「アメリカに、二度降伏した日本」という表題で、藤岡氏が興味深いことを教えてくれました。
平成8年の産経新聞に、「教科書が教えない歴史」というタイトルの連載記事が掲載されました。氏が担当した部分だという説明なので、そのまま紹介します。
「1853年にペリーが来航した時、彼は二本の白旗と一通の手紙を、幕府に渡しました。手紙の文面は、次のようなものでした。」
「日本が、鎖国の国法をたてに通商を認めないのは、天の道理に背き、その罪は大きい。通商を開くことを、あくまで承知しないならば、我々は武力によってその罪をただす。」
「日本も、国法をもって防戦するがよい。戦争になれば、こっちが勝つに決まっている。降伏する時は、贈っておいた白旗を押し立てよ。」「そうしたら、アメリカは砲撃をやめ、和睦することにしよう。」
「アメリカは、友好的に、開国・通商を求めてきたのでなく、はっきりと戦争をしに来たのだということです。」「ですから、アメリカの歴史の教科書には、日本は二度、アメリカに降伏したと、記述しているものがあります。」
「昭和20年 ( 1945年 ) の、降伏は、誰でも分かるのですが、1853年の降伏については、現代の日本人は誰も知りません。」
太平の 眠りを覚ます 蒸気船
たった四杯で 夜も寝られず
私たちが歴史の教科書で教わったのは、この狂歌と、ペリーの軍隊が上陸した時の絵でした。ペリーがこんな脅迫文で、幕府を震え上がらせていたとは、今日まで知りませんでした。
これを知ると、沖合に浮かぶペリーの艦隊を眺め、夜も寝られなくなったという、日本人の切迫した危機感が理解できます。「親米路線」を大事にする日本だから、事実が教科書に書けなかったのでしょうか。これを知っていたら、国民は、マッカーサーが行った「東京裁判」を、違った目で見たような気がします。
「つきはぎだらけの、憲法」をこれほど押し頂き、有り難がる愚もしなかった気がしてきました。「事実を知ること」の大切さが、と分かります。藤岡氏の説明にも、感謝します。
「こうした外圧の中で日本は、文明開化を進め、富国強兵をし、」「ヨーロッパに対抗するという路線以外に、国家の独立を維持する道はなかったのです。」「それがまさに、明治維新なのです。」
ここで終われば、共感したままなのですが、これから先がいけません。どう読んでも、内容の軽薄さに失望させられます。息子たちにも失望して貰うため、紹介します。
「学校で教えられる近現代史は、コミンテルン史観と東京裁判史観をミックスしたものから成り立っており、子供に自国の歴史に対する、ロマンと共感を感じさせるものではありません。」
「私自身、明治の政治家たちについて、侵略的で、ギャングかマフィアの一味でもあるかのようなイメージを、長い間持っていました。」「しかし彼らが、与えられた条件の中で、いかに全身全霊をあげて、明治国家の建設に当たったかを、私は司馬遼太郎の小説で初めて学んだと、言っていいと思います。」
「歴史学者の本で、学んだのではないのです。」
司馬氏の小説を読みましたので、氏の気持ちが、分からないではありません。しかし私から見れば、やはり、ひいきの引き倒しです。日本の武士道が、生き生きと描かれているからと言い、忠臣蔵を教科書に取り入れようとするようなもので、学問を語るには焦点の合わない意見です。
参考になったのは、東京裁判史観とコミンテルン史観についての説明でした。かって氏が、真面目な共産党員だった過去を知れば、信じるに足る意見です。
「東京裁判史観で、一番効果があったのは南京事件です。」「東京裁判という場を利用して、日本軍が南京で20万人もの中国人を虐殺したとし、日本は、悪逆無道の国であるとの印象を、国民に植え付ける作業が大々的に行われました。」
「ただし、東京裁判が扱ったのは、昭和3年 ( 1928年 ) 以降の時期です。」「明治維新の時期にまでさかのぼって、日本が侵略国家であるという歴史認識を完成させたのは、マルクス主義者たちでした。」
「それはどういうことかと言うと、1927年と1932年に、国際共産党組織・コミンテルンが、日本に対しテーゼを出し、日本の天皇制は絶対主義的天皇制であると、分析しました。」「つまり日本は、基本的にはまだ封建制の社会であると、規定した訳です。」
「なぜそうしたのか。」「当時日本の共産党は、資本主義打倒を基本方針としていましたが、ソ連は、自らの国家利益のために、日本そのものを解体しなければならないと考え、資本主義打倒の前に、天皇制を倒さねばならないというテーゼを打ち出したのです。」
「日本は、近代国家を形成するために、天皇を中心に国民を統合してきましたから、天皇制打倒は日本国家の解体を意味します。」「ソ連は天皇制を廃止して、日本を解体し、ソ連の占領下に置こうとしたのです。」
「こうして、アメリカとソ連という二つの国家の国益に基づく、二つの史観 ( 東京裁判史観とコミンテルン史観 ) が占領下にドッキングして、日本は一貫して暗黒の時代にあり、国内的には圧政の歴史で、対外的には侵略の歴史であった、というストーリーが作られた訳です。」
なるほど、そういうことだったかと、納得しました。ここで終われば先ほどと同様、氏に共感したままなのですが、これから先がいけません。やはり氏は、低レベルの漫画みたいな説明を追加します。
「ある高校生は日本史の時間が来ると、ああ、また、日本の悪口か、とつぶやいたという。」「また、ある中学生は、近現代史を学んだ後の感想として、私は日本人というものに対して、心のどこかで軽蔑するようになってしまいました。」
「はっきり言うと、勉強しなければよかったと思います、と書いた。」「今、歴史を教わっている子供達にとって、こんな歴史が面白いはずがありません。」
昨日も述べましたが、歴史の教科書は、面白いかどうかが基準になるのではありません。私と氏が同年代であることから推察しますと、この中学生や高校生というのは、氏自身なのかもしれません。
自説を裏付けるため、伝聞として挿入したのでしょうか。子供だましみたいな話を、産経新聞に書いていたというのですから、読者も見くびられたものです。
新しい知識を与えられ、感謝したい気持ちはあるのですが、どうもうまくいきません。氏の著作は、玉石混交ですから、安心して読めないという特色があります。
明日もう一度だけ、氏とおつき合いし、それで終わりとします。この段階で、私に言えるのは、「氏は保守ではなく、保守の顔をしたオポチュニスト。」だ、ということでしょうか。