岡田教授の「邪論シリーズ」第3回目です。
「戦争など、まっぴらという感情を保持しながら、同時に軍を、世界標準の制度できちんと統制するという、憲法の規範力を守るために必要なのは、立憲主義の補修作業である。」
戦争などまっぴらという感情が、憲法に保持されていると、砕けた言葉で説明されれば、私のような無知な者には、もっともらしく聞こえます。しかし戦争は、日本人がまっぴらと思っていても、国際社会ではいつ何どき始まるのか、巻き込まれてしまうのか誰にも分かりません。
まずもって、このような言葉で、戦争反対論を語る軽薄さに、腹立たしさを覚えますが、理屈に合わないのが、「同時に軍を世界標準の制度で、きちんと統制する。」という意見です。
自衛隊を軍と認めていない氏が、自衛隊を世界標準の制度で統制するというのですから、学者の名を恥じるべき矛盾した意見です。こうした主張をするのなら、順序として、最初に自衛隊を軍として認めていなければなりません。
「だから私は、毅然として規範力維持のための改憲を、九条の理念を、思想的に守るために、政治的に支持する。」
言葉だけは威勢よく、中身はますます曖昧に、矛盾したままの意見が展開されます。 何が言いたいのかと先を読みますと、結局は現在流行の「安倍総理批判」となっていきます。
「はなから、国家権力に対する歯止めという憲法観が欠如した、安倍首相は、国民投票での敗北を恐れて、軍隊など無いと明記された九条に、軍隊である自衛隊を明記するという矛盾に満ちた提案をした。」
氏の寄稿した記事は、結局のところ、最初の書き出しから最後の行まで、反日野党とマスコミと、お花畑の住民へ向けた「安倍総理攻撃文」でした。途中で色々喋っていますが、形を変えた「モリカケ批判」であるに過ぎません。
氏の原稿の、最後の叙述を紹介します。
「憲法を破壊する、そんな提案は、悪意なき気憲派によって承認されるかもしれない。」
「悪夢を見たくない友たちよ。」「死守すべきもののために、きちんと政治をやろうでは無いか。」
気憲派とは氏の造語で、そろそろ改憲で良くね ? 、という気分になっている者だそうです。私も時にはブログで、訪問される方々に呼びかけをすることがありますが、氏に言われますと、安っぽい勧誘にしか聞こえません。
もしかすると私の呼びかけも、反対側の人間には、そんな風に聞こえているのかも知れません。これを機に、中学生の学芸会みたいなセリフは止めようと決めました。
平成27年の話ですが、氏が久米宏氏と対談しているラジオ番組がありました。久米氏が質問し、岡田氏が答えていました。面倒なので、氏の答えのみを紹介します。
「今の国会では、そんなことはつい先日まで、ダメだったろうに、ということが、当たり前のように語られている。右は、刺激的なことを言って、舞い上がっている。」
「憲法について、まっとうな筋で考えようとしている、まともな人間がいるのに、与党の議員がその土俵をぶち壊してしまった。」
「もしも自民党が、安保法制法案を強行採決したら、今でも感情的になっている反対派の人たちを怒らせ、まっとうな憲法論議が今後はできなくなります。」
「憲法九条に問題があるというのなら、自民党は、まっとうな議論をすればいいんです。」
「九条の一項はパリ不戦条約に書かれていることで、世界中に認められていることですから、このままでいいとして、」
「二項については、国際社会で認められている、正当防衛としての自衛権を前提として、厳密な意味での民主的な議会コントロールと、文民統制、軍縮基本法の三つをセットにした、専守防衛に徹するための文言に変えるという議論をすればいい。」
氏が語るような前提での議論が、国会での土俵というのなら、自民党でない私でもそんな土俵には乗れません。
「日本だけが、間違った戦争をした。日本だけが、残虐非道な戦争をした。日本に、二度と戦争をさせないためにはどういう憲法の文言が良いのか。」
これが日本人の心を失った教授のいう、「議論の土俵」です。東京裁判史観、敗戦思考そのままで、未来永劫反省だけしろという、そんな結論の上に作られた土俵ですから、乗れというのが無理な注文です。
九条第一項の言葉は、世界中で認められたパリ条約だから、そのままで良いという説明も、ずいぶん飛躍した意見です。念のため、パリ不戦条約について調べてみました。
「 昭和3年( 1928 )年の8月、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、日本といった、当時の世界列強をはじめとする15か国が署名し、その後ソビエト連邦など、63か国が署名した。」「フランスのパリで、署名されたため、バリ不戦条約と呼ばれる。」
ここでは、国権の発動としての戦争や、武力の威嚇や行使は、国際紛争の解決手段として、永久に放棄すると書かれています。しかし自衛のための戦争は、認められ、どんな場合が自衛なのかという解釈は、当事国に任されるという曖昧さがあり、署名した大国がみずから守らず、結局は第二次世界大戦となりました。
前回のブログで取り上げた、軍刑法と同様、詳しく説明すれば、ブーメランとなり教授を直撃します。国民の多くが、パリ不戦条約を知らないことを幸いに、ここでも、これが世界の常識でもあるかのように決めつけています。
これ以上氏の話を紹介しても何の益もありませんので、最後にもう一つだけ、ラジオ番組での発言を追加します。氏の知的レベルを判断すると共に、敗戦後の日本の大学の荒廃を本気で心配する必要があります。
「私が教えている学生は、今回の安保法制法案について、合憲であるとはロジックとして理解できないと言っています。さすがに、私の教えた学生たちです。」
「シールズは自分たち独自の言葉と考えを持っており、彼らの話を聞き、まっとうなことを言っていると、希望を抱かされました。」
あのシールズの話を聞いて幻滅した私には、驚くしかない氏の意見です。