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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-ジェフ・ベック 追記あり

2023-01-12 12:23:52 | MUSIC

 「ジェフ・ベック」

  1944年6月24日生まれの76歳-2021年1月時点

 残念ながら、2023年1月10日 細菌性髄膜炎に罹患し、治療を行ったが78歳で死去。ご冥福をお祈りいたします。

 《孤高のギタリスト》ジェフ・ベック(Jeff Beck)
 ジェフ・ベック氏はエリック・クラプトン氏、ジミー・ペイジ氏と共にUKロック3大ギタリストと呼ばれています

 「ロックギタリストには2種類しかいない、ジェフベックとジェフベック以外だ。」 – ポール・ロジャース

 という言葉が象徴するように、既存の枠にとらわれない、常に新しいギターサウンドを追求する姿勢が高く評価されている自由で個性的なギタリストです。
 日本で言うところの「後期高齢者」となった現在でも過去の自己コピーに陥ることなく、音楽的な挑戦を止めようとしません。周囲に惑わされることなく、あくまで自分のやりたい音楽を追求する姿勢、他に類を見ない独特の存在感から「孤高のギタリスト」としばしば形容されています。今回は、このジェフ・ベック氏に注目していきましょう。

Biography
 今なお衰えないジェフ・ベック氏の経歴を追ってみましょう。世界を席巻するほどの人は、最初から凄かったんだなと感じさせられます。

 
 誕生~青年期(1944~)
 ジェフ・ベック氏(本名:Geoffrey Arnold Beck)は、1944年6月24日イギリスのウォリントンに生まれます。6歳の時にラジオでレス・ポール氏の演奏を聴き、エレキギターに心を奪われました。18歳の頃からバンドを結成し、当時勢いのあったジーン・ヴィンセント氏やエディ・コクラン氏などの曲をカバーしていました。10代のうちにジミー・ペイジ氏と知り合い、親交を深めています。


 63年にはオール・スターズというバンドに参加し、ニッキー・ホプキンス(key)らに混じって初レコーディングを体験します。その直後トライデンツというバンドを結成し、ジミー・ペイジ氏やロン・ウッド氏のバンドの前座を務めたこともあります。この頃はフィードバック奏法やレス・ポール氏から影響を受けたと思われるトリッキーなプレイで、かなり評判になっていました。

 ヤードバーズ時代(1965~)
 ベック氏はペイジ氏の手引きで1965年、大物ロックバンド「ヤードバーズ」に、エリック・クラプトン氏の後釜として正式加入しました。ビートルズとローリング・ストーンズがチャート上位を独占する時代にあって、ベック在籍時のヤードバーズは3回の米国ツアーを果たす活躍を見せ、ベック氏の名声も上がっていきます。この時がヤードバーズの黄金期だったと考えるファンもたくさんいます。しかし当時は病気がちでステージに立てないことがあり、また持ち前の完璧主義が災いしてメンバーと衝突し、ベック氏は「ツアー中に解雇」という憂き目にあいます。

 この時すでに凄い人だったが
 1966年の英国音楽誌の人気投票でベック氏は1位に輝いており、ジミ・ヘンドリックス氏が「クラプトンとベックに会わせてあげるから…」という誘いにのって渡英したという逸話があるほどの人気ぶりでした。ヘンドリックス氏が派手にプレイして有名になったフィード・バック奏法や大胆なアーム奏法、またピック・スクラッチなどはベック氏の奏法を取り入れたものです。いっぽうで当のベック氏は、ヘンドリックス氏を見たあまりの衝撃に「音楽辞めようかな…」と悩んだそうです。

 ふたつの「ジェフ・ベック・グループ」(1967~)

 Jeff Beck, Rod Stewart – People Get Ready

 1967年には、ソロとしてベック氏自ら歌も唄っているシングル「ハイ・ホー・シルヴァー・ランニング」を発表。これが全英14位の大ヒットとなり、続けて「タリー・マン」「恋は水色」のシングルもスマッシュ・ヒットさせました。1968年になると、ソロ時代のバック・メンバーを中心に「ジェフ・ベック・グループ」を結成しますが、いろいろあって短命に終わります。

 ボーカル:ロッド・スチュワート(vo)、(ハスキーボイスを持ち味とする大物ボーカリスト。このバンドでデビュー。サッカーがうまい)
ベース:ロン・ウッド(b)、(現、ローリング・ストーンズにギターで在籍)
 ドラムス:エインズレー・ダンバー(dsフランク・ザッパ、ホワイトスネイク、ジャーニーなど)
 キーボード:ニッキー・ホプキンス(key)らが在籍。(ビートルズ、ローリング・ストーンズらの録音に参加)
 メンバーチェンジが幾度も繰り返されましたが、主要メンバーはこのようなそうそうたる顔ぶれでした。
 1971年には第2期「ジェフ・ベック・グループ」を結成します。この時のメンバーにはドラムスにコージー・パウエル氏(レインボー、ホワイトスネイク、ブラック・サバスなど)、キーボードにマックス・ミドルトン氏(名盤「Blow by Blow」に参加)がおり、すばらしく進化を遂げたサウンドで周囲を驚かせました。このバンドでも2枚のアルバムをリリースし、セカンドの方は全米15位と、まずまずのセールスを記録しています。

