ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

二つの顔の日本人 - 5 ( 戦後の日本人への警鐘 )

2018-06-18 18:35:49 | 徒然の記

 鳥羽教授のブログの5回目です。40年前と現在では、進出企業の形態も変化していますから、そのまま通用しないのかもしれませんが、基本は変わっていないと、私は思います。

 「東南アジアにおける日本企業進出の特徴は、繊維、自動車および部品、家電製品、食品、プラスチック、鉄板、鋼管といった、輸入代替え産業を中心とした軽工業に重点が置かれたことである。」

 「日本の国内市場が、飽和状態に達した産業部門が、いち早く東南アジア市場を確保しようとしたもので、最初から、比較的狭い国内市場を前提として、設備投資を可能な限り抑制し、原材料、部品の全てを、日本に仰ぐという形で出発した。」

 「例えばマレーシアのバッティガ団地にある、イゼキ、クボタという農機具工場へ行ってみると、部品を全部日本から輸入し、単にそれを組み立てるというアセンブル作業に過ぎない。」 

 「また僕が訪れた時、進出七年目を迎えたタイ大丸でも、50パーセントは日本商品を販売し、見返りとしてのタイ商品の買い付けは、まだそれほどでもないということだった。」「言って見れば、現地における日本企業の発展は、とりもなおさず、日本からの輸入の増大となり、土着の産業に、直接刺激を与えることにはなっていない。」

 「今度のボイコット運動の対象となった、タイ大丸の場合は、100パーセント日本の出資で200名の従業員を雇っているが、その90パーセント以上は中国系であり、3年目より、黒字を出している。」

 「中国系従業員の多いこと、日本商品への依存度の高さ、更に他の小売店への圧迫など、種々の原因が重なったと思うが、人々の嫉視を、招いてしまった。」

 当時私は東京にいて、盛んに進出する企業のニュースを見て、日本の会社が、東南アジアの国々の発展に寄与しているとばかり、思っていました。しかし現実は、こういうものだったのです。

 「もともと設備投資を可能な限り抑制し、政府の保護のもとで狭い国内市場を対象として、発展してきたという事情から、どの工場も、スケール・メリットを生かすということはできない。」「生かそうと思っても、日本企業間の過当競争が激しいため、結局現地の低賃金労働を強化することになるという、悪循環がある。」

 「こうした特徴を見ていると、日本企業に対する、現地の評判の芳しくない理由も少しは、理解できると思う。」

 これ以上、氏の著作からの引用を止め、私は、当時の日本人を描いた、マレーシア人のラジャ・ダト・ノンチック氏の詩を、再度紹介します。平成元年 ( 1989 ) に、首都クアランプールで書かれたものです。

  かって 日本人は 清らかで美しかった

        かって 日本人は 親切でこころ豊かだった

  アジアの国の誰にでも
  自分のことのように 一生懸命つくしてくれた
 
  何千万人もの 人の中には 少しは 変な人もいたし
  おこりんぼや わがままな人もいた
  自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
  いなかったわけじゃない
 
  でも その頃の日本人は そんな少しの いやなことや
  不愉快さを超えて おおらかで まじめで
  希望にみちて明るかった
 
  戦後の日本人は 自分たちのことを 悪者だと思い込まされた
  学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
  まじめに
  自分たちの父祖や先輩は
  悪いことばかりした残酷無情な
  ひどい人たちだったと 思っているようだ
 
  だから アジアの国に行ったら ひたすら ぺこぺこあやまって
  私たちはそんなことはいたしませんと
  いえばよいと思っている。
 
  そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
  自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
  うわべや 口先では すまなかった 悪かったといいながら
  ひとりよがりの 
  自分本位の えらそうな態度をする
  そんな 今の日本人が 心配だ
 
  ほんとうに どうなっちまったんだろう
  日本人は そんなはずじゃなかったのに
   本当の日本人を知っているわたしたちは
  今は いつも 歯がゆくて 
  悔しい思いがする
 
   自分たちだけで 集まっては 自分たちだけの 楽しみや
  ぜいたくに ふけりながら 自分がお世話になって住んでいる
  自分の会社が仕事をしている その国と国民のことを
  さげすんだ目で見たり バカにしたりする
 
