鳥羽教授のブログの5回目です。40年前と現在では、進出企業の形態も変化していますから、そのまま通用しないのかもしれませんが、基本は変わっていないと、私は思います。
「東南アジアにおける日本企業進出の特徴は、繊維、自動車および部品、家電製品、食品、プラスチック、鉄板、鋼管といった、輸入代替え産業を中心とした軽工業に重点が置かれたことである。」
「日本の国内市場が、飽和状態に達した産業部門が、いち早く東南アジア市場を確保しようとしたもので、最初から、比較的狭い国内市場を前提として、設備投資を可能な限り抑制し、原材料、部品の全てを、日本に仰ぐという形で出発した。」
「例えばマレーシアのバッティガ団地にある、イゼキ、クボタという農機具工場へ行ってみると、部品を全部日本から輸入し、単にそれを組み立てるというアセンブル作業に過ぎない。」
「また僕が訪れた時、進出七年目を迎えたタイ大丸でも、50パーセントは日本商品を販売し、見返りとしてのタイ商品の買い付けは、まだそれほどでもないということだった。」「言って見れば、現地における日本企業の発展は、とりもなおさず、日本からの輸入の増大となり、土着の産業に、直接刺激を与えることにはなっていない。」
「今度のボイコット運動の対象となった、タイ大丸の場合は、100パーセント日本の出資で200名の従業員を雇っているが、その90パーセント以上は中国系であり、3年目より、黒字を出している。」
「中国系従業員の多いこと、日本商品への依存度の高さ、更に他の小売店への圧迫など、種々の原因が重なったと思うが、人々の嫉視を、招いてしまった。」
当時私は東京にいて、盛んに進出する企業のニュースを見て、日本の会社が、東南アジアの国々の発展に寄与しているとばかり、思っていました。しかし現実は、こういうものだったのです。
「もともと設備投資を可能な限り抑制し、政府の保護のもとで狭い国内市場を対象として、発展してきたという事情から、どの工場も、スケール・メリットを生かすということはできない。」「生かそうと思っても、日本企業間の過当競争が激しいため、結局現地の低賃金労働を強化することになるという、悪循環がある。」
「こうした特徴を見ていると、日本企業に対する、現地の評判の芳しくない理由も少しは、理解できると思う。」
これ以上、氏の著作からの引用を止め、私は、当時の日本人を描いた、マレーシア人のラジャ・ダト・ノンチック氏の詩を、再度紹介します。平成元年 ( 1989 ) に、首都クアランプールで書かれたものです。
かって 日本人は 清らかで美しかった
かって 日本人は 親切でこころ豊かだった