8月12日
滋賀県甲賀市甲南町にある天台宗清涼山明王寺(みょうおうじ)訪問記の2回目です。
延暦年間(782-806年)に伝教大師最澄が比叡山延暦寺諸堂建設のための用材を求めにこの地に入り、里人が悪病に苦しんでいることに心を痛め、一刀三礼のもとに五大明王を刻まれてこれを安置すると里人の病が平癒したと云われています。
後に堂宇を建てて、五大明王を祀ったことが明王寺の始まりと伝えられているそうです。
古い謂れのあるお寺ながら、境内はとても綺麗に整備されていて、池をいくつも配置した回遊式庭園は見事でした。
モミジの木が多かったから、秋の紅葉シーズンに来ても素晴らしい景観だと思います。
本堂
本堂前にはこんな看板がっ!
そう、明王寺はNHK大河ドラマ『どうする家康』の第29回「伊賀を越えろ!」(7/20放送)の最後に流れた「どうする家康ツアーズ」のコーナーでも紹介されたお寺でした。
本堂に祀られた本尊の五大明王
中央が不動明王。その左右に大威徳明王、金剛夜叉明王、軍荼利明王、降三世明王が配置されていますが、本来は東西南北を守護するお不動さんのようですね。
そして、徳川四代の将軍の名が刻まれた位牌の写真
信長が京で光秀に討ち取られ、大坂堺から伊賀を通って鈴鹿の海に出て、船で三河に脱出した家康の神君伊賀越え。
信楽多羅尾の小川城や加太峠の麓の柘植徳永寺に立ち寄ったことは分かっていますが、その間のルートは不明な点が多くあります。
昭和40年に空き寺となっていた明王寺に入山した住職が埃をかぶったこの位牌を見つけ、4代将軍 家綱の御代の検地記録にこの場所の不動堂が幕府から山や境内を拝領した記録があることも分かりました。
このことから、お不動さんを祀るこの場所は家康の伊賀越えに何らかの関わりがあり、もしかしたら多羅尾からダイレクトに伊賀に入るのではなく、一旦 甲賀に入るルートを通ったのかもしれません。伊賀は信長に対する恨みが渦巻く場所ですからね。
過去記事<神君伊賀越えゆかりの徳永寺へ>
※位牌の拝観には予約が必要のようです
少し丘になった本堂から眺める景色はまさに清涼山の山号に相応しい景色でした。
いにしえとモダン、そして歴史ロマンを感じる明王寺を紹介しました。
帰り道、明王寺近くのへら釣り堀
クソ暑いのに釣り人は根性があります
ホテイアオイ(布袋葵)が咲き誇って水面が見えないため池
とても綺麗な花なんですが、繁殖力が強く、他の水草を駆逐してしまう外来種ってところが微妙です。。
過去記事<天台宗明王寺(1)いにしえとモダンの古刹>
よろしければ、応援クリックお願いします!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます