ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

学びの「ねこ庭」からの提案 - 12 ( 東条元首相の「言葉」 )

2024-02-06 19:28:15 | 徒然の記

 〈 天皇陛下と日本の政治家・軍人は、戦争責任を取っていない 

   1.  昭和天皇の「お言葉」   2.  東条英機首相の「言葉

 東条元首相の「言葉」を紹介するにあたり、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々のため、下記時系列の情報を転記します。

  ・昭和20年8月15日・・玉音放送     (『大東亜戦争終結ノ詔書』)

  ・昭和20年9月27日・・陛下と元帥の会見

  ・昭和21年5月3日 ~ 昭和23年11月12日・・東京裁判    (  極東国際軍事裁判  )

  ・昭和22年12月19日・・東条元首相の法廷供述 ( 元首相の言葉 )

  ・昭和23年11月12日・・絞首刑等の判決 ( 裁判最終日 )

  ・昭和23年12月23日・・殉難者7人の絞首刑執行

 8年前に読んだ時は気がつかなかったのですが、『宣誓供述書』の作成時期はいつだったのかという疑問です。死刑の判決を受け、ひと月も経過して法廷で供述するものなのか。内容から見ても、判決前に語られるべきという気がしますが、ネットで調べても分かりませんでした。( 「ねこ庭」注: ネットで調べますと、年月日の正しい情報がありましたので、時系列データ部分を訂正しました。従って元首相の供述は、判決前になります。 )

 『宣誓供述書』を元に渡部氏が一冊の本を書くくらいですから、一度に読めない長文で、8年前の私はこの中の一部を紹介しました。おそらく裁判所から事前に内容を指定されていたのだと思いますが、元首相の「言葉」は正確に言いますと4つあります。

   1.  真珠湾攻撃について   2.  大東亜共栄圏について

     3.  天皇のお立場について    4. 戦争責任について  

 8年前に渡部氏の著書を読んだ時、本物の学徒でなかった自分は、 4. の「戦争責任について」だけを紹介し、 重要な「天皇陛下のお立場の説明」を取り上げませんでした。今もそうした失敗をしているのかもしれませんが、中途半端な知識しかないと大事なことを見逃してしまうという実例です。

 今回は反省の上に立ち、元首相の「二つの言葉」を紹介します。先ず最初は、 4. の「戦争責任について」述べた言葉です。居並ぶ戦勝国の裁判官たちが、まともに聞くはずがないと知りつつ、被告席から真摯に語る元首相の姿を動画で見た時、もしかするとこれは、私たち国民へ向けた遺言ではないのかと思いました。

 私の中では後に見たNHKのドキュメント動画と、本の中の言葉が不可分のものとなり重なっています。おかしな説明になっているのはそのせいですが、読み返しますと伝わってくる愛国の情に、反日左翼の人々はそうならないと思いますが、涙がひとつ、ふたつこぼれます。

 「終わりに臨み、・・恐らくこれが、当法廷の規則において許さるる、最後の機会でありましょうが、私はここに、重ねて申し上げます。」

 「日本帝国の国策、ないしは当年にその地位にあった官吏の採った方針は、侵略でもなく、搾取でもありませんでした。」

 与野党を問わず議員諸氏が、今日の国会でするような過剰な演技はありません。落ち着いた姿のまま落ち着いた声で、しかしよく通る声で語っていました。

 「また適法に選ばれた各内閣は、それぞれ相受けて、憲法及び法律に定められた手続きに従い、一歩は一歩より進み、これを処理して行きましたが、ついに我が国は、彼の冷厳なる現実に逢着したのであります。」

 「国家の運命を勘案する責任を持つ我々としては、国家自衛のために立つということが、ただ一つ残された途でありました。」

 「我々は、国家の運命を賭しました。しこうして、敗れました。しこうして、眼前に見るがごとき事態を惹起したのであります。」

 12月19日の供述には、見苦しい弁明や他への批判もなく、熟慮の上で全てを受け入れた古武士の風格を感じさせられました。

 「戦争が国際法上より見て、正しき戦争であったか否かの問題と、敗戦の責任如何との問題は、明白に分別できる二つの異なった問題であります。第一の問題は、外国との問題であり、且つ法律的性質の問題であります。」

