今私の頭に浮かぶのは、2年前の平成30年に読んだ、富田健治氏の著書です。昭和37年に古今書院が出版した本で、『敗戦日本の内側』というタイトルでした。
著者の富田氏は、明治30年に生まれ、東大卒業後に内務官僚となり、警察畑を歩いた人物です。第二次、第三次近衛内閣で、内閣書記官長を務め、戦後は、自民党の衆議院議員として活動しています。
氏は近衛内閣の書記官長でしたから、GHQによって「右翼・軍国主義者」として政界から追放されます。本の内容は、近衛内閣の発足から、消滅し、公が自決するまでの出来事が、詳細に述べられています。
今回引用しようとしているのは、本の最後の部分です。GHQの「右翼・軍国者追放」により、日本が左翼主義者の天下になり、その有様を見ながら、氏が語る言葉です。私はこれが、保守政治家の変節の始まりではないか、と思います。
「急に平和論者ぶって、総司令部に入り浸っていると伝えられる、人たちの名前を、」「よく聞いたものである。」「そうかと思えば、日本人の悪口を告げるため、」「司令部に日参している者もあるという始末で、」「無条件降伏したと同時に、恥さらしの日本となった時代でもあった。」
個人名は書かれていませんが、当時の日本を知る貴重な叙述です。
「私は、日本の政治家、軍人、言論人と言われる人たちにして、」「敗戦にあたり、周章狼狽するばかりでなく、」「わが日本を売り、わが同胞を裏切ることによって、」「生活の道を得んとする、卑劣な根性の者が、」「いかに多かったかを知り、慨嘆に耐えないものがあった。」
氏が語る裏切り者の一部が、私がブログの中で述べている、「反日・左翼学者たち」です。彼らの大量発生は、ここから始まっています。
「民主主義は、よろしかろう。」「しかしながら、人を陥れ、人を裏切り、」「これにより自らの利益を得るというのは、」「民主主義以前の、不道徳ではなかろうか。」
著書全体は、抑制の効いた文章で書かれていますが、この部分では、怒りがそのまま言葉に出ています。
「かかる輩が、戦後すでに14年を過ぎて、」「なおかつ各界に、口をぬぐって、」「しかものさばっているとすれば、」「そんな日本の社会が、立派な成長を、なし得ようはずがないのである。」「今後の日本の正しく行く道は、」「終戦直後の破廉恥の是正から、」「再出発すべきものではなかろうか。」
つまり日本は、というより私たちは、「終戦直後の破廉恥の是正」を今もってしていないのです。「彼らが口を拭い、各界に君臨した結果」の一つが、「日本学術会議」問題ではないのでしょうか。
氏の本を読んだ後で、私は「変節した学者たち」というタイトルで、ブログをまとめました。戦前は明らかに軍国主義者だったのに、敗戦後に平和主義者に変節し、GHQに媚を売った学者たちを、「学界に巣食う、獅子身中の虫」として列記しました。各氏の名前を、もう一度転記します。
《 中野好夫 宇都宮徳馬 我妻栄 戒能通孝 家永三郎
宮沢俊義 横田喜三郎 末川博、
( 注 )変節せず、根っからの反日・左翼学者は、久野収、大内兵衛の2氏です。 》
平成24年に、前代未聞の出来事がありました。安全保障法関連法案の国会審議に際し、安倍政権への反対意見を、ハト派と呼ばれる自民党の幹部が、共産党の機関紙「赤旗」に寄稿しました。加藤紘一、野中広務、古賀誠の3氏です。何を血迷ったのか、彼らが宿敵である共産党にすり寄ったのを見て、「自民党は、どうなっているのか」と、その時以来、消えない疑問となりました。
3氏は共に、自民党内にいて中国を賛美し、韓国を弁護し、北朝鮮を大事にした、正真正銘の「獅子身中の虫」でした。3氏とも、自民党幹事長経験者で、彼らと共産党をつなぐ糸が、「東京裁判史観」です。
自民党の幹事長といえば、議員の公認、選挙資金、選挙支援について、大きな力を持つポストです。「代議士は選挙に落ちれば、ただの人」ですから、生殺与奪の権を握る幹事長には逆らえません。こんな重要ポストに、加藤、野中、古賀、二階と、媚中派の議員がつくところに、自民党が自民党で無くなっている事実を、見ることができます。
「東京裁判史観」を克服できない議員が実権を持つ自民党で、「憲法改正」や「皇室護持」が果たしてできるのか、失望に近い怒りを覚えます。3氏の党内系譜を敗戦時まで辿れば、富田氏が怒りをあらわにした、「かかる輩」に辿り着くのですが、そこまでする元気が本日はありません。
次回は、大阪と沖縄の市議会の、自民党議員の迷走ぶりから観察できる、自民党本体の信念と矜持の無さをご報告します。