藤井忠俊氏著『国防婦人会』( 昭和60年刊 岩波新書 )を読了。
藤井氏は、昭和6年に山口県に生まれ、昭和30年に早稲田大学を卒業しています。駿河台大学の講師を務め、専攻は、日本近現代史、民衆史です。氏は今年の一月に86才で亡くなり、つい先日まで存命だったということです。
一般国民のことを「民衆」と言い、訃報を朝日と毎日が掲載していますから、反日左翼の学者なのでしょうが、著書を読む限りでは、客観的事実が述べてあります。
私の無知を埋める知識を沢山頂き、むしろ感謝しています。学界でも目立たない学者でなかったかと、そんな気がいたしますが、氏のような人物こそが「庶民の学者」だと思います。
戦時中の知識として記憶にあるのは、エプロンともんぺ姿の女性たちが、甲斐甲斐しく働いたり、訓練に励んだりする写真です。氏は昭和6年の満州事変から、昭和12年の日中戦争以後、敗戦までの推移を教えてくれました。
「日中戦争が、女性を組織化した側面は意外に評価されていない。」「女性も組織した、と言われる程度である。けれども銃後の組織化現象の中では、女性の組織化が、むしろ最大級の特徴を示しているのだ。」
「日中戦争以後、市町村内の団体行動で、新設や構成員の著しい増加があったのは、婦人団体だけである。」「全面戦争を境に、婦人団体の活動量は一挙に、数倍になった。」
「国民精神総動員運動の事例にも見られるように、すべての団体が、結集されながらも、結局は学校と青年婦人団体が、実線の主力となる。」「戦時生活に於いて、消費統制が経済の主要な柱となるに至っては、なおさらである。」
婦人団体の活動はどれも同じと思っていましたが、大きな三つの流れがありました。
1. 愛国婦人会 内務省・警察系 ( 設立 昭和6年 ? )
2. 国防婦人会 陸軍省系 ( 設立 昭和7年 ? )
3. 大日本婦人連合会 文部省系 ( 設立 昭和6年 ? )
まず1.の愛国婦人会について、氏の説明を紹介します。
「その頃愛国婦人会は、どんな陰口を叩かれていたか。」「愛国婦人会は、一部上流婦人や、有産婦人の会合である。白紋付でなければ、出られない会である。」「一般会員から、金を集めるばかりで、何もしない会である。」
「要するに愛国婦人会は、大衆とは縁のない上流階級の会であって、会費だけ集めて、何もしないと思われていた。」「大衆基盤がないのである。」
「会は元々、会費という形で寄付を集める団体として設立され、集まっ金を軍事後援と、社会事業に運用するのが本務である。」「会の組織には、幹事と一般会員という区分の他に、会費提供額により勲章と階級章を兼ねたような有功賞があり、会合にあたって胸につけた。」
「支部長が県知事婦人で、役員会は、知事婦人を中心に上級官僚婦人と、地域名望家婦人たちの交流の場だった。」「満州事変の始まる昭和6年の初め、文部省系の大日本連合婦人会が設立するまでは、日本最大の婦人組織として、会員153万人を擁していた。」
次が日本最大、最強の婦人団体となる、国防婦人会についての説明です。
「大阪国防婦人会が、エプロンを着て集まることにしたのは、奇抜ながら卓見であった。」「エプロンは、正確にはカッポウ着だが、今やカッポウ着は、国防婦人会のシンボルであり、活動姿勢を端的に表現した。」
「当初彼女らは、出征、入営兵士にお茶の接待をするため、カッポウ着のまま、ヤカンをさげて、港へ行ったのに過ぎなかった。」「カッポウ着の奉仕姿は、市民に予想外の好評を博し、陸軍当局もエプロンこそ、国防婦人会の精神と持ち上げた。」
「カッポウ着は、台所の労働着である。」「それは第一に、国防婦人会の、働く姿を現していた。」「第二に、着替える間もなく、台所から飛び出してきたと語っていた。そして第三に、予想もしなかった効果が現れてきた。」
「着物を飾る、上流婦人たちへの反発から、大衆婦人層の好感を呼んだのである。」「カッポウ着なら誰も同じ、どんな着物の上にも着けて出かけられた。」
大阪港から出征する兵士の見送りからはじまった、彼女たちの活動は、戦線の拡大と共に、瞬く間に全国へ広がっていきます。出征兵士の見送りが出発点ですから、陸軍省へ設立届けを出したという経緯も理解できます。
陸軍省の許可を得たとはいえ、彼女たちの思惑と陸軍関係者の考えには、ズレがありました。ズレを物ともせず自分たちの思いを貫き、運動を展開する女性たちの姿を表して、著者である藤井氏はこれを、草の根から起こった、大衆的運動と捉えています。
戦後に出された左翼の出版物は、「国民は軍部に騙された。」「軍隊の弾圧に、国民は抗うすべがなかった。」と、すべての国民が被害者だったと説明しています。軍部を罵り政府を攻撃し、ついには日本のすべてを否定します。
しかし氏は国防婦人会の活動を通じて、戦う兵士を支援するため、国を愛するため、積極的に活動する女性たちを描き出します。結果として、私が求めてやまなかった戦前の日本の姿が、この本にあったということです。右や左の色ガラスを通じて、沢山の極論で溢れるウソ混じりの本を、これまで私は手にしてきました。
それだけに氏の語る事実を、私は貴重な歴史として読みました。政府と国民が一つになり、戦争に向き合ったという事実を、私は息子たちに知ってもらいたい。またブログを訪問される方々にも、お伝えしたいと思います。
本論は、明日からとしますが、左翼の学者が語る捏造のない戦前を知るため、どうかおつき合いください。