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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日本史の真髄』 - 133 ( 思慮深い猛将・重盛)

2023-07-05 14:21:56 | 徒然の記

  〈  第二十三闋 烏帽子 ( ゑぼし )  平清盛が最も恐れた嫡男・重盛 〉

 都に攻め入った平家と迎え撃つ源氏の戦いを、渡部氏が解説します。

 「源義平 ( よしひら  ) は、重盛一人を狙っていた。重盛を倒しさえすれば、源氏の勝ちだからである。義平は、16騎の兵を引き連れ櫨 ( はじ ) 匂い の鎧 ( よろい  ) を着て、黄赭白馬 ( きつきげのうま ) に乗った武士 ( 重盛である  ) を狙えと命じて待ち受けた。」

 こうして紫宸殿前の大庭の椋 ( むく ) の樹の下で、重盛と源氏の精鋭の一軍が戦うことになりました。

 「左近の桜、右近の橘をぐるぐる回ること、実に七、八回であった。重盛はかつ戦い、かつ退いて大宮の街まで来て、弓をついて馬を休ませた。平貞行 ( さだゆき ) はその姿を見て、まことに平 ( へい ) 将軍の再来だと感嘆したと言う。」

 平将軍とは平将門を討伐し、鎮守府将軍・陸奥守・丹波守になった平貞盛 ( さだもり ) のことです。彼は源氏における八幡太郎義家のように、実質的な平家の先祖として尊敬されていたのだそうです。

 「重盛と義平の一騎討ちはその後さらに繰り返され、最初は義平の方が優勢であった。義朝の源氏軍は平家を追撃し、御所を離れてしまい、その間に平家の主力が御所に入り門を閉ざして守備についた。」

 「義朝の軍は戻るところがなくなり、平家の本拠の六波羅を攻めたが、清盛と重盛に撃退されてしまった。これで勝敗はついたのである。」

 なぜこうも簡単に勝敗がつくのか。

 天皇をお守りしている平家を攻める源氏は、その時点から〈 朝敵 〉となるからです。義朝が平家を深追いして御所を離れたのが、大きな失敗でした。 ( 言わずもがなのことなので氏は省いていますが、息子たちのため補足説明をしました。)

 その代わり氏は読者のため、重盛について補足説明をします。

 「この戦いの初めの時、重盛は臆する平家の士卒を励まし、次のように言った。」

 「年は平治なり、戦場は平安 ( 京都 ) なり、われは平氏なり、これぞ天の吉兆、勝つこと間違いなし。

 「こう言って彼が待賢門に突入しなかったら、おそらく源氏は勝っていたであろう。重盛の武人としての稟質こそが、平家を救ったのであった。」

 手放しの褒め様ですが、称賛はまだ続きます。

 「こう言う話から浮き上がる重盛像は、猛将である。しかし平時にあっては、彼は誠に温厚な思慮深い人であった。例えば二條帝崩御の折、延暦寺と興福寺が争い、互いに兵を構えたことがあった。」

 「その時、平家の専横を快しとしない後白河上皇が、僧兵に命じて平家を討たせようとしているというデマがとんだ。清盛は驚いて兵を集める準備をした。しかし重盛はデマであろうとして、自ら確かめに出かけ、その通りデマであったことを確認した。」

 ところがその後に、後白河法皇も一枚かまれた平家転覆の陰謀が、本当に進行し始めました。藤原成親 ( なりちか ) を中心として、源行綱 ( ゆきつな ) 、西光、俊寛などが、鹿ヶ谷 ( ししがたに ) の別館で会談し、追討計画がかなり具体化していました。しかし行綱が裏切って陰謀が暴露され、後白河法皇も関係のあることが明らかになりました。

 「清盛は怒り、法皇の身柄を拘束し、鳥羽宮 ( とばのみや ) へ移そうと決心した。北面の武士 ( 法皇に仕えている武士たち ) が、われわれを阻むであろう。すみやかに将士を集めよと、命令した。ここから、頼山陽の第二十三闋 ( 10行詩 ) が始まる。

 やっと頼山陽の詩の解説になりますが、間が開きましたのでどんな詩だったのか忘れています。息子たちというより、自分のためにもう一度転記します。

   八條の第中 ( ていちゅう ) に旗幟 ( きし ) 飜 ( ひるがえ ) る

     相国 ( そうこく ) は鎧を環 ( まと ) い馬は鞍を装す

   烏帽子 ( えぼし ) 。来たる者は誰ぞ

   何ぞ胄 ( ち ) うせざる。国に寇 ( あだ・害をなす者 ) 無し

   能 ( よ ) く 阿爺 ( あや・老いた父 ) をして  起 ( た  ) ちて緇 ( し・黒い服・僧衣 ) を襲 ( かさね ) しむ 

   襟は鱗甲 ( りんこう・鎧の小さな鉄札  ) を吐 ( は ) きて我が児 ( じ ) に愧 ( は ) ず

   公に従 ( したが ) はむと欲する者は

   吾が頭 ( こうべ ) の堕 ( お ) つるを待て

   烏帽子の上に晴天あり

   帽子猶 ( なお ) 在れば天堕ちず

 解説なしでは理解できませんが、ここまできますと、頼山陽の詩も重盛称賛の内容であることが何となく察せられます。ハッキリと理解したい方は、次回の「ねこ庭」へ足をお運びください。

コメント
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