「加藤登紀子」
1943年12月27日生まれの77歳
波乱万丈の人生を送ってきた加藤登紀子さん。
私がまだ幼少の頃、衝撃的な話を聞いた。
「獄中結婚」というなんとも不思議な言葉。まぁその前には「学生運動」というなんとも恐ろしいことが起こっていた。
その当時「大学生」にはなりたくないと思ったものだ。
(何の知識も持ち合わせていないため)理解不能な恐ろしいことがテレビから流れ、戦後の乱れた時代の中に、「加藤登紀子さん」が居たような←私の勝手な考えだが
加藤登紀子「乳がんと不調を乗り越えて76歳、今日も私は健康優良児!」2020年12月07日
すべては歌い続けるために
〈本日の『徹子の部屋』に登場!〉今年で歌手生活55周年を迎えた加藤登紀子さんは、「今が一番体調がいい」と笑います。その健康的な生活ぶりは医師から太鼓判を押されるほどですが、そこに至るまでには紆余曲折がありました(構成=丸山あかね 撮影=藤澤靖子)
母に学んだ老いの心構え
この12月で77歳になります。3人の娘たちがそれぞれに家庭を持ち、気づけば私は7人の孫を持つお祖母ちゃん(笑)。時が経つのは本当に早いですね。母は101歳まで生きたので、私の人生も先が長そうです。でも、「生きる」というのは覚悟のいることなのですよ。生きている限り、日々いろいろ起こることを解決していかなくちゃいけない。実は、ちょうどひと山越えたところなの。少し前まで、猛烈な切なさと無力感と闘っていました。
私は、他人や家族のために何かをしてあげたくて仕方がないタイプなのね。娘たちから「子どもを預かってほしい」と言われれば、用事がない限り、二つ返事で引き受けてきました。みんなすくすく育って、一番下の孫がもう6歳。成長するのはもちろん嬉しいことなのだけれど、近頃、誰もわが家へ来なくなってしまったのは寂しいと思っていたのです。
そんなある日、娘に電話をして「たまにはわが家で集まれないの?」と言ったら、「みんな忙しいの。勘弁してよ」という何ともつれない言葉が返ってきて、ショックを受けました。「私はもう必要とされていないのだな」と感じて。
かといって、「私は必死であなたたちを育ててきたのよ」と言ってもしょうがない。その言葉はグッと留めたものの、心の免疫力はガタ落ち。これまで元気印できたのに、気を抜くと鬱々としてしまう……由々しき事態だったのですよ。
そんな時、思い出したのが3年前に他界した母のことでした。母が91歳の時、「おばあさんになってしまったと考えると落ち込むけど、『長く生きた人』と思えば誇らしい」と言っていたな、と。そこから母は俄然前向きになって自分史を書き始め、『ハルビンの詩がきこえる』という本を出版しました。つまり母は、現実は変えられなくても、考え方を変えることで心を前向きに、強くすることに成功したのです。
そこで私も、「家族という大きな重荷から解放されて自由になったのだ」と気持ちを切り替えました。「必要とされていないのなら、私も勝手にやらせてもらうわ」って。18年前に夫も見送りましたし、今は気楽な一人暮らし。自分のことだけを考えていればいい、なんて夢みたいに幸せなことでしょう。最初こそ強がりだったのだけれど、今は、家族のなかで自分のポジションを変えるのは大切なことなんだ、と実感しています。
もう私は「心配されるほう」の人なのだから、なによりもまずは健康であること。自立して暮らし続けるのが、子どもたちにしてあげられる最大のことなのだと悟りました。「病は気から」とよく言うけれど、あれは本当。あのままでは心が免疫力低下に引っ張られて、体調まで崩してしまっていたでしょう。心と体が直結していることをまざまざと思い知らされた出来事でした。
手術の跡は見えないように
今でこそ風邪もめったにひかない「健康優良児」で通っていますけれど、ここに至るまでは山も谷もありました。私にとって大きかったのは、48歳の11月に乳がんが発覚したこと。検査の結果を聞いた時は、まさに青天の霹靂で、それは落ち込みましたよ。でも、50の大台が近づいて急に冷え性になったり、疲れやすくなったりして「なんだか調子が悪いな」と感じていたので、納得するところもあったんです。
ともあれ年明けすぐにコンサートが控えていたので、ぐずぐずしちゃいられない。手術を受ける決断をし、ピンポン玉くらいの大きさの腫瘍とともに左の乳頭を一部摘出しました。術後2日目からの厳しいリハビリを経て、退院した翌日にはステージに立っていたの。コンサートの予定と、夫や娘たちの全面的なサポートがなかったら、あそこまで頑張れなかったでしょう。
主治医の先生も協力的で、コンサートでは胸の開いたドレスを着ると言ったら、「ドレスのラインがどこまでくるか、肌に油性ペンでしるしをつけてください。手術跡が見えないようにうまく切りますから」って。おかげさまで、完璧でした。「左胸がティーンエイジャーみたいに可愛くなったから、右胸も垂れた部分を取り除いてもらおうかしら」なんて言って、笑う余裕もあったのよ。
あの時、病気を経験してよかったと今は思える。そうでなければ、私は健康管理に無頓着なままだったでしょう。
その頃の私を悩ませていた不調のひとつは、低体温です。体が冷えて冷えて、なかなか体温が上がらない。そこで当時は画期的だった赤外線サウナをわが家に設置しました。低温なので、中で歌を作ったり、原稿を書いたり。家のことから離れて一人になれるという意味でも、サウナタイムは大切な時間でした。
