ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

二つの顔の日本人 - 3 ( 白人のように振る舞う日本人 ? )

2018-06-16 23:43:51 | 徒然の記

 鳥羽教授の三回目のブログです。早速、意見を紹介します。

 「第二次世界大戦について、考えてみよう。日本の戦争の目的が、何であったにせよ、現実に、東南アジアでの西欧の支配を打ち砕き、植民地支配からの解放をもたらしたのは、同じアジア人の日本人だった。」「結果論だけでゆけば、独立の活力を与え、そのスタートを切らせたのは日本人だった。」

 「東南アジアの人々が、日本人のおかげで独立したとは、言う訳はあるまい。」「しかしこの事実が、彼らの心の底にあることは間違いない。ベトナムにしても、インドネシアにしても、独立への道が容易でなかったことを考えると、日本による欧米勢力の駆逐がなければ、彼らの力だけで独立が達成されたかどうか、分からないことは誰でも知っている。」

 アジア諸国から、日本が敬意を得られないのは、白人でもないのに、白人のように振る舞う日本人が、西欧人に代わる支配者になったからだと説明します。けれどもこの意見は、当時の日本人には酷な批評です。東南アジアの戦争で、死力を尽くして西欧と戦い、アジアの解放に一役買ったとすれば少しくらい有頂天になるのが、なぜいけないのでしょう。

 そういうことが原因でなく、大東亜の戦争に敗れ、米国を筆頭とする連合国から、極悪非道な独裁国家として、日本が徹底的に叩かれたからではないのでしょうか。日本の指導者たちは、東京の法廷で断罪されただけでなく、東南アジアの各地で連合国による俄か作りの法廷で、ろくな弁護も受けず処刑されました。

 西欧の大国が、日本を世界平和の敵として、こぞって弾劾しているときに、東南アジアの指導者たちがどうして異を唱えられるでしょう。次の言葉は、昨年の9月、田母神氏の著作の書評をブログにしたとき、氏の著作で教えられた言葉です。鳥羽氏が著作を出版した昭和48年には、こういう発言が世に出ていませんでした。

 氏がもし存命なら、事実を知ってもらいたいと念じ、再度引用します。タイの首相の発言は、氏の本が出版された2年後で、マレーシアの首相の発言は21年後です。

  1. ククリット・プラモート ( 昭和50年 タイ首相 )

  「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。」「日本というお母さんは、
   難産して母体をそこなったが、」「生まれた子供は、すくすくと育っている。」
  「今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、」「いったい誰のおか
   げであるのか。」「それは身を殺して、仁をなした、」「日本というお母さんがあ
   ったためである。」
 
  「12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、」「一身を賭し
   て、重大な決意をされた日である。」「さらに8月15日は、我々の大切なお母さん
   が、」「病の床に伏した日である。」「われわれは、この二つの日を忘れてはなら
   ない。」
  
  2. マハティール・ビン・モハマド ( 平成6年 マレーシア首相 )
  「日本が、50年前に起きたことを謝り続けるのは、理解できない。」「過去のこと
  は教訓とすべきだが、」「将来に向かって進むべきだ。」「日本は、これからのアジ
  アの平和と安定のため、」「国連の安保常任理事国となり、すべての責任を果たして
  ほしい。」「過去の反省のため、日本がPKOの派遣もできないのは、」「残念なこと
  だ。」
 
 3. バー・モウ ( ビルマの初代首相 )
 「歴史的にこれを見るならば、日本ほど、」「アジアを、白人の植民地支配から離脱さ
  せることに貢献した、」「国はない。」「しかしまた、その解放を助けたり、」「多く
  の事柄に範を示してやった諸国民から、」「日本ほど誤解を受けている国はない。」
 
4. ヘレン・ミアーズ ( GHQの所属だった、米国の日本専門家 )
  「歴史的に見て、アジアの民衆を奴隷にしていたのは、日本でなく、」「私たちが同盟
 を結ぶ、ヨーロッパの民主主義国である。」「日本は、現地住民に独立を約束しただ
 けでなく、」「独立を保障した具体的な行動を進めている。」
 
 「1935年 ( 昭和10年 )には、すでに満州での治外法権を放棄していたし、」「1943年
  ( 昭和18年 )には、中国に租借地を返還している。」「対戦中、日本は、占領したす
  べての地域の、」「現地独立政府を承認していった。」
 
 「私たちが解放戦争と呼んでいたものは、」「実はヨーロッパによる、アジアの再征服
 だったのである。」「恥ずかしいことに、アメリカがそれに手を貸した。」
 
 私が、これらの言葉を何度も紹介するのは、鳥羽教授を攻撃するためではありません。日本の過去を正当化したいと、反証するためでもありません。東南アジアの指導者にもいろいろな意見があり、見方があると言いたいのです。
 
 日本を愛する私は、日本だけが悪かった、日本だけが間違っていたという東京裁判の捏造を肯定せず、あるるがままの日本を知ろうとしているだけです。
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二つの顔の日本人 - 2 ( イエローヤンキーの意味 )

2018-06-16 17:04:23 | 徒然の記

 鳥羽教授の話の、続きです。

 「たしかに、と僕は思う。明治以来の日本人は、よく働いてきた。」「働かなかったら、東南アジアの発展途上国と、今頃、同じ状態にあったかもしれないとさえ、考える。こうして、働いて、働いて、GNPを伸ばしてきた。」

 「チャンスにも、恵まれたろう。素質も、あったかもしれない。そして今日ではどうやら、目標とした西欧の水準に追いつくに至った。アジアの昔の仲間に、善意で金を貸し、工場を建て、職を与えることもできるようになった。」