  こんなひとたちと 本当に 仲良くしていけるのだろうか
  どうして
  どうして日本人は
  こんなになってしまったんだ         
 
 あと何回か、鳥羽氏の書評を続けるつもりでしたが、再びノンチック氏の詩を読み、その必要がなくなっていることに気づきました。
 
 息子たちに言います。敗戦後の日本の教育の間違いと、形だけの反省で生きてきた私たちを、この詩が教えています。
 
 鳥羽教授は少し違いますが、ノンチック氏が批判し、反省を促しているのは、戦前の日本人ではありません。経済大国になった、戦後の日本人に対してです。形だけの人道主義と、平和主義教育が、私たち日本人を間違った方向へ進めたことを教えています。
 
 教授の著作とこの詩には、日本人への警鐘が込められています。少し強引な気もしますが、反日左翼と日教組に別れを告げる時が来ていると、理解します。
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二つの顔の日本人 - 4 ( 明治以来の社会システム )

2018-06-17 18:41:36 | 徒然の記

 鳥羽教授の4回目のブログです。今回からが、本論でないかと思います。

 「優れた世界と、劣った世界、日本人はこの二つしか、外部の社会を区別する方法を持たない。」「日本人が、欧米で緊張しおとなしい理由が、この優れた世界にいるという考え方によるものだとすれば、劣った世界と考える東南アジアで、威張ったとしても別に不思議はない。」

 45年前に出版された本ですが、現在の日本でも通用する、耳の痛い意見です。愉快でありませんが、納得するしかありません。

 「例えば、ビジネスマンを考えてみよう。一流社員の派遣先は欧米であって、東南アジアの諸都市ではない。」「外交官でも、同じことである。また僕ら、学者の世界でも、ヨーロッパやアメリカに教えに行くのなら喜ぶ人も、東南アジアでは二の足を踏むであろう。」

 「これはなにも、一流の人が、欧米へ行くべきではないと言うのではない。そうではなく、一流の人が欧米へ行き、二流の人が東南アジアへ行くという事実が、一度日本社会の中で濾過されると、欧米は優れていて、東南アジアは劣っている、という考え方にすりかわってしまうということなのだ。」

 「これは、実は日本社会のシステムに関する問題である。日本社会では、たとえばエリートを訓練する場合、専門職によって訓練するという考え方はない。あちこちと動かしながら、その中からエリートを選び出す。」

 「したがっていつのまにか、エリートコースというものが出来上がる。一流の者は欧米に、二流の者は発展途上国というコースがおのずからできる。」

 「こうしたシステムが明治以来、日本社会の奥深いところに根づいているため、人々は無意識のうちに、東南アジアを欧米より下に見るのである。」

 平易な言葉で書かれていますが、卓見だと思います。誰もが知っていて、誰もが意識せず、当たり前と思っている事実の中から、一つの公式を発見するというのは凡人にできることではありません。

 私の長い会社員暮らしの経験からしても、納得できます。同じ海外勤務の社員でも、欧米の会社へ派遣される者と、東南アジアへ行く社員は、暗黙のルールで選別されていました。日本へ出張してくる現地の社員でも、欧米人と東南アジア人の社員では、受け入れる私たちの対応も違っていました。

 蔑視ということではありませんが、欧米人の社員にはよそ行きの顔で対応し、東南アジア人の社員には、普段通りの気楽な態度でした。会話にしても、東南アジアの社員となら、片言の英語を平気で喋りました。40年前の話ですから、氏の本が出されたと頃と重なります。

  「現地社会に少しも溶け込まないと、日本人はよく非難される。現地に住んで見ればよく分かるが、溶け込むということは生易しいことではないのだ。」「よく新聞のルポルタージュなどで、すっかり現地人とうちとけたと、そのようなことを書いているが、これは形だけ真似て自分でそう思い込んでいるだけだ。」

 「逆に言えば短期だからこそ、うちとけたように、振舞っていられたのであり、長くなれば、きつとボロを出して逃げ出したことだろう。」

 「溶け込むための条件は、二つある。ひとつは長く住むことであり、他は、現地人の中に、一人で入り込むことである。しかし実際にはこの二つとも、商社や企業の日本人には不可能であろう。」

