〈 第二十三闋 烏帽子 ( ゑぼし ) 平清盛が最も恐れた嫡男・重盛 〉
「重盛は平家の最盛期にも少しも高ぶらず、公卿に無礼を働いた一族のものを押さえ、皇室の権威を立てていた。しかも戦場にあっては、武勇第一等の人であったから、父の清盛も一目も二目も置き、平家の武士たちも心服していたのである。」
最後の最後まで称賛で終わるのかと思っていましたら、そうではありませんでした。
「重盛が長生きしていたら、平家の命運も異なっていたであろうが、わずか四十二才で病死した。食事が取れない病気だったというから、胃癌のようなものであったろう。」
武勇第一等の人物も、病には勝てなかってということでしょうか。
「たまたま宋から良い医者が来たので、清盛がすすめたら断った。」
その理由は、次のようなものだったそうです。
・内大臣である私が、異国の浮浪の客に会うわけにいきません
・外国人のおかげで治癒したら、日本の恥になりましょう
・自分の病気が治らなくても、それは天命です
宋から来た医者であっても不法入国者なら、内大臣が会うことはできないのかもしれませんが、平安時代も厳しい入国審査をしていたのでしょうか。だとすれば、安倍元総理が「移民法」を成立させて以来、スパイでもテロリストでも簡単に入国させている今の日本、保守を任じる自由民主党の議員、特に総理大臣と法務大臣は重盛を見習う必要があります。
不法入国の宋の医者だとしても、彼 ( 外国人 ) のおかげで病気が治ったとして、果たして日本の恥になるのか、今ひとつ重盛の考えが掴めません。「病気が治らなくても、それは天命」という考えが徹底しているのだとしたら、なかなか真似のできない覚悟です。
手術して今は治癒していますが、もし癌が再発したら、手術をせず痛み止めだけにしあとは天命に任せると、自分も同じようなことを考えていますが、その場になって重盛のように言えるか、正直自信はありません。天命のまま亡くなっていたとしたら、やはり重盛は大した人物です。
「重盛という人は、当時としては誠に珍しい人物であった。」
これが最後の一行です。重盛が医者を断った三つの理由のどれかに、氏が違和感を覚えているのだと思いますが、重盛だけが珍しいのでなく、著者である渡辺氏も、私から見れば珍しい人物です。ここまで誉めてきたのですから、最後の一行で誉めて終われば丸く納まるのに、そうしませんでした。
私が氏に感謝し、「お別れの会」をしたいと思ったのは、この最後の一行にありました。保守でも反日左翼でも同じですが、自分の気に入った人物となると何から何まで誉めます。卑近な例を挙げますと、安倍元総理を支援する人たちの多くは、間違いも欠点も無視し、素晴らしい人物だったと讃えます。こんな姿勢が、問題の解決を困難にし、多くの国民を惑わせます。
渡辺氏が私たちに教えているのは、「客観的立ち位置」と「両論併記」だと思います。従って『日本史の真髄』の卒業にあたり、私が氏へ贈る感謝の言葉は次のようになります。
「渡部昇一という人は、今の日本には誠に珍しい人物であった。」
異論のある方もおられるかもしれませんが、卒業生代表としてこの言葉を贈りました。長いシリーズにおつき合い頂いたことに、感謝いたします。