吉田茂氏著「日本を決定した百年」( 昭和42 年刊 日本経済新聞社) 。本日は、この本から、貴重な教えをもらいます。
ブログにかかるに際し、次のことを前提にしています。
1. 米国は日本統治をするにあたり、日本の社会、政治、経済、文化等について、事前に詳細な研究をしていた。
2. 軍部、政界、財界、学界、法曹界、マスコミ界等について、どのような人物がトップにいるのか、その人物たちの経歴、家族、友人関係など、詳細なデータを持っていた。
ルイス・ベネディクトによる『菊と刀』が、その一つの研究書であることは、よく知られています。 ( 日本が世界第二の経済大国となり、米国を脅かす存在になった時、日本崩壊のための研究書の一つが、社会学者エズラ・ヴォーゲル氏が書いた、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』だとも、私は考えています。)
この前提に立ち、故吉田総理の著作を引用いたします。96ページです。
「第二次世界大戦後に、日本を訪れた占領軍は、」「歴史にその例を見ないものであった。」「すなわちアメリカ軍は、ただ単に勝者としてではなく、」「改革者として、日本を " 非軍事化 " するために、」「進駐してきたのであった。」
これが、この章の書き出しです。敗戦国の総理として、占領軍と対峙した、私たちのご先祖の言葉です。
「戦争の原因を、日本やドイツの軍国主義に見た彼らは、」「日本の軍国主義を生み出した、社会構造を変革し、」「日本を軍事的に無能力化することこそ、」「平和な世界を建設するために、最も基本的なことであると、」「考えていた。」
私が注目し、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々にお伝えしたいのは、次の言葉です。
「彼らはそのための計画を、日本に進駐する前から作っており、」「そして、日本に進駐して来るやいなや、」「その計画通りに、日本の非軍事化と民主化を推し進めていった。」
8月末に進駐してきた彼らが、9月以来矢継ぎ早に行った改革を、列挙しています。
1. 東條首相などの戦争犯罪人を逮捕
2. 軍隊の完全な武装解除と、軍事機構の廃止
3. 国家主義団体の解散
4. 好ましからざる人物の公職追放、思想警察、政治警察の廃止
5. 婦人参政権の付与
6. 労働組合の結成
「そして、教育改革、土地改革、財閥解体、新憲法制定なども、」「だいたい、一、二年のうちに行われたのである。」「それは文句なしに、" 無血革命 " と呼べるような、」「大変化であった。」
「日本学術会議」と「東京大学社会主義研究会」について、GHQとの繋がりを推測しているのは、次の叙述です。南原繁氏の名前は出てきませんが、日本のトップ大学の総長への接触を、彼らがしないと考える方が不自然です。次の叙述を読みますと、南原氏が彼らに傾いたであろう背景が伝わってきます。
「特に、このためにアメリカ本国で組織され、準備を進めて日本に来た人々は、」「日本を改革するという、情熱に燃えていた。」「彼らは典型的なアメリカ人として、精力に溢れ、」「楽天主義に満ちた人々であり、その本質的な善意のために、」「日本人の尊敬と、協力を得るのに成功した。」
使命感に燃えた善意の人々が、しかも強大な力を持つ彼らが、軍部に批判的だった南原氏の前に現れた時、氏は心を開いたのではないでしょうか。彼らを尊敬し、協力した日本人の中に、私は南原氏を加えたいと思います。
吉田元総理は、同時に彼らの別の面も、伝えてくれます。
「しかしまた、彼らはいささか尊大であり、かつ過酷でもあった。」「彼らは、日本の経済復興の必要を、認めていなかった。」「彼らは、古い政治構造を破壊し、徹底的な社会改革を行うことが、」「日本人の生活に、どんな影響を与えるかについても、」「単純に、楽観的であった。」
次に元総理の描写する人々が、「新憲法 ( GHQ草案 )」の、起草作業をした、民政局(GS)内にいたスタッフです。
「彼らの中で、ニュー・ディーラーはその典型であり、」「計画や理念を重んじ、その実行に努力を集中して、」「それが日本の実情に合致して、良い結果を上げうるかどうかは、」「あまり意に介しないようであった。」
「日本側の担当者が、計画の推進を円滑にするためと、進言忠告を試みることは、」「占領行政に対する抵抗と受け取られ、時には、妨害と解される時もあった。」「彼らは理想に走り、相手方の感情を軽視しがちである。」「善意ではあるが、相手の気持ちとか、歴史、伝統などというものを、」「とかく、無視してしまう。」
話が少し飛びますが、昭和21年に、南原氏が学内に 「憲法研究委員会」を設立した当時の思い出話を、民法学者我妻栄氏が披露した、講演記録があります。
「当委員会の討議の模様については、残念ながら記憶がない。だが、かすかに残っていることが二つある。」「ひとつは天皇制についてで、意外にも根深い対立があることを見出したことである。」
「今一つは、" 憲法改正要綱 " が発表された時の、多くの委員の驚きと喜びである。」「ここまで改正が企てられようとは、実のところ、多くの委員は夢にも思っていなかった。」
「それは、委員が漠然と予想していた成果を、大きく上回っていた。」「ここまでの改正ができるのなら、われわれは、これを支持することを根本の立場として、必要な修正を加えることに全力を傾けるべきだ。」
「当時極秘にされていたその出所について、委員は大体のことを知っていた。」「しかも、これを " 押しつけられた不本意なもの " と考えた者は一人もいなかった。」
以前読んだ時は、何気なく読み飛ばしていましたが、こうして様々なデータと重ねてみますと、深い意味が見えてきます。「極秘にされていた出所」は、GHQだと見当がつきます。東大の学者たちは、GHQ内のニュー・ディーラーたちに、嬉々として協力していたのです。以前のブログで紹介していますが、再度メンバーの学者名を披露します。
《 委 員 長 宮沢俊義(法学部)
特別委員 高木八尺(法学部) 杉村章三郎 岡 義武 末弘厳太郎
和辻哲郎(文学部) 舞出長五郎(経済学部)
委 員 我妻 栄(法学部) 横田喜三郎 神川彦松 尾高朝雄
田中二郎 刑部 荘 戸田貞三(文学部)
板沢武雄 大内兵衛(経済学部) 矢内原忠男
大河内一男 丸山真男(法学部助教授) 金子武蔵(文学部助教授) 》
左翼教授の名前が多く見られますが、メンバーの全員がそうであるのかについては、調べていません。この中で、特にGHQに協力した「変節学者」は、宮沢俊義、横田喜三郎の二氏だと、記憶しています。いずれにしましても、彼らは皆、日本にとっては「獅子身中の虫」であり、アメリカが置いた「トロイの木馬」の仲間だと、私は確信しています。
長くなりましたが、今回で「日本学術会議」のブログを終了いたします。