湯船でじっくりと体を温めたら水シャワーを浴びるという、免疫力アップに効果的な温冷交代浴は、50代から始めた習慣。冷え性に効くと聞いて始めた当初は水シャワーに体がしびれてビックリしたけれど、今は浴びないと気持ちが悪いくらい。顔が火照るほど温まり、ポカポカが持続するので病みつきになること請け合いです。
「歳を重ねるにつれて体がしんどくなっていく」というのが定説ですけど、私、今が一番調子いいの。年を重ねた事実は受け入れるけど、「この歳じゃできない」「もうムリ」と諦めない。自分の体を甘やかしすぎず、力を信じてあげることで、ポテンシャルも引き出せるし、病気を遠ざけることにも繋がるのではないかしら。
今も夫に守られているよう
がん以来大病知らずになった私ですが、98年、今度は夫の藤本敏夫に肝臓がんが見つかり、4年の闘病の末に亡くなりました。彼は千葉で有機農業を行う「鴨川自然王国」を設立して、私たち夫婦は千葉と東京の二元生活を送っており、晩年は東京で二人暮らしをしていました。思い出はたくさんあるけれど、どんなに忙しい日でも必ず共にしていた朝食の時間が心に刻まれています。それだけに彼の死後、一人で朝食を食べるのがつらかった。
ところが鴨川へ行った折に、夫が生前に仕込んだという味噌を発見したのです。それで東京へ持ち帰り、毎朝、お味噌汁にしていただくのが習慣になりました。一緒にいるような気がして、ものすごくリラックスできるの。今もお味噌汁を飲むたびに、夫に守られているのを感じます。
先日、お仕事でお医者様にお会いしたのですが、「加藤さんの朝ご飯は理想的です」と褒めていただきました。大好きな納豆入りのお味噌汁や、フルーツゼリーを入れたヨーグルトなどの発酵食品が、腸内環境を整えてくれるとのこと。さらにゼリーのゼラチンには、コラーゲンが含まれていて、美肌や老化防止に効果があるの。
トーストにスライスした玉ねぎを挟んで食べていることもいい、とも言われました。パンの小麦粉に含まれるグルテンは分解されにくいタンパク質の一種ですが、玉ねぎと一緒に食べることでグルテンフリーの効果が期待できるのだとか。知らず知らずのうちに、体にいい食事をしていたのね。
それで調子に乗って、「先生、私、交感神経と副交感神経をコントロールするのも得意なんです」と言っちゃった(笑)。でも、あながち嘘でもないのよ。自律神経には心身の活動を活発にする交感神経とリラックスさせる副交感神経があって、両者がいいバランスで働くことによって血流が良くなる。それには深く呼吸するのがいいと。つまり、私がいつもしている「歌う」という行為は、お腹を使って呼吸をしますから、最適。
おトイレで歌うと、お通じも良くなるんです。副交感神経が優位になって腸の動きも活発化するのか、力まなくてもスルッと。一度お試しください。リラックスしなくちゃ、出る物も出ないのよ。(笑)
50代半ばの頃、目がかすむようになったので病院へ行ったら、医師が「老眼です。加齢ですからどうしようもない」と。こちらはなんとかしてほしくて行ったのに、もう、しょんぼり。
ところが、知人で「見えるようになると思えばそうなる」と力説する人がいて、「目の周りの筋肉を鍛えればいい」と言うのです。実践してみたら、前よりよく見えるようになりました。老化や不調が「マイナス」の状態だとしたら、私はこれまでよくも悪くもない「ゼロ」にすることを目標にしてきた。でも、鍛えれば「プラス1」になるし、さらに積み上げていくことだってできるとわかり、やる気が出ました。
私は一人暮らしですから、何でも自分でやらなければいけません。でも、「自分しかいない」という危機感があるからこそ、気持ちに張りがあるのかなと思ったりして。ただし、老いはある日を境にガクンとくるもので、昨日できたことが今日はできなくなってしまう。私たちの世代は、「老化(廊下)の段差にご用心」なんです。(笑)
いつかは一人で暮らせなくなるかもしれない。でも、ただ怯えていても仕方ないから、体や病気のことは自分で調べて、あらかじめ知識を得ておく。あと、自分の内面と対話して、「私はどうしたいか」というものさしを作り、物事を判断すること。それから好奇心と責任感を大切にしています。
私はツイッターをやっていますので、間違った情報を流してはいけないという思いから、新聞記事を切り抜いて、環境問題と文化と政治に分けてスクラップするのを日課にしているの。実はそんなに深くは読んでいなくて、切り抜くのが喜びだったりするのだけれど(笑)。
でも、ニュースを見聞きしながら想像力を駆使して、報じられている人たちの気持ちになるということが大事だと思う。楽しいことだけでなく、怒りや悲しみも人が生きるうえでのエネルギーになるというのが持論です。
私なりの健康法や免疫を保つための方法についてお話ししてきましたが、すべては「歌い続けたい」という思いでやっていることです。年内にも「ほろ酔いコンサート」が控えていて、今はその準備中。コロナ禍のさなかで作った歌「この手に抱きしめたい」は、大切な人を見送った方、今苦しんでいる方に救いが訪れますようにと祈りを込めました。
自分の体が動く限りはステージに立ち続けたい。歌を通じてたくさんの人と出会い、繋がり、エネルギーのキャッチボールをする……。歌は私の原動力であるとともに、免疫力を上げてくれる一番の薬でもあるんです。
構成: 丸山あかね 出典=『婦人公論』2020年12月8日号
*https://fujinkoron.jp/articles/-/2957 より
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