今日は、反省の日です。
去年の11月に、筑紫哲也氏の『若き人たちへ』を読んだときの私の書評が、「このブログの人気記事」の中にありました。ブログの最後で、自分の書いた言葉を読み返し反省しました。
「左系の著者の本なので、なんとも浮かない気分になります。しかし、苦あれば、楽ありです。」「知ることの喜びを求めて、73才の学徒は、明日も元気に頑張るといたしましょう。」
左翼の人間が書いた本でも、知る喜びを与えてくれるのなら拒絶しないと、そう述べている自分を発見し、反省が始まりました。藤岡氏が元共産党員でも、多少人間性に疑問があっても、啓蒙してくれるのなら拒んではなるまいと、狭量な自分を反省しました。だから氏の意見に向き合うと決めました。
私は司馬遼太郎氏が好きで、ほとんどの作品を読みました。「坂の上の雲」は特に面白く、読み出したら止められませんでした。しかし私が、氏の姿勢に疑問を抱いたのは、偶然次の言葉を知った時からでした。
「日本の歴史は、古代から中世、戦国時代から江戸、幕末、明治と、一つの大きな流れがあるのに、昭和以降の日本はまるで違う。歴史の連続性が無く、突然変異のような、横暴な軍国主義の時代だった。」
氏は昭和を嫌悪し、否定しました。多くのベストセラーを出した著名な作家でしたが、この発言を知って以来、作家としての氏に疑問を抱きました。というより、人としての氏の偏狭さを見たという気がしました。
世界のどの国でも、歴史には必ず連続性があります。前向きで明るい面ばかりがあるので無く、暗く汚れた出来事や事件が国の歴史にはつきものです。敗戦になるまでの昭和が異常で、不可解な時代だと切り捨てるようでは、司馬氏に歴史を語る資格がないのではないかと、思えてなりません。
藤岡氏が著作の中で司馬氏を褒め、氏と同様の意見を持っていると知り、その偶然に驚きました。藤岡氏も、司馬史観などにとらわれているようでは、本気で教科書問題に取り組めるのでしょうか。
「司馬史観の、発想の特徴としてあげられるのは次の4点である。そしてこれらは、今後の歴史教育改革の、観点として最も重要な点である。」
氏は、司馬氏の歴史観の中から4点を抽出します。
1. 健全なナショナリズム
明治時代は、希望に満ちた明るい時代で、国民は国を信じ、国のために力を合わ
せた。国家的なものを全面否定する、東京裁判史観や、コミンテルン史観の対極に
ある。
2. リアリズム
明治時代は透き通った、格調の高い精神で支えられた、リアリズムの時代だっ
た。一つは技術合理主義であり、今一つは、国と国民の生存を目的とする、戦略
論である。
昭和の軍人は技術合理主義を軽視し、精神論を過大評価した。国と国民の生存を
第一とする戦略論をなくし、国を破滅に導いた。
3. イデオロギーからの自由
右でも左でもイデオロギーの中心には、「絶対の嘘」がある。明治時代はあら
ゆるものを求めていたが故に、あらゆるイデオロギー的なるものから、自由になろう
と思考していた。
4. 官僚主義批判
参謀軍人の自己防衛心理の強さは、官僚としての通弊である。昭和時代の軍国主
義とは、極端な官僚主義に他ならなかった。部分の利益を全体の利益に優先させる
のが、官僚主義の本質である。昭和の軍人官僚がこれで国を破滅させたが、敗戦後
の官僚がまた、同じことをやっている。
以前自分のブログで、反日左翼の人間を批判した時、私は述べました。
「彼らの意見に多くの者が騙されるのは、彼らが嘘と偏見で、誤魔化すからではないのです。彼らはたくさんの事実を語り、その中に少しばかり嘘を混ぜるのです。」
「沢山の正論の中に混じる、わずかな嘘、わずかな悪意、これに騙されるのです。」
藤岡氏の主張にも、同じことが言えます。司馬史観の一つ一つは、間違いではありません。なるほどと、うなづく意見が混じっています。しかしこれらは、明日の日本の教科書をつくる上で、指針にふさわしいポイントでしょうか。
4点には論理的つながりがなく、司馬遼太郎というの作家の思いつきに過ぎません。大作家かもしれませんが、氏が眺めた明治時代の印象であり、昭和時代への感想です。思いつきの独創性はあっても、多くの者を納得させるだけの普遍性がありません。
健全なナショナリズムと、リアリズム、イデオロギーからの自由が、明治時代にあったという断定に、傲慢な氏を感じます。まして教科書に、官僚主義批判を取り入れるとあっては、独断と偏見の最たるものになりそうです。
教科書は、小学校、中学校、高校と、日本の明日を担う若者が手にする、大事な本です。人材育成という、国家の大事業の柱となるのですから、どこの国でも真剣に取り組んでいます。恐らくは、多くの学者が検討を重ね、政府の役人が加わり、政治家が関与しと言う具合に、私の知らない手順が幾重にも行われるのでしょう。
司馬史観を金科玉条とするような、教科書作成の指針が、国の学術的検討に耐えられるのでしょうか。「新しい教科書をつくる会」で、会長や理事や委員が、解任されたり、追放されたり、何度も内紛を重ねた理由が分かる気がしてきました。
私のような素人でも疑問を抱くのですから、教科書作りに参加する学者の間で、侃々諤々の議論が出て不思議がありません。藤岡氏のような思いつきだけで意見を述べる人間がいても、信念と良識を持つ学者もいるのですから、結論の出るわけがありません。
「新しい教科書をつくる会」が、今どうなっているのか知りませんが、解散したとか消滅したとか、よくない話しか聞きません。
「偏向した、反日の教科書を無くそう。」
「従軍慰安婦の記述を、教科書から削除しよう。」
「国民が、もっと自分の国の歴史に、自信を持てる教科書を作ろう。」
会の目的は素晴らしかったのでしょうが、国を変革する活動にはならなかったようです。教科書作りには「国と国民の生存を目的とする戦略論が必要である。」という氏の意見は正しかったのかもしれませんが、高邁な目的を掲げても、戦略ばかりで歴史を語るのは難しい気がします。
批判ばかりしていますが、次回はそうでなくなります。知らないことを教えて貰った、感謝のブログとします。千葉日報に要求するだけでなく、私も「両論併記」を実践します。