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汚辱の近現代史 - 4 ( 藤岡氏の熱意と実行力 )

2018-06-05 23:10:08 | 徒然の記

 藤岡氏の著書を、読み終えました。この本は平成8年に徳間書店から単行本として出され、平成13年に文庫本として再販されたものでした。

 今日はまた、反省の日です。書評はやはり、読後にするのが正しいのだと、生きた勉強をしました。ことに氏のような人物の著作には、慎重な取り組みが要求されます。

  巻末のあとがきから、氏の叙述を紹介します。反省の意を込め、長くても面倒がらず、転記します。
 
 「本書刊行に前後して、新しい教科書をつくる会の結成の動きが起こった。」「初めは、歴史教育フォーラムという、連続のシンポジュームを積み重ね、ゆくゆくは、新たに歴史教科書をつくるところまで視野に入れた運動として、考えていくものであった。」
 
 「しかしそれならば、いっそのこと、新しい教科書をつくる会という会の、最終目的を明確にした名称の方が、多くの国民に、はっきり分かるのではないかという、岡崎久彦氏のアドバイスに従い、運動の方向が定められたのである。」
 
 「この意味で、新しい教科書をつくる会の、名付け親は岡崎氏だと言える。」
 
 「平成8年  ( 1996 ) 12月2日、西尾幹二氏ほか8人の呼びかけ人が、赤坂東急ホテルで、創立の記者会見を行った。」「その後各界から、二百人以上の多数の賛同者を獲得し、翌年に会は、正式に、任意団体として発足した。」「年会費6千円で、一般の会員を募集し、現在その数は一万人に達している。」
 
 「会の問題提起を受け止め、実際に教科書を作成する作業に携わったのは、大手出版社の扶桑社だった。」「同社は、平成12年 ( 2000年 ) 4月、文部省に中学校社会科の歴史と公民の、教科書の検定を申請した。」
 
  百千の言辞より、一つの実行と言います。あとがきを読み、単純な私は反省しました。真の保守ではないとしても、口先だけの自分に比すれば、氏は反日左翼の「敗戦思考」を糺す、具体的な行動をしています。
 
  自虐史観と氏が酷評する教科書の記述が、新しい教科書をつくる会の実践により、追放される一歩を踏み出しました。多数の賛同者を集め、正式な団体として活動するというのですから、その実行力と熱意には敬意を表さずにおれません。
 
  「その後、扶桑社の検定を不合格にするための策動が、外務省アジア局の、一部官僚を中心に進められていたことが、暴露された。」「また、朝日新聞を初めとするマスコミは、中国・韓国にご注進に及ぶというお定まりの行動をとり、外務省まで利用して検定不合格を狙った。」
 
 「しかし、これらのすべての策動が失敗し、二つの教科書は平成12年 ( 2000年 ) 4月に、ついに文部科学省の検定に合格した。その後も、韓国・中国から、修正要求なるものが出されたが、ことの真相は、むしろ、日本の国内勢力が外国を巻き込んで、各地の教育委員会が進めている、教科書の採択に、圧力をかけているということである。」
 
 「それを、新聞が書き立てることで、扶桑社の教科書に対する、不採択運動の展開を狙っているわけだ。」
 
 何も知らない私が、前回までのブログで批判をしてきたのですが、氏とその協力者たちの奮闘ぶりを知れば、反省させられます。むしろ批判を止め、応援しなくてなりません。
 
 「全国の採択状況は、予断を許さない。しかし歴史教科書改善の戦いは、今後も続けなければならない。」「まだ手がつけられていない、一番大きな問題は、中学校より、もっと深刻であるとさえ言える小学校の、歴史教科書の改善である。」
 
  自己主張が強く、自己顕示欲も強い氏ですが、そのエネルギーが、教科書問題の改善に注がれるのなら、反対する理由はありません。氏が戦っているのは、反日の外務省官僚や朝日新聞ですから、相手に不足はありません。頑張って欲しいものです。
 
 私は日教組を否定し嫌悪していますが、氏はその短慮を引き止めました。氏は私に、日教組が果たした「功」と「罪」を、語ります。
 
 功は、教育面での、平等社会を実現させたことだと言います。「落ちこぼれのない教育、誰にでも分かる教育」、という教育理念のもとに、教材の開発や、指導方法の研究が、日常の活動として行われ、世界に類のない、知的平等社会をもたらしたとのことです。
 
 罪は言うまでもなく、日本人の頭から国への責任感、さらには、国家という観念そのものを奪ったことです。つまり、国家否定の教育です、
 
 日教組の功罪につき、罪の意見には全面的に賛成し、功には、半信半疑という気持ちですが、それでも、私は教えられました。組織の全体を否定することよりも、功罪を分析し、罪だけを批判・否定する方が、賢明ではないのかという発見です。
 
 腐れマスコミの筆頭である、NHKと朝日新聞にしましても、「罪」ばかりがあるわけでなく、全国津々浦々にまで、様々な情報を提供し、国民生活を豊かにしている面もあります。
 
 NHKや朝日などのマスコミの反日報道は、その一部であり、一部の者がかかわっています。全部を否定せず、その一部とこそ戦えと、氏は述べていませんが、私はそのように解釈しました。
 
 ということで、私も氏の全てを否定せず、穏やかな気持ちでブログを終えることができます。
コメント (4)
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