ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

「マンホールグッズ再配布」

2024-01-25 18:31:04 | 徒然の記

 郷土紙「千葉日報」は、大事な「ねこ庭」の友です。日々千葉県の出来事を、溢れるほど記事にして届けてくれます。それなのに紹介するのは、反日の共同通信社が全国配信する記事ばかりです。

 右も左も公平に記事を載せ、両論併記の「千葉日報」を応援し誇りに思っていますが、気持ちは同社に伝わりません。何時だったか忘れましたが、まだ杖に頼らず遠出をしていた頃、自由民主党議員の講演を聞きに行ったことがありました。会場で取材している記者が何人かいて、その一人が「千葉日報」の腕章をしていました。

 咄嗟に席を立ち、記者に近づいて頭を下げました。

 「私は千葉日報新聞の定期購読者です。」

 郷土紙なのに定期購読者が少ないためか、記者も丁寧にお辞儀をしてくれました。

 「私は千葉日報のファンなので、記念に貴方の名刺を頂けませんか。」

 今にして思えば、おかしなことを口走ったものですが、怪訝な顔をしていましたが、白髪頭で、自由民主党の講演会の聴衆の一人なら大丈夫だろうと、警戒を解いたのかもしれません。

 そうしてもらった名刺が手元にあります。プライバシーの侵害にはならないだろうと思いますので、紹介します。

  千葉日報社 〇〇支局  記者 平口亜土

 あとは電話番号と、FAX   E-mail番号が書かれています。もう一つ大事なのは、次の1行です。

  ご購読のお申し込みは 0120-16-7828

 新聞記者の名刺を初めてもらったので、名刺にはこうした勧誘の言葉が常に書かれているのか、それとも、これから躍進する千葉日報なので営業活動に熱を入れているためか、そこのところは知りません。要するに私は千葉日報のファンで、感謝の気持を伝えたいがため、タイトルを外れて余計なことを喋っています。

 本題は、1月9日火曜日の2面の記事です。受験シーズンを前にした千葉県内の受験生と、その親たちに向けた記事だと思います。

 「マンホールグッズ再配布」「落ちず、滑らず、合格祈願で好評」「長生村 明日から100部追加」

  長生村はちょうせいむらと読みますが、これが記事の見出しで、続く文章がなんとも言えず謙虚です。

  ・長生村は、受験生の合格祈願グッズとして用意した「ご当地マンホールカード」などのセットを、100部追加する。

 1000部、5000部という話でなく、100部でも記事にするところに面白味があります。どこかの新聞のように百万単位で発行部数を誤魔化すのでなく、誇大宣伝をしない同社と長生村の謙虚さが光ります。