 「大使館でさえも、二年から三年で他の人に交替する。これでは言葉を覚える暇もないし、現地に溶け込む気にもならないだろう。」「更にもう一つの、悪条件がある。それは日本人が、あまりに本国思考が強いことである。企業は本社に、大使館は本省にといった具合である。」

 「これでは、現地に住むのは仮住まいだ、ということになってしまう。」「これもまた、よく考えてみると、日本企業のシステムのためだと言わざるを得ない。日本の企業は、最初から特定の地域の専門家を作ろうとしていないし、本人もそのつもりがない。」「日本のシステムでは、現地にあまり長いのはマイナスであり、出世が遅れてしまう。」

 現在は日本企業が、現地生産へとシフトし、工場をどんどん作っていますから、事情が違っているのかもしれませんが、当時は、氏の指摘通りの日本であり、日本人でした。次のような、批判も、既に過去のものとなっているのでしょうか。 

  「日本人が、現地に溶け込まないという非難は、現地人からもよく聞く。これは、言葉に弱いこと、社交下手、その他いろいろな原因がある。」「しかし一番大きな原因は、日本人同士の接触が多すぎるということだろう。」

 「現地の人々は、言う。」「日本人は、日本の飛行機でやって来て、」「日本の旅行会社の世話になり、日本のデパートで買い物をし、日本のレストランで食事をする。」「これではいくら日本の旅行者が来ても、日本人が儲けるだけだ。」

 本日は、個人としての日本人に、焦点が当てられましたが、次回は、現地に進出した企業についての話です。これも耳に痛い指摘ですが、傾聴するに値します。 

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二つの顔の日本人 - 3 ( 白人のように振る舞う日本人 ? )

2018-06-16 23:43:51 | 徒然の記

 鳥羽教授の三回目のブログです。早速、意見を紹介します。

 「第二次世界大戦について、考えてみよう。日本の戦争の目的が、何であったにせよ、現実に、東南アジアでの西欧の支配を打ち砕き、植民地支配からの解放をもたらしたのは、同じアジア人の日本人だった。」「結果論だけでゆけば、独立の活力を与え、そのスタートを切らせたのは日本人だった。」

 「東南アジアの人々が、日本人のおかげで独立したとは、言う訳はあるまい。」「しかしこの事実が、彼らの心の底にあることは間違いない。ベトナムにしても、インドネシアにしても、独立への道が容易でなかったことを考えると、日本による欧米勢力の駆逐がなければ、彼らの力だけで独立が達成されたかどうか、分からないことは誰でも知っている。」

 アジア諸国から、日本が敬意を得られないのは、白人でもないのに、白人のように振る舞う日本人が、西欧人に代わる支配者になったからだと説明します。けれどもこの意見は、当時の日本人には酷な批評です。東南アジアの戦争で、死力を尽くして西欧と戦い、アジアの解放に一役買ったとすれば少しくらい有頂天になるのが、なぜいけないのでしょう。

 そういうことが原因でなく、大東亜の戦争に敗れ、米国を筆頭とする連合国から、極悪非道な独裁国家として、日本が徹底的に叩かれたからではないのでしょうか。日本の指導者たちは、東京の法廷で断罪されただけでなく、東南アジアの各地で連合国による俄か作りの法廷で、ろくな弁護も受けず処刑されました。

 西欧の大国が、日本を世界平和の敵として、こぞって弾劾しているときに、東南アジアの指導者たちがどうして異を唱えられるでしょう。次の言葉は、昨年の9月、田母神氏の著作の書評をブログにしたとき、氏の著作で教えられた言葉です。鳥羽氏が著作を出版した昭和48年には、こういう発言が世に出ていませんでした。

 氏がもし存命なら、事実を知ってもらいたいと念じ、再度引用します。タイの首相の発言は、氏の本が出版された2年後で、マレーシアの首相の発言は21年後です。

  1. ククリット・プラモート ( 昭和50年 タイ首相 )

  「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。」「日本というお母さんは、
   難産して母体をそこなったが、」「生まれた子供は、すくすくと育っている。」
  「今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、」「いったい誰のおか
   げであるのか。」「それは身を殺して、仁をなした、」「日本というお母さんがあ
   ったためである。」
 
