ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

害虫駆除 - 4 ( 日本学術会議・GHQとの関係 )

2020-10-11 19:30:51 | 徒然の記

 本日から「害虫駆除論」に入りますが、元資料は主として、「日本学術会議」が編纂し、公開している「ネット情報」です。

 私は知りませんでしたが、創立70周年を記念する展示を、 令和元年10月1日(火)~11月29日(金) にかけて、『地下書庫アーカイブズの世界』という名前で行っています。展示会の副題が、「日本学術会議の設立と組織の変遷」と書かれ、主催 「日本学術会議」、企画協力 「日本学術会議史学委員会」となっています。

 息子たちや「ねこ庭」を訪問される方々を、退屈させないようにしたいのですが、これから述べる「害虫駆除論」が、いい加減な資料に基づいていないという説明なので、今少し辛抱してください。展示会資料の目次を、転記します。

 1. ごあいさつ

 2. 日本学術会議の設立

 3. 上野から六本木への移転

 4. 地下書庫に残されていた図面

 5. 日本学術会議の組織 ( 会員選考 庁舎 政府との関係 国際学術交流 )

 6. 日本学術会議の活動

 7. 日本学術会議の活動の一端

 8. 日本学術会議略年表

 9. 今後に向けて

   熟読すれば、1日を費やすボリュームです。この資料の中から割愛し、「害虫駆除論」のため活用いたします。

 これによりますと、そもそもの「日本学術会議」の源流が、3つあります。

 1. 明治12年 東京学士会院設立 (  会長:福沢諭吉 )

 2. 大正 9年     学術研究会議   (  国際学術研究会議の設立を受け、組織された )

 3. 昭和 7年     日本学術振興会  ( 国際的な学術組織への参加、国内研究体制の整備のため )

 続いて戦後の、推移が説明されています。

 1. 昭和20年9月 原子爆弾災害調査研究特別委員会設立 ( 原子爆弾の災害調査を行う研究班を組織し、調査を行った )

 2. 昭和20年12月 学士院制度調査委員会で、学術研究会議と日本学術振興会の廃止が決定

 3. 昭和22年   学術体制刷新委員会設立 ( 前組織を尊重しつつ、戦後の新しい社会とともに歩むべき、必要な改革を行った )

 4. 昭和23年 7月 日本学術会議法公布

 5. 昭和24年1月 日本学術会議設立

 資料の中から、設立の経緯を拾い出し、時系列で並べるという面倒な作業をしているのは、何処かにGHQの影が見えないかと、探しているためです。そうすればこの団体が、米国の置き土産の「トロイの木馬」の一つだと、証明されるからです。

 いくら元国務長官ダレス氏が語っていたとしても、「トロイの木馬」が簡単に表に出るはずがありません。「東京大学社会科学研究所」、「日本国憲法」、「放送法」、「日刊新聞紙法」など、私が推測しているだけで、素人に見つかるような「トロイの木馬」なら、それこそアメリカの恥でしょう。

 前回のブログで、昭和23 年の「日本学術会議法」公布に関し、次のような注釈を入れました。

 (  注 :  日本学術会議設立には、GHQが関与し、物理学者仁科芳雄氏と共に、旧体制を刷新  )

 この部分は、別のネット情報から見つけて補足した文章です。なぜ仁科芳雄氏の名前が突然出てくるのかも、分からないままです。しかし、やっと資料の中から、次の叙述を見つけました。

 「日本学術会議の発足 ( 1949 )」という表題のページに、「日本学術会議法案原本 ( 英文 ) 」の写真があり、次のように説明がありました。

 「日本学術会議法案は、昭和23年6月8日に閣議決定され、」「7月10日に公布、即日施行された。」「法案作成は、学術体制刷新委員会が行い、」「当時は連合国軍の占領下にあったため、」「法案について、占領軍との事前協議が行われた。」

 セピア色に変色した「英文法案」の原本には、修正箇所とみられる多くの書き込みがあります。私はこれを「トロイの木馬」の証拠写真と受け取り、自分の推測の正しさを確信します。しかしこれは、色々な人が、色々な受け止め方をするはずですから、私の考えを押しつける気はありません。諸般の情勢から、どのように判断するのか・・・。結論は息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々にお任せします。

 私は先を急ぎ、次回へと進みます。

コメント (4)
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