ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

学校崩壊 ( マスコミの糾弾 )

2020-10-30 21:23:55 | 徒然の記

 河上亮一氏著『学校崩壊』( 平成11年刊 草思社 ) を、読み終えました。中学校の教師の立場から、自分の経験を踏まえた深刻な問題提起・・と、こう言えば良いのでしょうか。

 氏の経歴を、ネットで検索しますと、有名な人物らしく、詳しく掲載されていました。

 「昭和18年、東京生まれ。」「東大経済学部卒、卒業と同時に埼玉県立中学校の、社会科教師となる。」「昭和41以来、川越市立、高階、霞ヶ関、川越第一、鯨井、名細、城南、初雁の各中学校に勤務」

 授業に集中できない子供が増え、小学校で学級が崩壊し、中学校では切れる生徒が増え教師が刺殺され、高校は慢性の暴力教室へ化しと、学校教育が危機に瀕し始めた頃の本です。今から21年前の著作ですが、あれから現在はどうなっているのか。考えさせられる一冊でした。まず、学校でのいじめ問題につき、日々向き合っている教師として、「マスコミの糾弾が、いかにずれているか」について、氏が7項目に分け説明しています。

 1. いじめは学校で起こる。学校の責任だ。

 2. いじめは悪である。根絶しなければならない。

 3. いじめられる子供が悪い。弱いからいじめられるのだ。

 4. 自殺するのは弱いからだ。鍛え直さなれければならない。

 5. いじめが確認できないのは、教師が信頼されていないからだ。

 6. いじめは、はじめから事実として存在する。

 7. 校則・体罰・管理教育が、いじめを生み出すのだ。

 マスコミに叩かれる側からすると、7項目なのでしょうが、私が批判しているのは、1.と2.と5.です。他の項目については、あまり意識していませんでしたが、ブログでは、氏の反論を全部紹介いたします。

 1. いじめは学校で起こる。学校の責任だ。

  「いじめは、子供が大人になっていくために、」「決定的に重要な関係であると、考えなければならない。」「それは社会生活そのものであり、大人になるための、」「訓練と言ってもいい。」「いじめられた子は、耐える力を学ぶことができるし、」「いじめた子も、相手の痛みを感じるきっかけを、」「掴むことだってできる。」

 2. いじめは悪である。根絶しなければならない。

  「この指摘は、子供の世界のメカニズムを、全く考えていない。」「子供の横の世界を、完全に無くして仕舞えば、」「いじめは起こらなくなるだろう。」「しかしそんなことは、現実的に不可能なことだし、」「やってはいけないことでもある。」「そのような、極端な管理が成立したとしても、」「そこでは、子供は一人前の人間として育っていくことは、」「無理である。」

 3. いじめられる子供が悪い。弱いからいじめられるのだ。

  「最近のいじめは、弱いからいじめられるのではない。」「まずどんな生徒も、いじめる側にもなるし、いじめられる側にもなる。」「この20年くらいの間に、社会の中に、」「平等主義的な力が、ものすごく強くなった。」「みんな同じがいいという価値が、どんどん強くなってきたのである。」

 「しかしみんな同じと考えても、現実は違うのである。」「ところが違いが許されないわけだから、生徒たちは、」「違う自分を外に出さないように、必死に自分の周りに、」「バリアーを張ることになる。」「そしてこれが、うまくいかない生徒が出てくるのも、当然のことである。」「こういう生徒が、いじめの対象になる。」

 「みんなと一緒に行動できない」、「身の回りがだらしない」、「他人とうまく協調できない」、「自分を主張しすぎる」、「勉強ができない」、「でき過ぎる、等々理由はなんでもいいのだ。」

 「何も弱いことだけが、理由ではない。」「理由は、みんなと違うということだ。」「理由がたくさんあるから、いじめられる生徒は、」「時と場合によって、次々と変わっていき、」「すべての生徒がその対象となるのだ。」

 なるほどと思わせられる意見もありますが、どうしてそんなアプローチになるのかと、首を傾げる意見もあります。氏は昭和18年生まれですから、私より一つ年上で、ほとんど同時代を生きています。それほど違った経験をしているはずがないし、考え方に差があるとも思えません。

 一体氏は、どんな歴史観を持っているのか。反日・左翼なのか、中庸の保守なのか・・どうしても、氏の立ち位置が知りたくなります。敗戦を境に、日本社会が急変し、GHQが残した「トロイの木馬」について、どのくらいの認識があるのか。

 「日本国憲法」と「反日・左翼の学者」と「反日・左翼のマスコミ」の三つが、戦後日本の風潮を変えてしまいました。「自由」「平等」「人権」という思考が前面に出てきたのは、「トロイの木馬」が活発に活動を開始して以来です。生徒の教育問題を考える時、これらについて何も触れないのなら、その教育者は無知なのだろうと、私はそう考えます。

 私が氏を軽視しないのは、長い経験の上に立ち、私の知らないことを教えてくれるからです。「最近のいじめは、弱いからいじめられるのではない。」「まずどんな生徒も、いじめる側にもなるし、いじめられる側にもなる。」・・と、こういう話は、教えてもらわなくては分かりません。

 東大卒という学歴が気になります。東大生だったのなら、馬鹿ではないのですから、立場を曖昧にし、無知を装っているのかもしれません。東大を卒業した立派な人がたくさんいますが、最近私が遭遇する元東大生は、箸にも棒にもかからない人物が多いので、悲しいことに警戒が先に立ちます。

 息子たちも、「ねこ庭」を訪問される方々も、自分の学校時代を思い出しながら、読んでもらえたら幸いです。政治が乱れている日本ですが、教育界も乱れています。どちらも明日の日本のため、大切なことですから、しばらく、お付き合いください。 

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