第78回 2014年12月23日 「きらめくガラスに 命を吹き込む~北海道 小樽のガラス~」リサーチャー: 豊田エリー
番組内容
北海道小樽市は、日本有数の手作りガラスの生産地。小樽のガラス製しょう油さしは、美しく、しかも“液だれしにくい”と大人気だ。実はこれ、高度なワザを持つ職人たちの一糸乱れぬチームワークによって作り出されたもの。さらに、「宙吹き」と呼ばれる技法によってどんな形も創造する熟練のワザ、魔法使いのように多彩な色を操るワザなど、一つ一つの器を、命を吹き込むようにして作っていく不思議と美に、豊田エリーが迫る。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201412231930001301000 より
北海道小樽市は、明治に入り、北海道開拓が本格化すると、北海道の玄関口として、また国際貿易の拠点として、北海道経済の中心的役割を果たしました。
小樽港では北海道の海運貿易拠点としてたくさんの物資が流通し、大正時代には積荷の運搬作業を効率的に行うために「小樽運河」が、そしてその運河沿いにはたくさんの木骨石造「倉庫」が作られました。
これらの「石造りの倉庫」は、夏は涼しく冬は暖かい上に防火性にも優れていて、現在も、その歴史を感じる風合いそのままに施設や店舗として活用され、小樽の重要な観光資源となっています。
1.液ダレしないガラス醤油差し(北一硝子)
小樽を代表するガラスブランド「北一硝子」は、第三号館など硝子器ギャラリーの他、レストランやカフェなどを市内に17店舗展開しています。
「北一硝子」の前身「浅原硝子」が誕生したのは、明治34(1901)年です。
石油ランプや漁業用浮き玉の製造販売を手掛け、その後も、小樽近代の歴史と共に成長してきました。
昭和46(1971)年に社名を現在の「北一硝子」に変更し、ガラス製の石油ランプを店頭に並べると、お土産として持ち帰った石油ランプがインテリアとして好評で、その評判は瞬く間に全国に広がっていきました。
更に1980年代に始まった小樽運河の再開発に伴い、明治24(1891)年に建てられた漁業用倉庫を、観光客向けの常設ギャラリーに改装し、照明の製造販売業からガラス器の販売業に転換すると、大きく人気を博しました。
現在、国内外のガラスメーカーや商社商品の仕入販売に加え、自ら企画する商品や傘下工場の運営の他、レストランやカフェ、また日本酒やワイン等の酒類販売なども手掛けています。
そんな「北一硝子」が作る「醤油差し」は、液ダレしないキレの良さから人気のイッピンです。
「醤油差し」だけで200種類以上あり、三号館そばには「調味料入れ専門店 さしすせそ」(現在、臨時休業中)も
あります。
番組では「醤油差し」を作っている工場が紹介されました。
「醤油差し」は、4人の職人が分担して1日に600個を手作りで作っています。
「醤油差し」は「型吹き」という製法で作られています。
竿の先にガラスを巻き取り、空気を吹き込んで金型の中で形を作る方法です。
金型を変えることで、手作りによる多品種生産が可能です。
「醤油差し」が液ダレしないポイントは「蓋」にあります。
蓋の取り付け担当の女性は、蓋がピッタリ合うようにすり合わせを行っていました。
職人がそれぞれ持てる技を盛り込んだ、チームワークのイッピンです。
北一硝子 北海道小樽市堺町7−26
2.浅原硝子製造所
小樽は古くから漁業が盛んであり、特に明治から大正はニシン漁の全盛期で、小樽では浮き玉製造を中心とするガラス工業が盛んでした。
しかしニシン漁の衰退によりその需要は減少傾向に。
全国各地にあった浮き玉を製造する工場は減少し、現在は国内唯一、小樽にある浅原硝子製造所だけです。
浅原硝子製造所明治33(1900)年創業、初代・浅原久吉が小樽市富岡町に硝子製造工場を開き、ランプや投薬瓶などガラス製の生活雑器を製造したところから始まります。
その後、漁業用の浮き玉を考案し、ニシン漁や北洋漁業に貢献。
漁業が盛んな頃は、浮き球を1日1500個生産したと言います。
その後、北洋漁業が縮小し、ニシン漁が衰退すると需要は減り、プラスティック製の浮き玉(オレンジ色のブイ)に変わって行きました。
それでも伝統を守り、小樽の硝子の浮玉製造の技術を後世に残すべく、今も、浮き玉を作り続けています。
小樽は石狩湾からの恵みである魚介類の宝庫として知られるとともに、寿司の街としても有名です。
小樽駅から運河へ向かう一角には、「寿司屋通り」と名づけられた20軒近く軒を連ねる通りがあります。
お寿司屋さんを訪ねると、小樽ならではのおもてなし。
ガラスの寿司下駄は小樽の海をイメージしているとのこと。
こちらの寿司職人さんは「小樽のガラスを使おうと、1枚ずつオーダーしている」とおっしゃっていました。
番組では、オーダーメイドのガラス寿司下駄を作った工房を訪ねました。
作家の浅原さんは「宙吹き」で様々な形を作り出します。
長さ1.3mのステンレス製の竿を操って、1200度で熱せられたガラスを「紙リン」でもって形を整えていきます。
「紙リン」とは、新聞紙を3枚折り重ねたもので、水の入ったバケツに入れて十分に湿らせてから手のひらに乗っけて、ゆっくり回して動かしながら柔らかいガラスを成形するのに使います。
ただかなり素手に近い感覚で作る事が出来ます。
3.新・小樽焼(小樽緑青硝子おたるりょくせいがらす)(「Kim Glass Design」ガラス作家・木村直樹さん)
木村さんは、小樽で親しまれていた「小樽焼」をガラスで再現しようと試みたのが「小樽緑青硝子おたるりょくせいがらす」です。
「小樽焼」とは、透明感ある青緑色の釉薬を特徴とする緑玉織部です。
昔は小樽市内に3窯あり、小樽市民に愛され親しまれ、どこの家庭にもあって使われていましたが、平成19(2007)年に後継者難から最後の窯が閉窯となり、107年にも及ぶ長い歴史に幕を閉じました。
「色ガラス」は簡単に言うと、普通のガラスに金属の酸化物を着色剤として使ったガラスです。
「色によってふくらみ方が違い、 寒色系は柔らかく膨らみやすい。
一方、暖色はかたく膨らみにくい」と木村さんは言います。
実際に比較してみるとその差は一目瞭然。
木村さんは、「見てくれる人に元気な気になってもらえると嬉しい」とおっしゃっていました。
Kim Glass Design 北海道小樽市祝津3丁目8 8番地
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Hokkaido/OtaruGlass_1 より
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