「野崎酒造」
野﨑酒造(のざきしゅぞう)は、東京都あきる野市戸倉に本社および工場を置く日本の酒造会社。現在、東京にて伝統を守っている10軒の酒造業者の一つである。
概要
越後生まれの農家の次男・野﨑喜三郎(幼名・銀蔵)は、幕末の1862年(文久2年)の16歳の時に、江戸に出てきた。杜氏として各地で経験を積んでいたとき、西多摩郡戸倉村(現・あきる野市戸倉)で貸蔵があるということを聞き、独立して酒造に携ることを決意したのが始まり。そして、1884年(明治17年)、野﨑喜三郎によって野﨑酒造が創業された。当初は、資金二百円を用立てて、初年度105石の酒を造った。現在、5代目・野﨑三永が、「喜正」ブランドの日本酒を醸造販売する老舗酒造メーカーである。
「喜正」の由来
明治初期は、野﨑酒造の屋号を「中村屋」としていた。明治中期頃、酒に名前を付けることが流行った。当初は「喜三郎」の「喜」をとり、「喜笑」としていたが、酒は仏事にも使うため具合が悪いので、「正しい」にかえて「喜正」とした。
仕込水
喜正の仕込水は、戸倉城山より湧く伏流水を使用している。古くから戸倉の人々の生活水として使われ、現在も大切に維持管理されている。水質は「やや軟質」で、酒の品質を劣化させる「鉄」「マンガン」が非常に少なく、酒造りに適している。
酒造り
喜正の酒造りは、昔ながらの手仕込で行っている。昨今、機械化が進む中で、現在でも「こしき」を用い、(1)酒造米、(2)精米、(3)洗米、(4)浸漬、(5)蒸し、(6)本仕込、(7)上槽、(8)濾過、(9)火入、(10)殺菌、(11)瓶詰め、(12)製品 と、杜氏が手間をかけ仕込んでいく手作り酒。
沿革
1862年(文久2年) - 農業・野﨑喜三郎、越後から江戸に出て、杜氏として各地で酒を造る。
1884年(明治17年) - 野﨑喜三郎、西多摩郡戸倉村で酒造を創業。製造石高は105石だった。
年代不詳(明治初期) - 屋号を「中村屋」とする。
年代不詳(明治中期) - 酒銘を「喜正」とする。
年代不詳(昭和30年前半) - 米を焚いて蒸らす「釜場」を建築。
年代不詳 - 店舗の改修工事を行った、設計は「古民家再生」に熱心な降旗建築設計事務所が担当した。
2016年(平成28年) - 現在、5代目当主・野﨑三永が継いでいる。
2016年(平成28年)11月 - JR両国駅舎内の商業施設「-両国-江戸NOREN」に「東京商店」オープン。
野﨑酒造株式会社 東京都あきる野市戸倉63番地
*https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%B4%8E%E9%85%92%E9%80%A0 より
代表銘柄
喜正 大吟醸
酒造好適米山田錦を高精白し、香り高く繊細な味のお酒を造りました。杜氏の技術の粋を集めた自信作です。冷で。
アルコール度 16~17度
原料米 山田錦
精米歩合 40%
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