お気楽忍者のブログ 弐の巻

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日本遺産 福地城跡へ

2023年01月24日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記4

1月21日

三重県伊賀市柘植にある福地(ふくち)城跡へやって来ました。

伊賀・甲賀の忍者にまつわる史跡や建造物、史料は2017年に日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀 -リアル忍者を求めて-」に認定され、この福地城跡も「中世の伊賀城館群と天正伊賀の乱激戦の城跡」としてその構成資産になってます。

・・・で、これどっちの道へ行ったらいいの?(爆)

 

やや急な登り坂をえっちらおっちら上っていくと前方に開けた場所が見えました。。

これは伊賀国出身の松尾芭蕉翁生誕360年記念モニュメントだそうです。

史跡 福地城跡に到着!

日本遺産の構成資産には数年前からご覧のような案内パネルが設置されるようになりました。

城主の福地氏は平清盛の末裔を称した土豪で柘植の有力な氏族でした。祈願寺は先に紹介した長福寺(現 萬壽寺)で、本尊の地蔵菩薩の内部から発見された南北朝時代の文書に「ふくちの御てら」とあったそうです。

天正9年(1581年)に織田信長が伊賀を攻めた天正伊賀の乱では福地伊予守宗隆が織田勢に加勢して勢力を拡大しましたが、翌年の本能寺の変で信長が討たれると、伊賀衆の残党に裏切者として攻められ、国外へ逃亡しました

過去記事<松尾芭蕉ゆかりの萬壽寺へ


本能寺の変によって泉州堺から伊賀を越えて三河に脱出した徳川家康ですが、前年の天正伊賀の乱によってこの地域は信長に対する反抗心が強く、かなりリスキーな場所を通っての逃避行だったと思われます。

服部半蔵とその配下が家康を警護したとされていますが、これは後世の作り話だとも・・・。

過去記事<神君伊賀越えゆかりの徳永寺

福地城主郭の入り口である虎口には石垣が残ってます。

城跡は芭蕉公園として整備され、松尾芭蕉の句碑や東屋がありました。

東屋にこんなものが

この木箱に俳句を書いて投函すると、定期的に回収されて、優秀な作品には記念品が贈られるようです。

福地城跡のそばに芭蕉窯なるものがありましたが、詳しいことは分かりません。

伊賀は伊賀焼でも有名ですからね。市内各地に窯元があります。

 

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