  「12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、」「一身を賭し
   て、重大な決意をされた日である。」「さらに8月15日は、我々の大切なお母さん
   が、」「病の床に伏した日である。」「われわれは、この二つの日を忘れてはなら
   ない。」
  
  2. マハティール・ビン・モハマド ( 平成6年 マレーシア首相 )
  「日本が、50年前に起きたことを謝り続けるのは、理解できない。」「過去のこと
  は教訓とすべきだが、」「将来に向かって進むべきだ。」「日本は、これからのアジ
  アの平和と安定のため、」「国連の安保常任理事国となり、すべての責任を果たして
  ほしい。」「過去の反省のため、日本がPKOの派遣もできないのは、」「残念なこと
  だ。」
 
 3. バー・モウ ( ビルマの初代首相 )
 「歴史的にこれを見るならば、日本ほど、」「アジアを、白人の植民地支配から離脱さ
  せることに貢献した、」「国はない。」「しかしまた、その解放を助けたり、」「多く
  の事柄に範を示してやった諸国民から、」「日本ほど誤解を受けている国はない。」
 
4. ヘレン・ミアーズ ( GHQの所属だった、米国の日本専門家 )
  「歴史的に見て、アジアの民衆を奴隷にしていたのは、日本でなく、」「私たちが同盟
 を結ぶ、ヨーロッパの民主主義国である。」「日本は、現地住民に独立を約束しただ
 けでなく、」「独立を保障した具体的な行動を進めている。」
 
 「1935年 ( 昭和10年 )には、すでに満州での治外法権を放棄していたし、」「1943年
  ( 昭和18年 )には、中国に租借地を返還している。」「対戦中、日本は、占領したす
  べての地域の、」「現地独立政府を承認していった。」
 
 「私たちが解放戦争と呼んでいたものは、」「実はヨーロッパによる、アジアの再征服
 だったのである。」「恥ずかしいことに、アメリカがそれに手を貸した。」
 
 私が、これらの言葉を何度も紹介するのは、鳥羽教授を攻撃するためではありません。日本の過去を正当化したいと、反証するためでもありません。東南アジアの指導者にもいろいろな意見があり、見方があると言いたいのです。
 
 日本を愛する私は、日本だけが悪かった、日本だけが間違っていたという東京裁判の捏造を肯定せず、あるるがままの日本を知ろうとしているだけです。
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二つの顔の日本人 - 2 ( イエローヤンキーの意味 )

2018-06-16 17:04:23 | 徒然の記

 鳥羽教授の話の、続きです。

 「たしかに、と僕は思う。明治以来の日本人は、よく働いてきた。」「働かなかったら、東南アジアの発展途上国と、今頃、同じ状態にあったかもしれないとさえ、考える。こうして、働いて、働いて、GNPを伸ばしてきた。」

 「チャンスにも、恵まれたろう。素質も、あったかもしれない。そして今日ではどうやら、目標とした西欧の水準に追いつくに至った。アジアの昔の仲間に、善意で金を貸し、工場を建て、職を与えることもできるようになった。」

 「しかし、自分はどうなったのだろう。気がつかないうちに、アジア人ではなくなってしまったのでは、なかろうか。少なくとも、意識の上では、懸命に真似をしてきた、西欧人になってしまったのではなかろうか。」

 「イエロー・ヤンキーという表現は、黄色い肌をした白人という意味ではない。」「黄色い肌をしているくせに、白人のように振る舞うという意味である。」

 イエロー・キャブという蔑称は、耳にしたことがありますが、イエロー・ヤンキーという言葉は初めて知りました。辞書で牽いてみますと、こう書いてあります。

 「第二次大戦後、経済進出する日本人に対し、東南アジアの人々が、抵抗の意を込めて言った言葉。」

 今頃こんなことを言っているのですから、東南アジアに関する私の無知は、自分で思う以上なのかも知れません。しかし私は鳥羽教授の説明に、欠けている視点を発見し、それが気になってなりません。

 「明治から百年、夢中になって、西欧の経済力を追いかけてきた日本人は、経済力以外に、他国の文化や社会を区別する基準を失ってしまったのだろうか。」

 前回のブログで引用しましたが、氏は、幕末以来のご先祖が、西欧の経済力だけを追いかけてきたように語りますが、もう少し真面目に歴史を学べば、このような偏見は生まれないはずです。大先輩として敬意を表してはいますものの、ここは譲れない事実です。