 「私は最後まで、この戦争は自衛戦争であり、現時承認せられたる国際法には、違反せぬ戦争なりと主張します。」

 林房雄氏同様、元首相も「東亜百年戦争」の認識で戦争に臨んでいたことが分かります。フィリピンを植民地支配していた米国のマッカーサー元帥には、通じない歴史観です。

 「私は未だかって、我が国が本戦争を為したることをもって、国際犯罪なりとして勝者より訴追せられ、敗戦国の適法なる官吏たりし者が、国際法上の犯人となり、条約の違反者なりとして糾弾せられるとは、考えたこととてありませぬ。」

 元帥も学識のある軍人でしたが、元首相も知識、記憶力、理解力においては同等の軍人ですから、無知な裁判官に苦言を呈しています。

 「第二の問題、すなわち敗戦の責任については、当時の総理大臣たりし私の責任であります。この意味における責任は、私はこれを受諾するのみならず、真心より、進んでこれを負荷せんことを、希望するものであります。」

 これが元首相の供述であり、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に伝えたかった「言葉」です。復讐裁判でしかない東京裁判は、戦争当時にはなかった法を適用した違法裁判でもありました。元首相は全てを知った上で死刑を恐れず、国民に対しては責任があると認め逃げていません。国の指導者として責任を取り、死を受け入れた元首相のどこを見て、反日左翼の「トロイの木馬」たちは批判するのでしょう。

   「昭和二十二年十二月十九日 於東京 市ヶ谷 供述者 東条英機」 

 最後の日付も、活字でしか見られませんが、もしかすると名前は元首相の自筆だったのかもしれません。たった1行ですが、感謝と哀悼の気持ちが抑えられなくなります。

   3.  天皇のお立場について    4. 戦争責任について  

 順序が逆になりましたが、次回は「 3.  天皇のお立場について」の元首相の「言葉」を紹介いたします。

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学びの「ねこ庭」からの提案 - 11 ( 元帥の略歴 )

2024-02-06 15:07:11 | 徒然の記

 〈 天皇陛下と日本の政治家・軍人は、戦争責任を取っていない 

   1.  昭和天皇の「お言葉」   2.  東条英機首相の「言葉

 昭和天皇の「お言葉」の紹介を終わり、今回は東条英機首相の「言葉」です。8年前に渡部昇一氏の著書『東条英機 歴史の証言』を読んだとき、元首相の言葉を「ねこ庭」で紹介しています。

 それなのに再度紹介しようとしている理由は、やはり下記にあります。

 「天皇陛下と日本の政治家・軍人は、戦争責任を取っていない。」

 野党を中心に、「トロイの木馬」たちが意見を蒸し返し、世論を乱そうとしているからです。岸田首相が「憲法改正」に触れ始めたので、危機感を覚えた反日野党が、トロイの木馬 ( 反日マスコミと反日左翼学者 ) と協力して、情報操作を始めたのでしょうか。

 国を守る務めを持つ国民の一人として、黙っていてはいけませんので、新しい気持で元首相の「言葉」を紹介したくなりました。いざそうなりますと、東京裁判を主導したマッカーサー元帥について説明しておかないと、東京裁判の本質が見えないままになる心配が出てきました。