  ・先月20日から300部限定で無料配布したところ好評で、今月4日に在庫がなくなった。

  ・まだ入手希望者がいることから、受験シーズン本番を前に急きょ印刷し、10日から村役場下水環境課窓口で再び配布する。

 昨日まで嘘や捏造ばかり発信する動画を見ていましたので、記事の正直さと謙虚さがほのぼのとした暖かさを伝えます。

  ・同課によると、マンホールの蓋は縁起の良い丸い形で穴に落ちず、凹凸もあって基本的に滑らないことから、合格祈願グッズに採用。

 どうでしょう、この思考の愉快なこと。どうせ知恵を使うのなら、人をたぶらかすためでなく、喜ばせるために使いたいではありませんか。

 ・祖父母が孫のために入手するケースが多く、県外からの来訪者もおり、実質8日間で300部がなくなった。追加する100部で本年度は終了する。

 孫はまだ小学生なので高校・大学の受験は先の話ですが、その時には頼まなくてなりません。100才まで生きる計画ですから、まだ十分元気です。

  ・グッズは、村誕生70周年を記念して設置したカラーマンホールの蓋カード、同じデザインの紙製コースター、メッセージカードのセット。

  ・「合格祈願」と記した専用封筒に入れて、先着順で無料配布する。

  ・配布は平日の午前9時から午後5時半。問い合わせは同課☎︎0475(32)2494

 楽しいので、記事の全文を紹介してしまいました。有名になって何千人も希望者が増えたら、無料配布ができなくなるのではと、やや無責任な心配もあります。

 自分の住む村や町や市や県を愛し、誇りに思う役所の人たちが、ほとんど目立たないマンホールに様々な工夫を凝らし、アピールしている事実を私は知りませんでした。日本を敵視し、悪態をつく人たちの本や動画やブログばかりを見ていたので、郷土愛を持っている人が全国にいることを知った時驚きました。

 また多様なマンホールを訪ねて全国を回っている、「マンホーラー」という人たちがいることを知ったのは、二度目の驚きでした。各地の市町村が、自分の地域のマンホールのデザインに力を入れ出したキッカケは、「マンホーラー」の人たちの存在だったのかもしれません。

 最近はなんでも忘れますが、「マンホール文化」というものがあり、静かなブームとなっていることを以前「ねこ庭」で紹介したことがあるような気がします。きっかけはマンホール文化」を教えてくれた方がいたからですが、この方のブログを今でも時々訪問しています。

 こういう謙虚な記事を読者に届けているのは、千葉日報社だけではないかと思っています。だから私は、千葉日報のファンです。

 名刺をもらった平口記者と、「マンホール文化」の存在を教え、私を二度驚かせてくれた方に、感謝を込めてブログを贈ります。

コメント (2)
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なぜ取り締まれない悪意の動画 - 12 ( 諦めず、国民の手で )

2024-01-25 09:43:58 | 徒然の記

 「警察のトップが皇室の方をお守りするため、何の知恵も出せないことがあるのでしょうか。」

 「次回は総まとめとして「ねこ庭」から見た疑問点を述べ、シリーズを閉じたいと思います。」

 大見栄を切って前回を終わりましたが、考えるほどに手に余る難題であることを再確認します。一つだけ答えを言いますと、次のようになります。

 「警察のトップでも敵陣に単身降下すると、何の知恵も出せなくなる。」・・と、こういうことです。まして「総まとめ」となりますと、宮内庁が宮内省と呼ばれ、宮内大臣がトップにいた明治時代からの説明が必要になります。

 3年前に敗戦直後の皇室解体ついて、「奢るNHK」のタイトルで取り上げましたが、49回のシリーズになりました。たかが小規模ユーチューバーの「皇室批判動画」とは言いましても、大元を辿れば敗戦後の日本に行き当たります。

 そうなると出てくるのはGHQと、彼らに協力した「変節の反日学者」と「反日マスコミ」、いわゆる「トロイの木馬」の話を繰り返すことになります。次には、経団連を支配する「国内のグローバル勢力」や「アメリカのグローバル勢力」も追加説明しなくてなりません。

 「愛国心のある学徒は、こんなことでためらってはならない。」・・自分で自分を鼓舞してみるものの、これではまるで「令和のドンキホーテ」でしょうか。 ため息の一つもつきたくなるというものです。現在夜の8時24分です。気分転換のため、暗い「ねこ庭」へ出てみました。暖かな室内から出ると、震え上がる寒さです。

 地震のあった能登半島では、今も被災した人々や自衛隊や警察、ボランティアの人たちがこの寒さの中で頑張っているではないか。

 さすがに「ねこ庭」は私の「学びの庭」です。「令和のドンキホーテ」でも構わないでないかと、気分を一新してくれました。こうなりますと、過去の知識までが私を助けてくれます。

  ・昭和22 ( 1947 ) 年宮内省は、「日本国憲法」の施行とともに総理大臣所管の「宮内府」に改められ、終戦時に6,200人余りいた職員は1,500人弱に削減された。