 西洋に追いつけ、追い越せと、懸命になったのは、列強に支配されるアジアの国々を目の当たりにしていたからです。太平の眠りに浸っていたら、異国の植民地にされてしまうという危機感が、「富国強兵」へと走らせました。

  氏の説明を聞いていますと、私たちのご先祖はまるで金の亡者のように、金儲けのためだけに頑張ってきたと、そうしか思えなくなります。「そんなことは、ありませんよ。」と異論を抱きつつ、先へ進みます。というのも氏の日本人批判には、否定できない事実が含まれており、私たちが心得ておくべきことが、語られているからです。

 たとえ先輩でも大学教授でも、間違いや見落としはあるでしょう。反日左翼の著名な学者たちの、捏造や大嘘の著作に比較すれば、氏の見落としは許容範囲です。

  「日本人の心の奥底には、西欧人との結婚ならまだ我慢しよう。」「しかし東南アジア人となると、これはまた別だという意識がある。」

 「こういう意識は、知らず識らずのうちに、日本人の態度や言葉に現れる。」「そしてその感じは、敏感に、東南アジアの人々に伝わると僕は思う。」「白い顔を持ったアジア人、同じアジア人を差別するアジア人。」「これが日本人だと、僕は思う。」

 この意見にも、異論があります。確かに私たちの多くは、東南アジア人より、西欧人を好意の目で眺めます。白人である彼らに比べれば、軽視しています。これは、事実です。氏は日本人だけが、そうであるように説明しますが、アジア人に限らず、ほとんとの有色人種が、白人をそのように見ているのではないでしょうか。

 白人対有色人種、白人対日本人と並べたら、アジア人の多くは、必ず白人の方を優れたもの、立派なものとして見るはずです。近代化を成し遂げた列強が、強力な武器を持ち、巨大な船に乗り、アジアの国々を侵略して以来、白人は畏敬する人種になったはずです。

 体の小さなアジア人に比べると、白人は堂々とした体躯を有し、自信に満ち、彫りの深い容貌は美しくさえあります。この点を考慮せず、同じアジア人を差別するのが、日本人だと決めつける氏の意見は、間違っています。けれども、私たち日本人は、知らないうちに同じアジア人を差別していますから、ここは自覚しなければなりません。氏のように日本人だけがそうすると言い、必要以上の反省をするのは、止めるべしでしょう。

 有色人種は、白人に対し、無意識のうちに劣等意識を抱いてしまう。善悪の問題でなく、歴史的な経緯から、アジア人の多くがそうなっています。アジアの他国と、日本との違いは、彼らの支配に屈したか、独立を守り通したか、ここにあります。日本は、経済力を求めて頑張ったのでなく、国の独立を死守するため彼らを師とし、追いつこうとしたのです。

  この点を踏まえた上で、私は氏の意見に賛成しています。

 「日本人は、同質民族の中で育ってきた。人種問題の経験はないし、自分たちに人種的偏見など、あるはずがないと信じ込んでいる。」「もし日本に人種問題があったら、こうした偏見にすぐ気づくだろう。」

 「人種的な偏見は、誰にでもあるという前提で、他の人々を理解しようと努めるだろう。」「しかし不幸にも、日本人にはそれが分からない。」「なまじ人種問題がなかったから、自分の偏見が無意識に出てしまっても、少しも気がつかないのだ。」

 「これまで模倣し続けてきた、優れたものに対する憧憬が、東南アジアへ来ると、いつの間にか自分を、白い顔の西欧人になぞらえてしまうのだ。」

 アジアの国々を訪ねた、私の経験からしますと、白い顔の西欧人になったと、そんな自惚れはありませんでした。自分たちは、西欧人の植民地にならなかったという、安堵と誇りでした。東南アジアの多くの人々は、どうして白人の支配に身を委ねてしまったのか。なぜ国の誇りや、民族の歴史を大切にしなかったのかという憐れみの気持ちでしたが、これも形を変えた差別なのかもしれません。

 反発したり納得したり、忙しい読書ですが、氏が真剣であるように、私も真剣ですから、中途半端なところで止められません。大切な指摘が沢山ありますから、謙虚に聞きます。面白い話でなくても、次回も続きけます。

