シリーズが長くなると、自分の立ち位置が分からなくなります。第一回目に述べました通り、ブログのテーマは「アメリカからの独立」で、何を根拠に主張するかの説明がサブテーマです。
このためには、次の2つを明確にしておく必要があると述べました。
1. 学びの庭である「ねこ庭」では、アメリカという国をどのように考えているのか。
2. 学びの庭である「ねこ庭」では、先の大戦をどのように考えているのか。
予定通り1.2.の説明が、林房雄氏の『大東亜戦争肯定論』の紹介と共に終わりました。本来なら、ブログのテーマ「アメリカからの独立」に進むべきなのですが、ここで森の横道に入りました。
・次回は、武力で脅されながら締結させられた条約 ( 法律 ) の歴史が、敗戦後の日本で繰り返されていた事実を、氏の説明を中心として紹介します。
前回このように述べて終わりましたが、森の横道とは言え、テーマから外れた道ではありません。魂の抜けた歴史を教わっている息子や孫たちを思うと、敗戦後の日本の無念な現実を先に紹介する方が手っ取り早いのではないか、と考えました。
「アメリカからの独立」がなぜ大事なのか、江戸時代のご先祖の苦労を紹介すれば理解が早まる気がします。そんなことはとっくに知っていると思われている方は、時間の無駄を避けスルーして下さい。
武力で脅迫されて結んだ条約のため、ご先祖がいかに苦労したかを林氏が説明しています。
・不平等条約の撤廃について 、明治維新政府は成立の当初から腐心した。
・しかしイギリスを先頭とする欧米列国は、頑として日本の要求を認めず、日清・日露の役を経て、朝鮮併合を敢行した後に初めて、日本の改正要求に応じたのである。
・しかも条約の尻っぽとしての、「外国人の永代借地権」は、昭和17年まで残った。
不平等条約の出発は1854 年の「神奈川条約」で、列強が改正に応じたのが1910年の「日韓併合」時と言いますから、この間に56年が経過しています。魂の抜けた歴史とは言え、天皇と将軍が国民と共に激動の時代を乗り越えた事実は消せません。
・勤王・佐幕の戦いで血を流した後の、徳川慶喜による「大政奉還」
・列強による植民地化を危惧した、「欧米に追いつけ、追い越せ」の大号令
・大号令を実現するための、「殖産興業」「富国強兵」策の実施
・近代国家の仲間入りのための大日本帝国憲法の発布と、帝国議会の設置
全ては、中国や他のアジア諸国のように植民地とされないため、欧米列強と肩を並べる強国となるための、死に物狂いの努力でした。天皇を中心とした一矢乱れない頑張りの根底にあったのは、「日本を守る」という一点でした。
・太平洋戦争を起こしたのは、明治以来の軍国主義教育が原因だ
「ねこ庭」では、歴史を考えない石川達三氏の意見を重要視しません。先の大戦の根底に流れていたのは、幕末以来の危機感と祖国防衛の愛国心です。戦車隊への腹いせから、昭和を否定する司馬氏の意見は論外ということになります。
二人について述べるより、本題へ戻り林氏の紹介を続ける方が大事です。
・修好通商条約という美名のもとに、ハリスは次のような重要項目を内容とする、一方的条約を押し付けた。」
1. 開港場に外人居留地 ( 租界 ) をつくること。
2. 日本側に自主権のない関税制度とすること。
3. 治外法権を設けること。( 外国人の犯罪に、日本側の裁判権なし )
・これは、日本の領土の一部占領に等しく、極言すれば、「貿易通商の利益は、外国人のみに帰し、裁判では常に外国人が無罪になる。」という条約だった。
・世界情勢にも、国際法にも暗かった幕府の当局者には、これが後に、日本の独立と自由と、産業の発展に破壊的影響を与えることに気づかなかった。
・アメリカに続いて、オランダ、イギリス、ロシア、フランス、ポルトガル、ドイツ、スエーデン、ベルギー、イタリア、デンマークとも、同じ条約を結んでしまった。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、地球儀を眺めながら、政 ( まつりごと) をしており、西洋人からの情報も得ていたので、世界情勢に暗かったというのは言い過ぎの感があります。「ねこ庭」では、武力による威嚇を受け一歩下がらざるを得なかったのだと解釈します。朝野を上げての「欧米に追いつけ、追い越せ」は、国際情勢を知っていたからの姿勢と考える方が、自然でないかと思います。ここでは異を唱えず、氏の説明を優先します。
・新政府は幕府を打倒したが、安政条約は、引き継がざるを得なかった。
・居留地の整地、道路、水道、兵営、火薬庫、病院など、建設費は全て日本側の負担だった。
・行政権も警察権も外国にあり、無料同様の土地の借地権と所有権は、永久の権利だった。
・公園、競馬場も外国人専用であり、日本人の立ち入りが禁止されていた。
圧倒的な差がある列強の武力を前にして、屈辱の条約を結ばされた幕府も朝廷も武士も町人も、「臥薪嘗胆」の思いを共有していたと思います。
・横浜のみをとってみても、欧米列強の駐留軍は時には万を越え、港は彼らの鋼鉄船によって制圧されていた。
・現在の読者は、これを簡単な問題として考えているかもしれぬが、日本は実に56年間、厳密に言えば87年間不平等条約の支配下にあった。
氏が87年間と言っているのは、外国人の永代借地権の撤廃がやっと昭和17年になされたことを指しています。日本が大東亜戦争に負ける、3年前のことです。昭和17年も弱肉強食の国際社会で、欧米列強がアジアを食い荒らしていたのですから、「先の戦争」を語るのなら、こうした歴史を肝に銘じなくてなりません。
3年後の昭和20年に日本が敗戦国となり、米国から現在の日本国憲法を押し付けられました。武力で脅されながら締結させられた条約 ( 法律 ) の歴史が、敗戦後の日本で繰り返されていた事実と言ったのは、このことです。
ご先祖が涙をこらえ血を流しながら頑張り、不平等条約の撤廃に87年間を費やしました。亡国の「日本国憲法」と知りながら、政治家は涙もこらえず血も流さず、79年間を費やしました。国政を担ってきた自由民主党の議員諸氏に送る言葉は、「不甲斐無し」の一言しかありません。
次回は氏の「大東亜戦争肯定論」を踏まえ、「ねこ庭」で調べた事実を紹介したいと思います。