お気楽忍者のブログ 弐の巻

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忍者の里のトリックアート駅

2019年12月02日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記3

管理人の地元、滋賀県甲賀市。

滋賀県の南で三重伊賀市と接し、鈴鹿山系南端の西側に位置してます。

甲賀と言えば忍者ってことで、2017年には『忍びの里 伊賀・甲賀 ~リアル忍者を求めて~』として日本遺産にも認定されました。

さらに同年には信楽焼(甲賀市信楽町)も『きっと恋する六古窯 ~日本生まれ日本育ちのやきものの産地~』として日本遺産になり、地元ではダブル認定に沸きました

その甲賀市甲賀町の中心部にあるJR草津線 甲賀駅。

2005年に建て替えられた駅舎では様々な忍者のトリックアートが観光客を迎えてくれます。

この前で写真を撮って、写真をひっくり返すと天井からぶら下がって見えるというトリックアート。

階段の踊り場にあるトリックアート。

忍者がぶら下がるロープにつかまるようにして写真を撮ってみて下さいね~。

ベンチもご覧の通り、忍者に肩を抱かれて写真を撮ってはいかがでしょうか(笑)

石垣をめくると、隠れていた忍者がっ 顔出しはNGのようですね~(笑)

因みに甲賀は「こうが」じゃなくて「こうか」と読むのが正解です。

どうしても伊賀(いが)のイメージがあるから「こうが」って思っちゃいますよね。

本来は伊賀も甲賀もお互いが連携してこの地を守り、治めていたのに、甲賀忍者っていうと悪者忍者のイメージがありますよね。。。

忍者ハットリくんのライバル、ケムマキの影響かな・・・

駅前にある甲賀忍者像。

忍者の実像は伊賀衆、甲賀衆と呼ばれた地侍たちで、戦国時代初期はこの地域を治める大きな力を持った大名が居なかったことから、高度な自治組織が発達していました。

「午前中は家業に励み、午後は軍術、兵道の稽古をした」と伊賀記に記されており、いざ戦となれば村に鐘が鳴り響き、百姓からお坊さんに至るまで、それぞれが得意の武器を持って戦うことが掟であったと云われています。

信長や秀吉、家康のような強大な権力が出現してからは、各地の大名に仕えて活躍し、本能寺の変の際、堺から三河に脱出する家康を伊賀衆・甲賀衆が警護したという伊賀越えの話は有名ですね。

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