ねこ庭の独り言

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『二つの顔の日本人 』 ( アジアを知らない日本人 )

2018-06-15 19:33:31 | 徒然の記

 鳥羽欽一郎氏著『二つの顔の日本人』( 昭和48年刊 中公新書 )を読了。

  氏は大正13年に東京で生まれ、今年94才です。早稲田大学卒業後に、同大学の商学部の教授になっています。その後ノースウエスタン大学、マラヤ大学、高麗大学の客員教授を務め、平成11年に、新潟経営大学の学長になりました。専攻は、経済史、経営史です。

 経歴を詳しく書いているのは、久しぶりに、心を動かされた著作だったからです。簡単に言いますと、氏の海外経験をもとにした日本人論です。世界第二の経済大国となった日本人が、なぜアジアの国々で嫌われるのかについて、これでもかと説明しています。

 うなづかされたり反発させられたり、反省させられたり、喜怒哀楽の一冊でした。反日左翼教授ではないらしく、彼ら特有の悪意がなく、耳痛い指摘も素直に受け止めました。その代わり偏った意見には、率直に反論しました。

 一昨日はトランプ大統領が、北朝鮮の金正恩委員長とシンガポールで対談しました。北の非核化や拉致被害者の救出をめぐり、これから日本は北朝鮮とだけでなく、韓国、中国、ロシアなどと、息の長い折衝を続けることになるはずです。折衝の中心は外務省ですが、見守る私たちが当事者です。

 東アジアの諸国が、日本人をどう見ているかにつき、率直な意見を知っておくのは大事なことです。その知識があれば、今後の折衝を見ていく上で、的確な判断ができる気がします。

 日本はアジアの中で、賞賛され敬意を表される一方で、激しく憎む人々がいるのは、なぜなのか。疑問を解く鍵が、氏の著作にありました。氏の意見に耳を傾け、自分だけでなく、息子たちと、訪問される方々に伝えたいと思います。

 本が出版されたのは今から45年前ですが、時代遅れの古本と侮ってはいけません。そのまま通用する意見が、沢山あります。45年前の話が今でも通じるなんてと、不審な顔をしてはなりません。

 敗戦後73年目になるというのに、いまだに「日本だけが、間違った戦争をした。」「日本に、軍隊はいらない。」と、考えている人間が日本には沢山います。一度頭に入った思考は、よほどのことがない限り変わらないという、良い例です。世界の情勢が変われば思想も変化するのに、適応できない人間が無数にいる。日本のこの現実を見れば、氏の著作が時代遅れにならない理由が理解できます。

 昭和48年といえば、私は若手社員の一員として、東京で働いていました。記憶にある 昭和48年は、高度成長時代の真っ盛りで、毎日残業、日曜出勤と、やたら忙しかったという印象です。週休二日制はとんでもない話で、周りはみんな企業戦士でしたか。

 本題に入る前に、昭和48年について調べてみました。 

   1月 ベトナム和平協定調印。

  2月 浅間山大噴火、12年ぶりに大爆発。
      ・ 円の変動相場制移行。

  3月 動労、長期順法闘争(~17日)。13日上尾駅で乗客1万人が暴動化。
     ・ 熊本地裁、水俣病第一次訴訟で患者側勝訴の判決。

  4月 国労・動労、順法闘争。通勤客ら暴動化。
     ・ 春闘史上初の交通ゼネスト。
  7月 日航機、オランダでパレスチナゲリラにハイジャック

     (24日リビア・ベンガジ空港で乗客ら解放後機体爆破、犯人逮捕)

  8月 韓国前大統領候補・金大中、東京のホテルから強制連行、行方不明

     (13日ソウルで所在判明)

 10月 江崎玲於奈、ノーベル物理学賞受賞。
   ・ オイルショック。国際石油資本5社、日本への原油供給約10%減を通知。
   ・ 尼崎市でトイレットペーパー・パニック。以後各地で買い占め騒動。

 これらの出来事は、新聞の活字やテレビの画面として浮かんできます。給料が毎年、倍、倍と増額しても、休みが取れず、使う時間がないという嘘みたいな時代でもありました。こうした事実を考えながら、早速氏の本を紹介します。

 「東南アジアは、決して近い国ではない。」「僕は、今日の日本人にとって、積極的に理解しようとしない限り、西欧よりもむしろ遠い国なのではないかと、さえ思う。」

 「日本の旅行者も、在留する商社や企業の人々も、東南アジアの大都会にしか、行きもしないし住みもしない。」「その大都会は、特殊に西欧化された社会なのである。」「日本人はまたこうした特殊な社会の、また特別に特殊な、日本コロニイという社会に住み着く。」

 「しかし発展途上国は、すべて落差の国である。文化的にも経済的にも、貧しい農民と、所得の高い西欧化した大都市との、二重構造だと言っていい。」

 「中小都市というものがないから、大多数が住む貧しい伝統的社会と、少数の人々の西欧化社会の隔絶の上に、これらの国は成り立っている。」「その国の伝統文化は、大都会よりもむしろ農村にある。だから、こうした地方の価値を理解しない限り、その国のことが分かったとはとうてい言えないのだ。」

  220ページの本の、30ページのところを、紹介しています。発展した都市が増えたとはいえ、東南アジアの状況と、日本人の接し方は、今も変わっていないことが分かります。乾燥した土地に、降り出した雨がたちまち吸い込まれていくように、氏の言葉が私の心にしみました。

 「僕は東南アジアという、十把一からげ的な言葉があまり好きでない。ヨーロッパという時、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、スペインというように、僕らは個別に分離して、その差異を感じるだけの知識がある。」

 「しかし地域的に、親しいと感じているはずの東南アジアについて、タイとビルマを、カンボジアとラオスをと、区別するだけの知識を僕らは持っているだろうか。」

 「実は、アジアの隣人である、東南アジア諸国について、僕らはさらに遠い国である、アメリカやヨーロッパよりも、無知なのである。」「しかしもっと困った問題は、日本にいる日本人も、東南アジアにいる日本人も、東南アジアについてもっと知ろうとは思っていない、ということである。」

  「明治から百年、夢中になって、西欧の経済力を追いかけてきた日本人は、経済力以外に、他国の文化や社会を区別する、基準を失ってしまったのだろうか。」

 章の最後を、氏はこういう言葉で締めくくります。明治時代の日本人が、西欧を経済的な面からだけ捉えていたと、私は考えていませんが、当時も今も、アジアを文明の遅れた国々として、考えていたことは間違いありません。

 本のテーマは、西欧を向いた日本人の顔と、アジアを向いた時の日本人の顔と、この二つを称して『二つの顔の日本人』という本の題名ができています。

  次回からは、具体的な氏の意見を紹介します。
コメント (2)
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