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『二つの顔の日本人 』 ( アジアを知らない日本人 )

2018-06-15 19:33:31 | 徒然の記

 鳥羽欽一郎氏著『二つの顔の日本人』( 昭和48年刊 中公新書 )を読了。

  氏は大正13年に東京で生まれ、今年94才です。早稲田大学卒業後に、同大学の商学部の教授になっています。その後ノースウエスタン大学、マラヤ大学、高麗大学の客員教授を務め、平成11年に、新潟経営大学の学長になりました。専攻は、経済史、経営史です。

 経歴を詳しく書いているのは、久しぶりに、心を動かされた著作だったからです。簡単に言いますと、氏の海外経験をもとにした日本人論です。世界第二の経済大国となった日本人が、なぜアジアの国々で嫌われるのかについて、これでもかと説明しています。

 うなづかされたり反発させられたり、反省させられたり、喜怒哀楽の一冊でした。反日左翼教授ではないらしく、彼ら特有の悪意がなく、耳痛い指摘も素直に受け止めました。その代わり偏った意見には、率直に反論しました。

 一昨日はトランプ大統領が、北朝鮮の金正恩委員長とシンガポールで対談しました。北の非核化や拉致被害者の救出をめぐり、これから日本は北朝鮮とだけでなく、韓国、中国、ロシアなどと、息の長い折衝を続けることになるはずです。折衝の中心は外務省ですが、見守る私たちが当事者です。

 東アジアの諸国が、日本人をどう見ているかにつき、率直な意見を知っておくのは大事なことです。その知識があれば、今後の折衝を見ていく上で、的確な判断ができる気がします。

 日本はアジアの中で、賞賛され敬意を表される一方で、激しく憎む人々がいるのは、なぜなのか。疑問を解く鍵が、氏の著作にありました。氏の意見に耳を傾け、自分だけでなく、息子たちと、訪問される方々に伝えたいと思います。

 本が出版されたのは今から45年前ですが、時代遅れの古本と侮ってはいけません。そのまま通用する意見が、沢山あります。45年前の話が今でも通じるなんてと、不審な顔をしてはなりません。

 敗戦後73年目になるというのに、いまだに「日本だけが、間違った戦争をした。」「日本に、軍隊はいらない。」と、考えている人間が日本には沢山います。一度頭に入った思考は、よほどのことがない限り変わらないという、良い例です。世界の情勢が変われば思想も変化するのに、適応できない人間が無数にいる。日本のこの現実を見れば、氏の著作が時代遅れにならない理由が理解できます。

 昭和48年といえば、私は若手社員の一員として、東京で働いていました。記憶にある 昭和48年は、高度成長時代の真っ盛りで、毎日残業、日曜出勤と、やたら忙しかったという印象です。週休二日制はとんでもない話で、周りはみんな企業戦士でしたか。

 本題に入る前に、昭和48年について調べてみました。 

   1月 ベトナム和平協定調印。

  2月 浅間山大噴火、12年ぶりに大爆発。
      ・ 円の変動相場制移行。

  3月 動労、長期順法闘争(~17日)。13日上尾駅で乗客1万人が暴動化。
     ・ 熊本地裁、水俣病第一次訴訟で患者側勝訴の判決。

  4月 国労・動労、順法闘争。通勤客ら暴動化。
     ・ 春闘史上初の交通ゼネスト。
  7月 日航機、オランダでパレスチナゲリラにハイジャック

     (24日リビア・ベンガジ空港で乗客ら解放後機体爆破、犯人逮捕)

  8月 韓国前大統領候補・金大中、東京のホテルから強制連行、行方不明

     (13日ソウルで所在判明)

 10月 江崎玲於奈、ノーベル物理学賞受賞。
   ・ オイルショック。国際石油資本5社、日本への原油供給約10%減を通知。
   ・ 尼崎市でトイレットペーパー・パニック。以後各地で買い占め騒動。

 これらの出来事は、新聞の活字やテレビの画面として浮かんできます。給料が毎年、倍、倍と増額しても、休みが取れず、使う時間がないという嘘みたいな時代でもありました。こうした事実を考えながら、早速氏の本を紹介します。

