鳥羽教授の三回目のブログです。早速、意見を紹介します。
「第二次世界大戦について、考えてみよう。日本の戦争の目的が、何であったにせよ、現実に、東南アジアでの西欧の支配を打ち砕き、植民地支配からの解放をもたらしたのは、同じアジア人の日本人だった。」「結果論だけでゆけば、独立の活力を与え、そのスタートを切らせたのは日本人だった。」
「東南アジアの人々が、日本人のおかげで独立したとは、言う訳はあるまい。」「しかしこの事実が、彼らの心の底にあることは間違いない。ベトナムにしても、インドネシアにしても、独立への道が容易でなかったことを考えると、日本による欧米勢力の駆逐がなければ、彼らの力だけで独立が達成されたかどうか、分からないことは誰でも知っている。」
アジア諸国から、日本が敬意を得られないのは、白人でもないのに、白人のように振る舞う日本人が、西欧人に代わる支配者になったからだと説明します。けれどもこの意見は、当時の日本人には酷な批評です。東南アジアの戦争で、死力を尽くして西欧と戦い、アジアの解放に一役買ったとすれば少しくらい有頂天になるのが、なぜいけないのでしょう。
そういうことが原因でなく、大東亜の戦争に敗れ、米国を筆頭とする連合国から、極悪非道な独裁国家として、日本が徹底的に叩かれたからではないのでしょうか。日本の指導者たちは、東京の法廷で断罪されただけでなく、東南アジアの各地で連合国による俄か作りの法廷で、ろくな弁護も受けず処刑されました。
西欧の大国が、日本を世界平和の敵として、こぞって弾劾しているときに、東南アジアの指導者たちがどうして異を唱えられるでしょう。次の言葉は、昨年の9月、田母神氏の著作の書評をブログにしたとき、氏の著作で教えられた言葉です。鳥羽氏が著作を出版した昭和48年には、こういう発言が世に出ていませんでした。
氏がもし存命なら、事実を知ってもらいたいと念じ、再度引用します。タイの首相の発言は、氏の本が出版された2年後で、マレーシアの首相の発言は21年後です。
1. ククリット・プラモート ( 昭和50年 タイ首相 )
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。」「日本というお母さんは、
難産して母体をそこなったが、」「生まれた子供は、すくすくと育っている。」
「今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、」「いったい誰のおか
げであるのか。」「それは身を殺して、仁をなした、」「日本というお母さんがあ
ったためである。」
「12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、」「一身を賭し
て、重大な決意をされた日である。」「さらに8月15日は、我々の大切なお母さん
が、」「病の床に伏した日である。」「われわれは、この二つの日を忘れてはなら
ない。」
2. マハティール・ビン・モハマド ( 平成6年 マレーシア首相 )
「日本が、50年前に起きたことを謝り続けるのは、理解できない。」「過去のこと
は教訓とすべきだが、」「将来に向かって進むべきだ。」「日本は、これからのアジ
アの平和と安定のため、」「国連の安保常任理事国となり、すべての責任を果たして
ほしい。」「過去の反省のため、日本がPKOの派遣もできないのは、」「残念なこと
だ。」
3. バー・モウ ( ビルマの初代首相 )
「歴史的にこれを見るならば、日本ほど、」「アジアを、白人の植民地支配から離脱さ
せることに貢献した、」「国はない。」「しかしまた、その解放を助けたり、」「多く
の事柄に範を示してやった諸国民から、」「日本ほど誤解を受けている国はない。」
4. ヘレン・ミアーズ ( GHQの所属だった、米国の日本専門家 )
「歴史的に見て、アジアの民衆を奴隷にしていたのは、日本でなく、」「私たちが同盟
を結ぶ、ヨーロッパの民主主義国である。」「日本は、現地住民に独立を約束しただ
けでなく、」「独立を保障した具体的な行動を進めている。」
「1935年 ( 昭和10年 )には、すでに満州での治外法権を放棄していたし、」「1943年
( 昭和18年 )には、中国に租借地を返還している。」「対戦中、日本は、占領したす
べての地域の、」「現地独立政府を承認していった。」
「私たちが解放戦争と呼んでいたものは、」「実はヨーロッパによる、アジアの再征服
だったのである。」「恥ずかしいことに、アメリカがそれに手を貸した。」
私が、これらの言葉を何度も紹介するのは、鳥羽教授を攻撃するためではありません。日本の過去を正当化したいと、反証するためでもありません。東南アジアの指導者にもいろいろな意見があり、見方があると言いたいのです。
日本を愛する私は、日本だけが悪かった、日本だけが間違っていたという東京裁判の捏造を肯定せず、あるるがままの日本を知ろうとしているだけです。