第225回 2019年6月4日 「北の大地で生まれたバッグ~北海道 革製品~」リサーチャー: 田中道子
番組内容
かつて馬具作りが盛んだった北海道。いま、その伝統を生かした、ユニークな革のバッグが作られている。馬に乗せる鞍の形をしたショルダーバッグ。エゾジカの柔らかい革を使ったハンドバッグ。そして機能的で丈夫なボストンバッグ。それぞれ、革の性質を熟知した職人たちが、丹念に作り上げている。そこにはかつての馬具作りの技術も生かされ、デザイン性にも優れている。女優の田中道子さんが、手作りの現場を訪ねる。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201906041930001301000 より
令和元年、天皇陛下は、「三種の神器」の「剣璽けんじ(剣と勾玉)」を携えて伊勢神宮に「即位の礼」と「大嘗祭」を終えたことを報告する儀式「親謁(しんえつ)の儀」に臨まれました。
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を着た陛下は2頭引きの「儀装馬車」(ぎそうばしゃ)で約290mの参道を進みました。
この「儀装馬車」に用いられている馬具は北海道にあるメーカー「ソメスサドル」が製作したものでした。
1.ソメスサドル
北海道・砂川市にある「ソメスサドル(SOMES SADDLE)」は、昭和39(1964)年創業の日本で唯一の馬具メーカーです。
鞍や鐙といった馬具を手掛けていて、JRAの騎手の7割から8割が使われている程、高い信頼性を得ています。
またソメスサドルでは、その馬具作りで培った高い技術と精神で、バッグなどの美しい革製品も生み出しています。
政府や宮内庁からも指名されていて、平成20(2008)年に開催された「北海道洞爺湖サミット」では北海道知事より各国首相夫妻に、ソメスサドルのダレスバッグとボストンバッグが贈られました。
馬具づくりの技術を活かして開発された牛革のショルダーバッグは、鞍をモチーフに制作されたものです。
複雑な曲線で構成されたフォルムは小脇に収まりフィットし、馬具作りで培われた技術力の高さが感じられる逸品です。
まず、本体革に使用する牛革を傷などがないか入念にチェックしてから、パーツを20個程切り抜いていきます。
そしてこれらを腕ミシンを使って、革の端と糸の間が一定になるように縫い合わせていきます。
「腕ミシン」
筒縫い用のアームの先端近くにハリが付いている形状のミシンのことで、バッグの底やマチなど、狭く立体的な部分を縫うのに重宝します。
革を張り合わせた部分がズレていたら、豆鉋で削って調整していきます。
削った部分には、ボディ色の染料を塗り、熱で溶かして革に染み込ませます。
紙やすりで磨けば、完成です。
2.「EZOバッグ」(24Kirico)
北海道にのみ生息するエゾジカ。
ところが、個体数の爆発的な増加によって、農林業被害や交通事故といった人間経済への被害や、採食活動による森林や高山植物などの生態系破壊が深刻化しています。
薄くて丈夫なエゾ鹿の革は、日本では古くから重宝されてきました。
東京都立皮革技術センターの分析によると、繊維に隙間が多い為、軽量で柔軟性に優れている他、肌触りも抜群なのだそうです。
更に、使えば使うほど柔らかく、肌馴染みも良くなってきます。
更に、北海道の厳しい冬を乗り越えるエゾシカは、豊かなファーと丈夫な皮を備えています。
その優れた保温性はなめされた状態においても同様で、加工された後まで温かさを保ち続けます。
牛革や豚革に比べ伸縮性に優れており、複雑なデザインを実現することも可能です。
ですが、野生を生きるエゾシカの革には、沢山の傷がついているため、これまではその多くがそのまま廃棄されていました。
このエゾシカの皮革をそんなエゾシカ皮の資源としての可能性に一早く気づき、確かな技術を施して、美しい革製品へと甦らせたのが北海道札幌市の「24KIRICO」代表の高瀬 季里子(たかせ きりこ)さんです。
野生動物ならではの傷跡が散見されるため、1つのバッグには4、5頭分の革を使う他、豚革を用いて厚みをもたせてあります。
上部からは中身が見えないデザインになっていますが、革が柔らかいので広げやすいです。
ファスナーや装飾をそぎ落としてあるのでふわりと軽く、金具を使っていないので、ストレスなく使うことが出来ます。
「ビアカップーシラカバセット」は、以前、イッピン「富山 高岡の金属製品」でも取り上げられた富山県高岡市の鋳物メーカー「能作」とのコラボ商品です。
シチズンは「24K」の活動に共感し、CITIZEN L・Arcly. Collectionの「EM0656-23A」で、エゾ鹿革を採用しています。
24Kirico 北海道札幌市中央区大通西18丁目1−40−307
3.ボストンバッグ(いたがき)
北海道中部に位置し、かつて石炭産業で栄えた赤平市。
平成6(1994)年に最後の一山が閉山し、赤平の「石炭の歴史」は幕を下ろしましたが、現在、「立坑」「ズリ山」などの炭鉱産業遺産を生かした観光に力を入れています。
また、本州から進出してきた小さなものづくり企業が市内に点在し「ものづくりの街」として新たに歩んでいます。
「いたがき」の創業者・板垣英三さんは横浜市生まれ。
15歳の時、東京下町の鞄職人・八木廉太郎に「丁稚奉公」に入り、その後、旅行カバンメーカー「エース」に依頼されて、神奈川県の小田原工場に勤務。
昭和45(1970)年 (1970年) 工場の移転のために、初めて北海道赤平市を訪れました。
エース在籍中の昭和46(1971)年には、キャスター付きのスーツケースを発案し、大ヒットとなります。
当時、大阪のスーツメーカー「ACE」が米「サムソナイト」の日本における総代理店としてライセンス契約を結び、昭和42(1967)、「デボネア」というスーツケースが1万円を切る安さで販売され、好調な売れ行きを示しました。
その後、日本のユーザーの「持ち運びし易いスーツケースを」との声を受け、世界で初めてキャスター(車輪)を鞄の底につけた「キャリーバック」が発売されました。
昭和51(1976)年、一家5人で赤平市に移り住み、昭和57(1982)年に「株式会社いたがき」を創業し、「会社のシンボルとなる特別な鞄を」ということで、馬具の鞍の美しいフォルムを再現した「鞍ショルダー」の製作を始めました。
番組で紹介されたのは、旅行時に用いられるのが「ボストンバッグ」です。
本体前面にファスナーがついているので、上から物を出し入れせずに、横から引き出しのように取り出せるので、とても便利なバッグです。
「いたがき」では、創業以来、上質なタンニンなめしの革を使い続けています。
タンニンでなめされた革は環境に優しい天然素材であり、型崩れしにくく丈夫で長持ちし、使えば使うほど艶が増し、深い色合いを帯び、風合いが良くなっていく素材です。
「いたがき」には、1700枚に及ぶ牛革が保管されています。
ボストンバッグに使われているのは、その中でも厳選した3種類。
ポケットがたくさんある他、補強に使うものもあるので、パーツは全部で44枚にも及びます。
装飾部分は薄め、骨格部分には厚めの革と、革の全てを知り尽くした職人さん達が、革の一片も無駄にせず、見えない部分にも様々な工夫を凝らしてパーツを組み合わせていきます。
「いたがき」では修理の依頼も引き受けています。
職人の堀内健一さんは、「使っているうちに革が伸びてしまい、長さが合わなくなる。
新しいものを作るよりも修理の方が技術、経験が要求される」とおっしゃっていました。
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Hokkaido/leather より
鞄いたがき(赤平本店)
住所:〒079-1102
北海道赤平市幌岡町113番地
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