ねこ庭の独り言

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二つの顔の日本人 - 5 ( 戦後の日本人への警鐘 )

2018-06-18 18:35:49 | 徒然の記

 鳥羽教授のブログの5回目です。40年前と現在では、進出企業の形態も変化していますから、そのまま通用しないのかもしれませんが、基本は変わっていないと、私は思います。

 「東南アジアにおける日本企業進出の特徴は、繊維、自動車および部品、家電製品、食品、プラスチック、鉄板、鋼管といった、輸入代替え産業を中心とした軽工業に重点が置かれたことである。」

 「日本の国内市場が、飽和状態に達した産業部門が、いち早く東南アジア市場を確保しようとしたもので、最初から、比較的狭い国内市場を前提として、設備投資を可能な限り抑制し、原材料、部品の全てを、日本に仰ぐという形で出発した。」

 「例えばマレーシアのバッティガ団地にある、イゼキ、クボタという農機具工場へ行ってみると、部品を全部日本から輸入し、単にそれを組み立てるというアセンブル作業に過ぎない。」 

 「また僕が訪れた時、進出七年目を迎えたタイ大丸でも、50パーセントは日本商品を販売し、見返りとしてのタイ商品の買い付けは、まだそれほどでもないということだった。」「言って見れば、現地における日本企業の発展は、とりもなおさず、日本からの輸入の増大となり、土着の産業に、直接刺激を与えることにはなっていない。」

 「今度のボイコット運動の対象となった、タイ大丸の場合は、100パーセント日本の出資で200名の従業員を雇っているが、その90パーセント以上は中国系であり、3年目より、黒字を出している。」

 「中国系従業員の多いこと、日本商品への依存度の高さ、更に他の小売店への圧迫など、種々の原因が重なったと思うが、人々の嫉視を、招いてしまった。」

 当時私は東京にいて、盛んに進出する企業のニュースを見て、日本の会社が、東南アジアの国々の発展に寄与しているとばかり、思っていました。しかし現実は、こういうものだったのです。

 「もともと設備投資を可能な限り抑制し、政府の保護のもとで狭い国内市場を対象として、発展してきたという事情から、どの工場も、スケール・メリットを生かすということはできない。」「生かそうと思っても、日本企業間の過当競争が激しいため、結局現地の低賃金労働を強化することになるという、悪循環がある。」

 「こうした特徴を見ていると、日本企業に対する、現地の評判の芳しくない理由も少しは、理解できると思う。」

 これ以上、氏の著作からの引用を止め、私は、当時の日本人を描いた、マレーシア人のラジャ・ダト・ノンチック氏の詩を、再度紹介します。平成元年 ( 1989 ) に、首都クアランプールで書かれたものです。

  かって 日本人は 清らかで美しかった

        かって 日本人は 親切でこころ豊かだった

  アジアの国の誰にでも
  自分のことのように 一生懸命つくしてくれた
 
  何千万人もの 人の中には 少しは 変な人もいたし
  おこりんぼや わがままな人もいた
  自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
  いなかったわけじゃない
 
  でも その頃の日本人は そんな少しの いやなことや
  不愉快さを超えて おおらかで まじめで
  希望にみちて明るかった
 
  戦後の日本人は 自分たちのことを 悪者だと思い込まされた
  学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
  まじめに
  自分たちの父祖や先輩は
  悪いことばかりした残酷無情な
  ひどい人たちだったと 思っているようだ
 
  だから アジアの国に行ったら ひたすら ぺこぺこあやまって
  私たちはそんなことはいたしませんと
  いえばよいと思っている。
 
  そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
  自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
  うわべや 口先では すまなかった 悪かったといいながら
  ひとりよがりの 
  自分本位の えらそうな態度をする
  そんな 今の日本人が 心配だ
 
  ほんとうに どうなっちまったんだろう
  日本人は そんなはずじゃなかったのに
   本当の日本人を知っているわたしたちは
  今は いつも 歯がゆくて 
  悔しい思いがする
 
   自分たちだけで 集まっては 自分たちだけの 楽しみや
  ぜいたくに ふけりながら 自分がお世話になって住んでいる
  自分の会社が仕事をしている その国と国民のことを
  さげすんだ目で見たり バカにしたりする
 
  こんなひとたちと 本当に 仲良くしていけるのだろうか
  どうして
  どうして日本人は
  こんなになってしまったんだ         
 
 あと何回か、鳥羽氏の書評を続けるつもりでしたが、再びノンチック氏の詩を読み、その必要がなくなっていることに気づきました。
 
 息子たちに言います。敗戦後の日本の教育の間違いと、形だけの反省で生きてきた私たちを、この詩が教えています。
 
 鳥羽教授は少し違いますが、ノンチック氏が批判し、反省を促しているのは、戦前の日本人ではありません。経済大国になった、戦後の日本人に対してです。形だけの人道主義と、平和主義教育が、私たち日本人を間違った方向へ進めたことを教えています。
 
 教授の著作とこの詩には、日本人への警鐘が込められています。少し強引な気もしますが、反日左翼と日教組に別れを告げる時が来ていると、理解します。
コメント
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