし病院で検査すると、十二指腸潰瘍
だった。手術で摘出したものを家族に見せるという。
やはり証明するためにみせるのだろうか?なんて考えながら、
叔父が見やん方がええで、というのを横目にしっかりと見た。
私は何でも経験できることはしないともったいない、と思う方だった。
どうせ内臓類は嫌いで食べられないから見ても平気だ。
牛レバーと同じような色の人間の内臓の一部を初めて直接
みたが、こんなに取っても大丈夫なんて動物の身体って凄い
なあとおもった。ぽっかりと、10円玉ぐらいの穴が開いていた
のを見せながら医者が説明していた。
父が十二指腸から胃の3分の1までを切除する手術をしたのは、
私が彼と付き合いだしてちょうど1か月後だった。
まだ2・3回しか会ってなかったが、父の入院によって毎日
病院へ会いに来てくれたのである。いつも夕方6時~7時の間
に来てくれたので、私の夕食を運んでくれたようなものだった。
この看病のおかげで私と彼はかなり親しくなれて、
彼の思いやりを、めいっぱい感じることができた。
私は看護はもう手慣れたもので、若干、はたちの娘が目にする
にはどきどきするだろうものにも不思議なことに、思ったほど
でもなく、やはり私は看護婦に向いているのかも知れない、
なんて思っていた。初めて接するものに戸惑いを感じながらも
父はどう思っているのだろうなんて考えが脳裏をよぎった。
しっかし、男性のはやりにくいなあ~。
小はめっちゃ、簡単なんだけど・・・・・
ちょっと、いたずらごころで聞いてみた。ちょっとつまんで・・と。
「こんな持ち方したら気持ち悪くない?」
「ぜんぜん!!」
「あっ、そう!!」 (まるで無反応!つまんない~~)
私と父もこの看病で親子以上の親子を感じていた。
【さっちゃんと父】読ませて頂いてます。
私は二歳の時に父の遠縁から養女に、そして十歳の時に事実を教えられました。
以前の回で【ぐれたりしなかった理由】を読み、同じ事を思っていたなぁと思い出しました。
私の中で不良は美しくなければ!という考えがあったので(笑)、おブスな私にはムリッとも思ってたんですが…
私の結婚した年に母が亡くなり、その後、父とは同居しています。
父は今ホスピスに入院しているのですが、私は付き添いを断られました。
数年前から親しくなった方が毎食来ているからです。
うちの父は、昔から男を優先させるので仕方ないとあきらめてはいますがね…
長文になり失礼しました。つづき、楽しみにしています。
また、私の記録を読んでいただき、更には共感するところもあるとのこと嬉しく思います。
父は大正生まれでしたが、硬物な割に気さくで物分かりが良い方でした。
付添いは私が小さい時からしていたのを見てくれていたからだと思います。
もしかして母の時羨ましいと思ってみていたのかもしれないなんて思っています。
私がするのが当たり前なんて気がしましたから。
ぢゃいさんはお父様とまだまだお話ができるのですね。
できるだけ会いに行って声掛けしてあげてくださいね。
ちゃんと心の中では喜んでいらっしゃるとおもいますよ。
この言葉は、何故か、ものすごく好きなんです
>私と父もこの看病で親子以上の親子を感じていた。
んn~ なるほど
obichanさん は 苦労人だから、どんな条件にも耐えるんですね。
素晴らしいことです。
”めいっぱい”って、あふれるほどの、表面張力ぎり
ぎりって感じするんです。だから私も大好きです。
私はその時々の状況を受け止めて、良い方へと行く
ように物事を考えるようにしています。
まずマイナス面が頭を一杯にしますが、その経験が
したことない経験なら有りがたいことなんです。
それはラッキーなことなんです。
私の辞書には”不幸”って文字はないのです。
「不幸=幸福への第一歩」そう思っています。