 「東南アジアは、決して近い国ではない。」「僕は、今日の日本人にとって、積極的に理解しようとしない限り、西欧よりもむしろ遠い国なのではないかと、さえ思う。」

 「日本の旅行者も、在留する商社や企業の人々も、東南アジアの大都会にしか、行きもしないし住みもしない。」「その大都会は、特殊に西欧化された社会なのである。」「日本人はまたこうした特殊な社会の、また特別に特殊な、日本コロニイという社会に住み着く。」

 「しかし発展途上国は、すべて落差の国である。文化的にも経済的にも、貧しい農民と、所得の高い西欧化した大都市との、二重構造だと言っていい。」

 「中小都市というものがないから、大多数が住む貧しい伝統的社会と、少数の人々の西欧化社会の隔絶の上に、これらの国は成り立っている。」「その国の伝統文化は、大都会よりもむしろ農村にある。だから、こうした地方の価値を理解しない限り、その国のことが分かったとはとうてい言えないのだ。」

  220ページの本の、30ページのところを、紹介しています。発展した都市が増えたとはいえ、東南アジアの状況と、日本人の接し方は、今も変わっていないことが分かります。乾燥した土地に、降り出した雨がたちまち吸い込まれていくように、氏の言葉が私の心にしみました。

 「僕は東南アジアという、十把一からげ的な言葉があまり好きでない。ヨーロッパという時、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、スペインというように、僕らは個別に分離して、その差異を感じるだけの知識がある。」

 「しかし地域的に、親しいと感じているはずの東南アジアについて、タイとビルマを、カンボジアとラオスをと、区別するだけの知識を僕らは持っているだろうか。」

 「実は、アジアの隣人である、東南アジア諸国について、僕らはさらに遠い国である、アメリカやヨーロッパよりも、無知なのである。」「しかしもっと困った問題は、日本にいる日本人も、東南アジアにいる日本人も、東南アジアについてもっと知ろうとは思っていない、ということである。」

  「明治から百年、夢中になって、西欧の経済力を追いかけてきた日本人は、経済力以外に、他国の文化や社会を区別する、基準を失ってしまったのだろうか。」

 章の最後を、氏はこういう言葉で締めくくります。明治時代の日本人が、西欧を経済的な面からだけ捉えていたと、私は考えていませんが、当時も今も、アジアを文明の遅れた国々として、考えていたことは間違いありません。

 本のテーマは、西欧を向いた日本人の顔と、アジアを向いた時の日本人の顔と、この二つを称して『二つの顔の日本人』という本の題名ができています。

  次回からは、具体的な氏の意見を紹介します。
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拉致問題

2018-06-13 11:41:08 | 徒然の記

 トランプ大統領のお陰で、拉致被害者のことが、再度に国際社会で取り上げられるようになり、それはもう、何にも増して有難いことです。

 しかし、ここで、私たちは、自分の過ちを、同時に反省しなくてはなりません。

 それは、「拉致問題」という言葉についてです。政治家も、マスコミも、学者も評論家も、そして私たち国民も、こぞってこの言葉を使い、40年という歳月を空費してきました。本来ならば、「拉致問題」は、「日本人拉致被害者の救出」という言葉で、最初から語られなければならなかったのです。

 これが本来の意味なのに、わざと焦点をぼかした、「拉致問題」としたのは、誰だったのでしょうか。今からでも遅くありませんので、私たちは、この曖昧な言葉の使用をやめましょう。「拉致問題」と抽象的に言えば、日本人だけのことでなく、韓国人や米国人や、あるいは他の国の拉致被害者も含む、広い意味になります。

 そうなれば、国内での受け止め方も危機感が薄れます。「日本だけでなく、他の国もそうなのか。」と、何となく受け止め、救出の遅れも納得してしまいがちです。だが、事実はそこにありません。

 二百人とも、三百人とも言われる、拉致された日本人の命の話です。「拉致問題」などという、曖昧な話でなく、「拉致被害者の救出」なのです。最初からこの言葉で語られていたら、国内世論はずっと緊迫感をもっていたはずです。

 米国との貿易戦争の時、アメリカが日本に要求したのは、「規制撤廃」でしたが、政府の役人が国民に伝えた時は、「規制緩和」という言葉に、置き換わっていました。時の政治家が世論を騒がせないため、そう指示したのか、官僚が考え出したのか。日本政府は、こうして世論操作をした過去を、持っています。