 「しかし、自分はどうなったのだろう。気がつかないうちに、アジア人ではなくなってしまったのでは、なかろうか。少なくとも、意識の上では、懸命に真似をしてきた、西欧人になってしまったのではなかろうか。」

 「イエロー・ヤンキーという表現は、黄色い肌をした白人という意味ではない。」「黄色い肌をしているくせに、白人のように振る舞うという意味である。」

 イエロー・キャブという蔑称は、耳にしたことがありますが、イエロー・ヤンキーという言葉は初めて知りました。辞書で牽いてみますと、こう書いてあります。

 「第二次大戦後、経済進出する日本人に対し、東南アジアの人々が、抵抗の意を込めて言った言葉。」

 今頃こんなことを言っているのですから、東南アジアに関する私の無知は、自分で思う以上なのかも知れません。しかし私は鳥羽教授の説明に、欠けている視点を発見し、それが気になってなりません。

 「明治から百年、夢中になって、西欧の経済力を追いかけてきた日本人は、経済力以外に、他国の文化や社会を区別する基準を失ってしまったのだろうか。」

 前回のブログで引用しましたが、氏は、幕末以来のご先祖が、西欧の経済力だけを追いかけてきたように語りますが、もう少し真面目に歴史を学べば、このような偏見は生まれないはずです。大先輩として敬意を表してはいますものの、ここは譲れない事実です。

 西洋に追いつけ、追い越せと、懸命になったのは、列強に支配されるアジアの国々を目の当たりにしていたからです。太平の眠りに浸っていたら、異国の植民地にされてしまうという危機感が、「富国強兵」へと走らせました。

  氏の説明を聞いていますと、私たちのご先祖はまるで金の亡者のように、金儲けのためだけに頑張ってきたと、そうしか思えなくなります。「そんなことは、ありませんよ。」と異論を抱きつつ、先へ進みます。というのも氏の日本人批判には、否定できない事実が含まれており、私たちが心得ておくべきことが、語られているからです。

 たとえ先輩でも大学教授でも、間違いや見落としはあるでしょう。反日左翼の著名な学者たちの、捏造や大嘘の著作に比較すれば、氏の見落としは許容範囲です。

  「日本人の心の奥底には、西欧人との結婚ならまだ我慢しよう。」「しかし東南アジア人となると、これはまた別だという意識がある。」

 「こういう意識は、知らず識らずのうちに、日本人の態度や言葉に現れる。」「そしてその感じは、敏感に、東南アジアの人々に伝わると僕は思う。」「白い顔を持ったアジア人、同じアジア人を差別するアジア人。」「これが日本人だと、僕は思う。」

 この意見にも、異論があります。確かに私たちの多くは、東南アジア人より、西欧人を好意の目で眺めます。白人である彼らに比べれば、軽視しています。これは、事実です。氏は日本人だけが、そうであるように説明しますが、アジア人に限らず、ほとんとの有色人種が、白人をそのように見ているのではないでしょうか。

 白人対有色人種、白人対日本人と並べたら、アジア人の多くは、必ず白人の方を優れたもの、立派なものとして見るはずです。近代化を成し遂げた列強が、強力な武器を持ち、巨大な船に乗り、アジアの国々を侵略して以来、白人は畏敬する人種になったはずです。

 体の小さなアジア人に比べると、白人は堂々とした体躯を有し、自信に満ち、彫りの深い容貌は美しくさえあります。この点を考慮せず、同じアジア人を差別するのが、日本人だと決めつける氏の意見は、間違っています。けれども、私たち日本人は、知らないうちに同じアジア人を差別していますから、ここは自覚しなければなりません。氏のように日本人だけがそうすると言い、必要以上の反省をするのは、止めるべしでしょう。

 有色人種は、白人に対し、無意識のうちに劣等意識を抱いてしまう。善悪の問題でなく、歴史的な経緯から、アジア人の多くがそうなっています。アジアの他国と、日本との違いは、彼らの支配に屈したか、独立を守り通したか、ここにあります。日本は、経済力を求めて頑張ったのでなく、国の独立を死守するため彼らを師とし、追いつこうとしたのです。

  この点を踏まえた上で、私は氏の意見に賛成しています。

 「日本人は、同質民族の中で育ってきた。人種問題の経験はないし、自分たちに人種的偏見など、あるはずがないと信じ込んでいる。」「もし日本に人種問題があったら、こうした偏見にすぐ気づくだろう。」

 「人種的な偏見は、誰にでもあるという前提で、他の人々を理解しようと努めるだろう。」「しかし不幸にも、日本人にはそれが分からない。」「なまじ人種問題がなかったから、自分の偏見が無意識に出てしまっても、少しも気がつかないのだ。」

 「これまで模倣し続けてきた、優れたものに対する憧憬が、東南アジアへ来ると、いつの間にか自分を、白い顔の西欧人になぞらえてしまうのだ。」

 アジアの国々を訪ねた、私の経験からしますと、白い顔の西欧人になったと、そんな自惚れはありませんでした。自分たちは、西欧人の植民地にならなかったという、安堵と誇りでした。東南アジアの多くの人々は、どうして白人の支配に身を委ねてしまったのか。なぜ国の誇りや、民族の歴史を大切にしなかったのかという憐れみの気持ちでしたが、これも形を変えた差別なのかもしれません。

 反発したり納得したり、忙しい読書ですが、氏が真剣であるように、私も真剣ですから、中途半端なところで止められません。大切な指摘が沢山ありますから、謙虚に聞きます。面白い話でなくても、次回も続きけます。

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