ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

国防婦人会 - 3 ( もう一つの昭和の顔 )

2018-06-25 18:17:45 | 徒然の記

 当時の婦人団体には、愛国婦人会、国防婦人会、大日本婦人連合会の他にも沢山ありました。

 今でも農村へ行きますと、「家の光」という雑誌が読まれていると思います。元々は農林省の所管だった、産業組合中央会(大正14年)から発行されたものです。情報に乏しかった農村部向けに出されたれた雑誌で、農協を通じての配布でしたから、農家以外の家庭は馴染みがありません。

 「家の光」は、友の会方式で農村婦人の組織化を進め、目的は、農村の疲弊を救うための自力更生運動が中心でした。節約し、生活の合理化に努め、貯蓄をすることに主眼が置かれていました。

 昭和6年には10万部だった「家の光」が、昭和10年には100万部に達するほどでした。

  愛国婦人会も国防婦人会も、発祥は都市部ですから、農村部を補うものとして、「家の光」の団体は活動していました。戦争の拡大と共に、国防婦人会や、愛国婦人会の団体も農村へ進出しますが、実態は、家の光のメンバーが参加しているようです。農村の女性にとっては、出征する兵士のお世話や留守家族の支援であれば、団体の名前がなんであっても、参加することにためらいはありませんでした。

 今ひとつ忘れてならないのは、婦人の権利向上を目指した市民団体のことです。馴染み深い市川房枝氏がリーダーとなった、「婦選獲得同盟」です。昭和7年の大会でファッショ反対を決議し、昭和8年と9年の大会では、膨大な軍事費拡大への反対を決議し、軍事国家への反対勢力となっています。

 都市部の演説会では満員になったようですが、時節柄会員は伸びませんでした。昭和9年に1,431人だった会員が、昭和14年には、690名となっています。昭和13年の、国防婦人会の会員数が755万人、愛国婦人会が360万人ですから、比較にならない数字です。

 平成30年と比較しますと、当時のマスコミには常識があったと思います。彼らは今、私ネトウヨ、右翼と攻撃しますが、朝日も毎日もNHKも、当時は主戦論の先頭で、聖戦遂行へと国民を促していました。にも拘らず、今の彼らの変節ぶりはどうでしょう。

 社会党の成れの果ての社民党が、国会の議席のほとんど失っているのに、今も野党第一党のように扱っています。共産党に至っては、国民弾圧の独裁政党であることを報道しません。

 マスコミへ批判が目的でありませんから、藤井氏の著作へ戻ります。

 「今私たちは、多くの戦争体験記を見ることができる。」「食糧不足のこと、配給のこと、焼けた家のこと、読むごとに戦争中の苦しい生活が甦る。だが、体験の伝承には大きな落とし穴がある。」「戦時下はすべて苦しかったかというと、かならずしもそうではないのである。」

 「昭和13年現在、戦闘状況はなお厳しいが、銃後はまだ普通の生活に近い。」「にもかかわらずその時期は、消費経済規制と、銃後生活のあり方が声高く叫ばれた時なのであった。」「それは一つには、戦場の苦渋と安穏な銃後生活の落差を埋めるための、精神的措置。」「今ひとつには戦争遂行のための、経済・物動計画からくる諸要請に基づいている。」

 昭和13年の閣議で、政府が経済戦強調週間の展開を決定しました。ここから、消費節約運動と貯蓄奨励運動が、経済国策の二本柱となります。それでも、中々国民の協力が得られないため、活用されたのが女性たちの組織でした。

 兵士へ慰問袋を送ったり、千人針を集めたりするだけでなく、財布を握る主婦である女性たちは、国策遂行の実働部隊でした。買い溜め禁止、贅沢禁止、貯蓄奨励などを率先して行い、様々な廃品を回収し、お金も集めました。

 女性たちの活動が、いかにすごかったかを語るエピソードとして、氏が大阪の廃品回収業者の話を紹介しています。

 彼女たちの活動が広がりを見せると、大阪市内の廃品業者の仕事が無くなり、廃業する者が現れました。これを知った女性たちは、業者へ詫びを入れ、集めたお金を分けたと言います。

 次の事実も、私の知らない昭和です。参考のため紹介します。

 「日中戦争段階の生活実態と、戦争の現実の間には、意外な開きがある。」「後に決戦段階になって、食糧も生活必需品もなくなり、本当の戦争の悲惨さを、すべての国民が味わった時期とは違う日常があった。」

 「国策の中から、一方では戦場で死ぬ者、一方では、景気が良くて儲かる者という矛盾した実像が生まれる。」「景気の良いままに、享楽の生活が浸透すれば、」「不幸にも駆り出された兵士は、戦場で死を睹して戦えない。」「この意味で、政府の、消費統制運動の主要な部分は、国民の精神統制なのであって、国民精神総動員と言われる所以である。」

 敗戦後の日本では、マスコミの報道だけでなく、学校でも世間でも、氏の話とは違った世論が作られました。

 「暗黒の昭和」「暴走する軍隊に、押しつぶされた国民」「言論の自由を奪った、国家権力」「国民の声を無視した、無慈悲な国家」・・と、私は碌でもない日本を、これでもかと学校で教わりました。

 もちろん、すべてが嘘ではありません。事実もたくさん含まれています。しかし私たちは今後、捏造の事実も知らなければなりません。敗戦国となった日本が、戦勝国アメリカの支配下で、過去のすべてを否定されられ、親も祖父母も間違った戦争に加担したと教えられたことが、捏造と偏見の強制だったということ。

 これらはすべて極論であり、偏見に満ちた思考です。左翼学者の藤井氏が、別の事実を語るのですから、私は敬意を表します。

 息子たちには、心に刻んでほしい氏の意見です。訪問される方には、今日の反日左翼たちが、偏った意見を振りまいている事実を知って頂きたいと思います。今回で終るつもりでしたが、明日もう一度だけ続けます。

 日本の隅々にまで影響を及ぼした女性の団体が、どうして消滅したのか。ここを省略したまま終わってはいけないという気がするからです。

コメント
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