 フュージョン・サウンドの先駆者(1975~)

 Jeff Beck – Big Block (Live in Tokyo)

 再びソロになったベック氏は1975年、名盤「ブロウ・バイ・ブロウ(Blow by Blow)」を発表します。当時では珍しい「全曲ギターインストゥルメンタル」アルバムでしたが、ロックやファンクのグルーヴにジャズ的なアプローチで演奏を展開していくサウンドで、「ロックとジャズの融合(フュージョン)」という新しい音楽を完成させました。本作は全米4位という大ヒットとなり、内容的にもジミー・ペイジ氏をして「ギタリストの教科書だ」と言わしめるほどのものでした。

 ものすごい「完璧主義」
 ベック氏は極端な完璧主義者として知られており、いつも一辺の妥協もない作品を作ろうとします。この「ブロウ・バイ・ブロウ」の録音では、自身の演奏に納得がいくまでしつこく録り直したどころか、帰り道で「やっぱり録り直す」とスタジオに舞い戻ることが何度もあったようです。全ての録音が完了して数ヵ月後に「やっぱりあのソロを録り直したい」とプロデューサーに電話し、「すまん。それな、もう店に並んでる」と返されたことまでありました。

 満を持して、孤高の存在へ

 Jeff Beck – Hammerhead (Live in Tokyo)

 1985年のアルバム収録曲でグラミー賞を受賞、旧友ロッド・スチュワート氏とのコラボがヒットするなどトピックはありましたが、積極的にアルバムをリリースしていた1970年代とは打って変わって、1980年代ではそのペースがガクンと落ちます。その理由については「やる気が無くなったから」とも「ビッグになりすぎたプレッシャーに葛藤していたから」とも「耳鳴りに悩まされていたから」とも言われています。1989年のアルバム「ギター・ショップ」で健在ぶりを発揮したものの、それ以降はいくつかセッションワークに参加するのみでした。

 しかし、約10年もの沈黙を破った1999年のアルバム「フー・エルス!」以降、75歳を迎えた今なお積極的な活動を展開しています。ジェニファー・バトゥン女史(マイケル・ジャクソン氏のツアー参加で名高い)、タル・ウィルケンフェルド女史(チック・コリア氏やヴィニー・カリウタ氏らと共演した若き天才)という女性プレイヤーの起用、デジタルミュージックの採用、アンビエント・テクノやノイズ・ミュージックを意識したインダストリアル系サウンドの採用など、ギターと音楽の追及は、とどまるところを知らない勢いです。

 ギタープレイの特徴
 ジェフ・ベック氏はキャリア全体を通じて音楽的に冒険的であり、常に進化を続けています。若いころハマったロカビリーから始まって、ジャズ、ロック、ブルース、ファンク、テクノ、ドラムンベース、世界各地の民族音楽など、あらゆる音楽のエッセンスを次々と吸収しています。

 超多忙な右手
 ベック氏のプレイスタイルとして最も顕著なのは、「バリバリ弾きまくるのに、ピックを使わない」というところです。80年代中ごろからフィンガー・ピッキングに転向しており、速いオルタネイトピッキングでは人差し指をピックのように使います。これについてベック氏は「小さなプラスチック片の有無でギターが弾けたり弾けなかったりするのが嫌になった」とコメントしたそうです。頻繁なピックアップ切り替え、ボリューム操作、アーミングがあってのフィンガーピッキングは、常人ならば猫の手も借りたい忙しさです。

 「一回弾いたらもう飽きる」
 ベック氏は「何度も同じことをしない」ことを身上にしているらしく、「一度弾いたらもう飽きる」とコメントしたこともあります。これを最も端的に証明しているのが、名演と呼び声高い「悲しみの恋人たち」でしょう。「レードドー」のようなコンパクトなモチーフの連続でできているメロディですが、ベック氏はチョーキング、グリッサンド、ハンマリング/プリングなどの指技やリズムのアレンジを駆使し、全て違う弾き方で演奏しているのです。

*https://guitar-hakase.com/1716/ より

 2020年4月16日、ジョニー・デップとコラボしたジョン・レノンのカバー曲「孤独」をニュー・シングルとして公開。これが2人の継続的な音楽的コラボレーションの初リリースであることを明かした。このシングルがCOVID-19パンデミックのロックダウン期間中にリリースされたことに触れ、「ジョニーと僕はしばらく前から一緒に音楽に取り組んでて、この曲は去年スタジオにいた時にレコーディングしたんだ。こんなに早くリリースするとは思ってなかったんだけど、この困難な時代に人々が経験してるすべてのつらい日々と真の "孤独 "を考えると、今が皆さんに聴いてもらうのに良い時期かもしれないと判断したんだ」と説明している。

*Wikipedia より


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