 何時ものことで申し訳ありませんが、予定を変更し、先にマッカーサー元帥の略歴を紹介します。

   ・1880 ( 明治13 ) 年米国アーカンソー州で生まれ、1903 ( 明治36 ) 年にウェストポイント陸軍士官学校を主席で卒業

  ・1918 ( 大正7 ) 年第一次世界大戦に参戦し、師団参謀長として13の勲章を受勲

  ・1919 ( 大正8 )年、史上最年少でウェストポイント陸軍士官学校の校長に就任

  ・1925 ( 大正14 )年、最年少で米軍参謀総長に就任

  ・1935 ( 昭和10 )年、フィリピン軍の創設に携わり、翌11年にフィリピン軍の元帥となる

  ・1942 ( 昭和17 )年第二次世界大戦で、スラバヤ沖海戦、バタビヤ沖海戦で日本軍に壊滅させられ、フィリピンを脱出した

  ・オーストラリアで言った、「アイ  シャル  リターン」の言葉が有名である

  ・1943 ( 昭和18 )年日本軍からフィリピンを奪還し、翌年米国陸軍元帥になった

 フィピンは16世紀からスペインに占領されていましたが、明治32年以降はアメリカの植民地となっており、アメリカが統治に深く関与していました。自惚れ屋とも評される元帥の尊大さと自信は、輝かしい経歴から見ることができます。その元帥が日本軍に壊滅させられ、フイリピンを追われたのですから、いかに日本軍を憎み、復讐心に燃えていたかが分かります。

 元帥の復讐心を知っておかなければ、東京裁判の過酷さが理解できません。というより元帥は、自分を打ち負かした日本軍と日本に対し、強い屈辱感と怒りを抱いていたGHQの最高司令官だったということです。

 ここでもう一度日本へ戻り、陛下の玉音放送が行われた当時の状況を説明いたします。東京裁判における元首相の「言葉」を読む上で、これらを頭に入れておくと正しい理解ができると思います。玉音放送そのものも困難の中で実施されたことを、ネットの情報が語っています。

  ・「ポツダム宣言」の受諾を阻止しようとした陸軍将校と、近衛師団参謀たちが宮城に乱入し、近衛第一師団長森赳 ( たけし ) 陸軍中将を殺害した

  ・しかし彼らは陸軍首脳の強い反対を受け、放送レコード盤の奪取と「ポツダム宣言」受諾阻止に失敗し一部は自決、残りは逮捕された

  ・8月15日の早朝、佐々木陸軍大尉を中心とした国粋主義者たちが、総理官邸と小石川の私邸を襲撃した

  ・鈴木首相は、警護官に間一髪で救い出され、正午、昭和天皇の玉音放送が無事ラジオで放送された

  ・この日の未明、阿南惟幾(これちか)陸軍大臣が自刃した

 戦後の日本では、決起した軍人たちを「暴徒」とか「無謀な一部の軍人」と言って激しく否定する意見が主流となり、私たちもそれを信じていましたが、歴史を知りますと疑問が湧いてきます。軍人たちは陛下と共に、日本を守るために戦い、それを使命として生きてきました。彼らが主張していたのは「国体護持」であり、陛下と共にある日本を守り抜くことで、生まれて以来そのように教えられた軍人です。

 つい3年前、フイリピンで米軍を壊滅させた日本軍が、なぜ米国に無条件降伏をするのかと怒りを爆発させても、不思議ではありません。「勝った勝った」と大本営の出す嘘発表に騙されていたのは、国民だけでなく多くの軍人もそうだったのではないでしょうか。

 玉音放送を阻止しようと決起した軍人たちも、彼らを制圧しようとした軍人たちも、どちらも愛国者だった事実を私たちは知る必要があります。彼らの流した血は、今日の私たちのために捧げられた尊い犠牲の一つだったと、考え直すべきではないかと思います。

 愛国者を否定し、国民から愛国心を奪ったものが、東京裁判であり、日本国憲法であったと、気づく時ではないのでしょうか。元帥の復讐に協力した「トロイの木馬」たちを改心させ、彼らを本来の日本人に戻すのは、国民の総意、つまり彼らが言う「民意」でしかできません。

 大上段の演説を致しましたが、命を捧げられたご先祖の苦衷を思えば、「ねこ庭」の意見は、それこそ千葉の片隅の「ねこ庭の独り言」でしかありません。

 次回は予定通り、2.  東条英機首相の「言葉」を紹介いたします。

コメント (2)
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