机の横の本箱に、未読の書が二十冊ほどあります。すべて、市の図書館の廃棄図書です。ブログは書評を中心にしていますが、時にはマスコミの報道を取り上げたり、ネットの動画について述べたりしますので、知らぬうちに未読の書が溜まります。
残っている本の主なものを、書名だけ書き出してみます。
1. 『教育への告発』 2. 『いま教育を問う』
3. 『いじめと不登校』 4. 『昭和教育史の証言』
5. 『教師』 6. 『学校は変われるか』
7. 『教なき国民は滅ぶ』 8. 『いじめ・不登校』
9. 『教育問答』 10. 『ジャカルタ日本人学校の日々』
11. 『日本の教師に伝えたいこと』
残っているのは、教育関係の書です。どうしてこうなったのか、理由は簡単です。政治や経済、あるいは歴史や文化に関する本の方が、マスコミを騒がせる話題に関連しますので、ついそれを優先して読むからです。
ブログは息子たちに贈る私の遺言でもありますから、その時々の日本で、大きな問題になったことを、書評と併せて述べていると、地味な教育関係の書は、後回しになります。今回は、「日本学術会議」という、一握りの反日・左翼学者に支配された団体が、日本の政治を騒がせています。この学者たちは、言うまでもなく、日本の教育界も歪めていますので、偶然未読の書の中から、河上亮一氏の『学校崩壊』を読む気になりました。
結果として、学校教育が、予想以上に生徒たちを歪めている事実を知りました。戦後の教育が、日教組と文部省の激しい対立の中で動いていたことは、ぼんやりと知っていましたが、ここまで侵食されているとは考えていませんでした。息子たちはすでに、みな40才を過ぎていますが、日教組の影響を受けています。
私が直接息子たちと会話をせず、こう言う形でブログを残し、自分がいなくなった後で考えて欲しいと努力しているのは、簡単に言えば「日教組」のおかげです。過去何度か話をし、私も息子も、このまま議論を続ければ、親子の絆がおかしくなると、互いに感じ、以後政治向きの話を止めました。
戦後のドイツでは、ナチズムについて、親と子、子と孫たちの間で、激しい議論が交わされ、家族の亀裂が生じたと言われています。ナチズムを「東京裁判史観」と置き換えれば、そのままドイツと重なります。
言うまでもなく、ナチズムと「東京裁判史観」は別物ですが、日本ではこれを同列に並べ、日本人全体を批判・攻撃する人々が沢山います。ナチズムはユダヤ人を敵視し、民族抹殺を図る憎しみの思想ですが、「東京裁判史観」は、連合国軍というより、主としてアメリカによって作られた、「日本抹殺」のための思考です。
先にも説明しましたが、戦後の日本で、「東京裁判史観」を浸透させたのは、GHQが残した「トロイの木馬」たちです。「日本国憲法」、「反日・左翼学者」、「反日・左翼マスコミ」・・この三つです。
米国による占領が終わり、日本が独立する際、元国務長官ジョン・フォスター・ダレスが語った言葉を、私たちはもっと重く受け止める必要があります。
「名目的な独立はさせても、実質的な占領は続ける」
こうしたことを、ダレス氏がなぜ自信を持って言えたのか。それはアメリカが、日本占領後に引き上げても、「トロイの木馬」が残っていたからです。日本をやがて崩壊させる「日本国憲法」を、学者とマスコミが、どれほど国民に浸透させてきたか、どれほどの熱意で行き渡らせる努力をしてきたか・・今になって思えば、「トロイの木馬」たちは、アメリカが予想していた以上の働きをしたのです。
本来なら、私も、敗戦後のドイツの親たちがしたように、子供たちと、激しい論争をすべきなのかも知れません。家族の愛に傷がついても、親子の断絶が生じても、話し合いから逃げてはいけないのかも知れません。
しかし私に限らず、日本の親たちは、そのような論争を家族の中でしませんでした。聖徳太子が言われた、「和をもって、尊しとなす」という教えがあったからではありません。私と同じ問題を抱えておられる、親がおられたら、是非とも一緒に考えて頂きたいと思います。
ドイツのナチズムは、ドイツ人自身の問題です。彼らは、他国から強制され、ヒトラーのナチズに熱狂したのではありません。反対者や、不本意ながら引き込まれた人間もいたでしょうが、ドイツ人自身が多数の意思で、ナチズムを標榜したのです。
しかし「東京裁判史観」は、日本人自身が多数で熱狂したものでなく、GHQという権力が、敗戦国に残した「トロイの木馬」が広めたものです。当時の日本で、一流の学者や一流の新聞が、「日本は間違った戦争をした。」「日本だけが悪かった。」と、何年にも渡り、全国津々浦々に発信したプロパガンダでした。背後には、世界一の大国である、アメリカがいます。
ここがドイツとの、決定的な違いです。ドイツのナチズムには、他国の干渉がありませんから、ドイツ人自身の問題として、議論できます。私が息子たちと、「東京裁判史観」について議論するには、GHQが作った「トロイの木馬」の説明からしなくてなりません。
しかしこれは、日教組の「人道主義」と「平和主義」に魅せられた、若い息子たちには通じない話です。それどころか、ひねくれた父親の、邪推としか受け取られません。敗戦当時のドイツでは、ナチズムについて、おそらくまだ国論が二分していたのではないでしょうか。ヒトラーを責める人間と、擁護する者がいたはずです。もっと大事な点は、ヒトラーを中心に国論が分かれていても、ドイツという国自身を否定する人間がいなかったことです。敗戦の原因をヒトラーとする人々も、自国の歴史や文化を否定していません。
しかし敗戦後の日本では、一流の学者たちと一流の新聞が、こぞって日本批判と攻撃をし、国の歴史と文化まで否定しました。学校では教師たちが「東京裁判史観」を、歴史として教えていたのですから、息子たちに父の話が正しいと言っても、おいそれとはいきません。戦後75年たった今になり、やっと「東京裁判史観」への疑問が、少しずつネットで語られるようになりました。
私の立場にいる親の方々には、「トロイの木馬」がいなかったドイツと、日本の違いを是非とも確認して頂き、自分たちは論争から逃避したのでなく、時の来るのを待っていたのだと、そのようには考えられないものでしょうか。
象牙の塔に立てこもり真理を追求するのが学者だと、世間ではまだそう信じている人がいますが、自己保身と利益のために意見を述べる、俗世にまみれた学者が、それも一流と呼ばれ人々に尊敬される学者の中に、沢山いることを知る必要があります。
前置きが、何時もよりずっと長くなりましたが、今回私が言いたかったのは、簡単なことです。
「私は、今日から、未読のままにしていた教育関係の本を、集中して読みます。」
もともと面白くない私のブログですから、さらに退屈になります。しばらくは、「ねこ庭」を訪問される方々が少なくなるだろうと、予想します。