  ・その後、昭和24年6月1日の総理府設置法の施行により、総理府の外局の宮内庁となり、宮内庁長官の下に宮内庁次長が置かれ、長官官房・侍従職・皇太后宮職・東宮職・式部職・書陵部・管理部と京都事務所が設置された。

   ・ GHQによる日本統治期間  昭和20年9月から、昭和27年4月まで
 
      ・田島氏の長官在任期間   昭和24年4月から、昭和28年12月まで
 
   ・芦 田 内 閣        昭和23年3月から、昭和23年10月まで
 
   ・ 民政局長・ホイットニー准将  昭和20年9月から、昭和27年4月まで
 
 共通する鍵はホイットニー准将で、彼は最初から天皇に敵意を持ち、陛下に関する不利な情報をマッカーサー元帥に伝え続けた幕僚でした。
 
  ・彼は民政局局長として占領政策の中心にいて、現在国民を苦しめてやまない「日本国憲法」を押し付け、「認めなければ、天皇が処刑される。」と脅迫した張本人だ。当時民政局は、マルキストの集団と言われていたが、元帥は彼を重用していた。
 
  ・彼は社会党の片山哲氏やリベラルと呼ばれる芦田均氏を支持し、保守政治家の吉田茂氏を嫌悪していた。治安維持法の撤廃、特高の廃止、内務省・司法省の解体、刑務所にいた共産党幹部の釈放 ( 徳田球一等 ) を、矢継ぎ早に実施したのも、准将とその部下たちだった。
 
  ・短命であったが、日本崩壊に協力した片山内閣と芦田内閣を支えていたのが准将だったことは、今では誰もが知るところになっている。
 
 3年前の「ねこ庭」からの転記ですが、こんなところで役に立ちます。
 
  ・昭和23年6月田島は、芦田均首相によって、宮内府長官に任命された。
 
  ・昭和天皇は、宮内府長官・松平慶民と、侍従長・大金益次郎を交代させることに、難色を示していたが、芦田は、宮中改革を実行するため交代を断行し、宮内府長官・田島道治、侍従長・三谷隆信のコンビが成立した。
 
  ・その後宮内府は宮内庁と改称され、宮内府時代の官僚機構が縮小・改変された。
 
 つまり田島氏は、芦田首相の強引な人事で、宮内庁に押し込まれた人物で、GHQの実力者ホイットニー准将と芦田首相の力を背景に、陛下と対面していたのです。三谷侍従長と組み、昭和40年まで「宮中クリスチャン・コンビ」として、戦後の宮中改革に尽力したという訳です。
 
 なぜこういう過去の話を持ち出すのかと言いますと、「警察のトップでも敵陣に単身降下すると、何の知恵も出せなくなる。」ということを説明したかったからです。初代長官の田島氏が、GHQの実力者ホイットニー准将と芦田首相という強力な支援で改革した宮内庁です。戦後77年間維持・強化されてきたのですから、いくら西村氏が元警視総監だったとしても、簡単に元に戻せません。強行すれば、周囲の抵抗勢力から逆に追い出されます。
 
 反日小規模のユーチューバーたちは、こうして張り巡らされた反日勢力のネットワークを利用しており、協力する反日日本人が沢山いることを忘れてはなりません。私から見れば、反日小規模のユーチューバーたちが口にする、宮内庁担当記者や宮内庁関係者、皇室評論家あるいは「側近」などは、反日ネットワークに組み込まれた人間たちです。
 
 「次回は総まとめとして「ねこ庭」から見た疑問点を述べ、シリーズを閉じたいと思います。」

 私が述べたかったのは以上の疑問点というか、問題点で、解決策や解決案ではありません。大事なのはこの寒さの中で、能登の災害現場で救助に当たっている人たちや、被災者の方々のご苦労を思えば、簡単に諦めてはならないということだと思います。悪意の皇室情報の氾濫は、国民の手で止めなければなりませんし、諦めなければ出来ると信じています。

 中途半端と思われる方もいると思いますが、今回でシリーズをいったん閉じます。

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