第249回 2020年3月31日 「組んで曲げて 暮らし豊かに~島根 組子製品~」リサーチャー: 佐藤藍子
番組内容
薄い木の板を組み合わせ、幾何学模様を作り出す「組子細工」。その伝統的な技法は障子や欄間など日本建築で活用されてきた。島根県には現代のライフスタイルに調和した組子細工を作る職人たちがいる。ランダムに散りばめられた組子模様が美しい屏風。華やかな光を放つ球体のランプシェード。木を曲げて大胆なカーブを描く照明スタンド。置くことでモダンで特別な空間を演出する、島根県の組子製品の魅力と職人技に佐藤愛子が迫る。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202003311930001301000 より
1. 「球体組子」(ウッドアート門脇・門脇和弘さん)
門脇 和弘(かどわきかずひろ)さんは、完全な球体組子を生み出した組子職人です。
高校卒業後、独学で組子職人を目指し、21歳から約3年間、奈良県の建具屋で修行を積み、島根へ帰ってから組子職人として建具の制作に勤しみました。
35歳の時に、組子の新たな可能性を探るため球体の制作を始め、約10年の年月をかけ、球体を完成させました。
目を引くのは美しい幾何学模様の数々で、「三つ組手」という模様を3つのパーツで表現してみせた。組子細工で大切なのは電動ノコギリで正確にパーツの溝を切ること。ちゃんと組むことができると、耐久性があるという。門脇氏は三ツ組手に小さなパーツを組み合わせ、麻の葉や花模様などを表現。直線で構成される組子細工で柔らかさ、温かさを感じて貰いたいという。
ウッドアート門脇 島根県伯太町井尻55
2.「神灯行灯」(多々納工房・糸賀祥子さん)
球形のランプシェード「神灯行灯」(かんなびあんどん)は、亡き多々納 弘光(たたの ひろみつ)氏が建具の伝統的手法である「三つ組手」を用いて、新たに生み出した伝統工芸品です。
「三つ組手」は、水平の線に斜め菱を組み合わせた文様で、葉物組子の地組に使用される基本的な組子に
なります。
糸賀祥子さんは、多々納弘光氏が80歳の時に師事。
多々納弘光さんの技術と心を受け継ぐ、唯一の弟子であり、「神灯行灯」(かんなびあんどん)を手掛けています。
「神灯行灯」(かんなびあんどん)は平面ではなく、球体の組子細工は唯一無二、多々納オリジナルの作品です。
まず、六角形の部品を20個作り、蒸し器で熱すると柔らかくしてから、ひとつひとつの木片を組み上げて球体に組んでいきます。
美しい幾何学模様の球体の組手(くで)の隙間から漏れる優しい灯り、ほのかに漂う木の香り、心に静穏の時間をもたらしてくれます。
糸賀さんは、多々納氏からは師匠を超えることが弟子の孝行だと言われたと言い、今日も、技術の継ぎ手として無心に作業に打ち込んでいます。
多々納工房 島根県出雲市大社町修理免597-1
3.吉原木工所・組子職人の沖原昌樹さん
島根県三隅町室谷地区は、周辺に「日本棚田百選」に選ばれた見事な棚田が広がり、日本の原風景を感じられる風光明媚な地域です。
「吉原木工所」は昭和32(1957)年創業。
副社長の吉原敬司(よしはら けいじ)さんは、これまで和室の障子や欄間といった建具の装飾に用いられてきた「組子細工」を現代風インテリアにアレンジした製品を作っています。
吉原敬司さんは、高校を卒業後、お父様の勧めで富山の組子職人のところで6年間修業しました。
「吉原木工所」はそれまで建具を中心に展開していました。
「吉原木工所」の看板に「組子製品」という文字が入ったのは、敬司さんが島根に戻ってきてからです。
その頃(2000年前後)は、組子細工はフェイクで、木製のように仕上げられたものが主流の時代で、また住宅も洋風化していて、日本の建具の需要自体がなくなっていて、会社の売上も落ち込む一方でした。
そんな頃、県職員の方の勧めで平成24(2012)年にパリで開催された「メゾン・エ・オブジェ」に出展しました。
その会場で隣のブースに出展していた絨毯の柄を見て、「組子の柄を大きくしたらどうか」と閃いたのだそうです。
和室以外で使えるものを作らなくては生き残れない!
組子の柄を大きくすればポップになり、洋室でも使ってもらえるのではと考え、大きな柄の組子をお部屋の引き戸に採用しました。
あるようでなかった大きな柄の組子は、住まいにこだわる人たちの口コミで広がり話題になります。
平成25(2013)年の「グッドデザイン賞」を皮切りに、色々な賞を獲得。
注目されることで受注も増えました。
番組では組子細工の照明スタンドが紹介されました。
組子職人の沖原昌樹(おきはら まさき)さんは、アイロンの蒸気と熱で格子柄の曲げる部分を柔らかくし、美しいカーブを表現。
曲げると溝の隙間がすっきり無くなり、ピッタリと密着するように計算されていていました。
沖原さんは、大学在学中に北欧家具に興味を持ち、卒業後に岐阜県高山市の木工学校で2年間学びました。
その後一度は木工から離れ、アフリカのマラウイで青年海外協力隊員として、数学の教師をしていたそうです。
2年後に協力隊を終えて帰国。
ネットでたまたま吉原さんのブログに書かれていた組子に興味を持ち、特に求人はなかったにも関わらず、直接電話をして「吉原木工所」に就職したのだそうです。
吉原木工所 島根県浜田市三隅町室谷912-1
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Shimane/Kumiko より
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