12月29日に訪れた滋賀県蒲生郡日野町にある日野城(中野城)跡。
織田・豊臣方の戦国武将 蒲生氏郷の居城でしたが、1595年に会津黒川城主になっていた氏郷は京都で病死。1600年の関ケ原の戦いの後に日野城(中野城)は廃城となりました。
写真は藩主 市橋家邸跡
江戸時代に入った天和6年(1620年)に越後の大名 市橋長政が日野城(中野城)址に入って陣屋を構え、仁正寺藩1万8千石として、明治維新まで市橋家が藩主を務めました。
西大路藩 藩庁跡
日野城(中野城)址には仁正寺藩の藩庁が置かれ、その仁正寺藩は文久2年(1862年)に西大路藩に改名したそうです。
明治維新で廃藩となり、藩主と家臣は東京へ移住。藩庁の建物は大正5年(1916年)に京都の相国寺へ売却され、今も相国寺林光院でその姿を見ることができます。
相国寺は京都御所の北、同志社大学のそばですね。
日野川ダムの造成によって土塁の多くは壊されてしまいましたが、今も本丸跡や横堀の一部、そして石垣が残されていました。
石垣を上がると上には涼橋神社と稲荷神社があります。また、この場所は映画『るろうに剣心 -伝説の最期編-』のロケにも使われました。
【るろうに剣心×滋賀県】ロケ地めぐり~始まりも終わりも、この地から~ 滋賀ロケーションオフィス
2分10秒から日野城跡や油日神社ロケのシーンがあります。
享保5年(1720年)に藩邸の庭だったこの地に創建された涼橋(りょうきょう)神社は、藩主 市橋家の氏神で、六孫王源経基(源氏の祖)を祀ります。
また、一説では寛文6年(1666年)に毒殺された藩主 政房の怨霊を鎮めるために建てられたとも云われています。
稲荷神社は涼橋神社より20年ほど前に京都伏見より勧請された稲荷社で、藩邸の裏鬼門封じの意味があったようです。
日野城(中野城)跡はこの「うなぎの本丸」さんの裏手にありました。
本丸さん横の一般住宅のド真ん前には、蒲生氏郷公産湯の井戸もありました(笑)
おしまい
過去記事<日野城跡探訪(1)>
よろしければ、応援クリックお願いします!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます