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【 八坂神社の由来 】
平安京遷都以前東山一帯に住んでいた渡来人の八坂造
(やさかのみやつこ)の氏寺に起源する。(八坂神社由来より)
八坂神社はながらく、「祇園社」「感神院」などと称したが、
明治維新の神仏分離にともなって、「八坂神社」と改称した。
八坂神社公式HP→ こちら
(伝説)
八坂氏の祖先、伊利之使主(いりしおみ)が、656年に朝鮮半島から
移住してきて新羅の神をまつった。この新羅の神がのちの素戔鳴尊
(すさのおのみこと)と同一の神様であるとされ、これが八坂神社になった。
この伝説により祇園信仰の本社争いなるものがあったらしく(今も続いて
いるのかな?)、広峯神社(姫路市)の記事に祇園信仰の本社争いのこと
が書かれている。(姫路市)広峯神社記事はこちら→ ◎京都・八坂神社との関係
(戸原様HPより)
【 八坂 】
八坂神社や八坂の塔がある京都市の東側の山麓の一帯。
古代には「愛宕(おたぎ)郡八坂郷」と呼ばれていた。
現在では東山区に、八坂上町の小地名(町名)だけが残っている。
≪大和時代のやさか≫
古代には、八坂氏という中流豪族に支配されていたが、
八坂の地名は八坂氏にちなむものではなく、呪術的な意味をもつもの。
説1)坂を下ると異界に入り込むことがあるという迷信から
坂の多い東山山麓地帯を異界に繋がる地で「八坂」。
説2)様々な悪霊を鎮魂する地が「やさか」
「安らかに魂を休息させる処(ところ)」が「安息処(やさか)」。
かつて東山山麓で、人々に災いをなす霊魂を集めてしずめる
まつりが行われて来た。そのため「安息処」と名づけられ、
読みやすい「八坂」の表記になったという。
【 八坂の塔 】
古くは八坂寺と呼ばれたが、聖徳太子が建立したものとも
八坂氏がひらいたものとも伝えられている。
八坂寺は古代の大寺院だったが、平安時代に有力寺院どうしの
抗争にまき込まれて消失した。
その後、臨済宗(鎌倉時代の禅宗の一つ)の寺院として
永観寺(えいかんじ)と改名された。
何度かの焼失と復興を繰り返したのちに、1440年に建てられた
八坂の塔 を残すだけになってしまった。
『意外な歴史が秘められた関西の地名100』 武光誠:著参照
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