 拉致被害者となった日本人を、私たちは、「拉致問題」という言葉に惑わされ、40余年間も「見殺し」にしてきました。自分の大切な家族が、40年間も不当に拉致され、自由も人権もない国で、泣き叫んでいれば、じっとしておれるでしょうか。

 そして、私たちは、もう一度、事実を知らなければなりません。どうしてアメリカは、自国民の救出ができたのかと、マスコミが伝えない事実を、知らなければなりません。

今回の三人でなく、その前回の、病気になった米国青年の救出の状況です。米国関係者は、北朝鮮の手配で、病気で衰弱した青年と対面した時、断固として、米国へ連れ帰る行動に出ました。

 かっての、日本人拉致への対応と同様に、北朝鮮は、米国青年を、米国政府関係者に対面させることだけを考え、帰国させようとはしていませんでした。この時、米国の政府関係者の中には、米軍の関係者もいました。正確な事実は知りませんが、反対する北朝鮮政府の人間に、米国の軍人は言ったそうです。

 「連れて帰ることを、貴国が妨害するのなら、戦争になる。」「救出のためなら、我々は、戦う。」

 武力の行使を辞さない態度が、北朝鮮の妨害を退けました。

 多くの人々に、私が知って欲しいのは、軍隊というもの、武力というものは、国際社会では、決して無意味なものでなく、人殺しだけの手段でなく、人の命を救うものでもあるという事実です。

 「人殺しの戦争に、反対しましょう。」「軍隊の暴力を、地球から無くしましょう。」

 こう言って、反日・左翼の売国者と、お花畑の馬鹿者たちが、合唱している間違いに、そろそろ気づくべきです。刃物は、狂人が持てば、凶器となりますが、医者が手にすれば、人命救助のための執刀となります。刃物は、人間が生きている限り、無くせない道具です。

 どうすれば狂人の手に渡さず、医者の手に留めおくことができるのかと、それを工夫するのが、国民の英知です。軍隊もまた、刃物と同じです。他国がやれている軍隊の統率が、どうして日本だけがやれないと決めつけるのかと、私たちは、戦後73年間の過ちに気づく時です。

 憲法を改正し、軍隊を正しく位置づけ、国を独立させなくて、どうして拉致被害者の救出ができるのでしょう。私たちは、長い戦後の眠りから、目覚めなくてなりません。

  平成16年の小泉内閣の時、五人の拉致被害者が一時帰国しました。蓮池夫妻、地村夫妻と、曽我ひとみさんでした。北朝鮮との約束が一時帰国でしたから、外務省の田中均局長は五人の帰国を促しましたが、安部氏が一人で反対しました。当時の氏が、副官房長官だったか、副幹事長だったか、忘れましたが、断固として五人の出国に反対しました。

 「安部さんは、間違った。」「あんなことをするから、後の交渉を難しいものにしてしまった。」

 加藤紘一氏は、ことあるごとに、そういって安部氏を批判しましたが、私は反日・親北の加藤氏の意見の方が、間違っていると今でも信じております。こうして、自民党内でも、政府内でも、強硬な反対意見がありましたが、安部氏は五人を戻しませんでした。

 軍隊の力無しでも、政治家の決断次第で、アメリカに負けないことがやれるのだという事実を、安部氏が示してくれました。その後、拉致被害者の交渉は進展していませんが、安部総理だけの責任であるはずがありません。

 自民党内だけでなく、野党、マスコミ、学界等々、安部氏の反対勢力が、交渉の進展を妨害しているからです。軍事力無しで、北から五人を奪い返した、唯一の政治家が安部総理です。

 その安部氏を、たかだかモリカケや、財務省のスキャンダルごときで、退陣させて良いのでしょうか。国にとって何が大切なのか。反日の野党や、活動家や、売国のマスコミに惑わされることなく、私たちが判断しなくてなりません。彼らは、ただ安部総理が邪魔になるから、退陣させようと画策しているだけで、国民の生活や、国の未来については、何も考えていません。

 もしも彼らが、本気で明日の日本を考え、国の未来を心配しているのなら、モリカケやセックス・スキャンダルでなく、もっと別の理由で攻撃しなくては嘘です。

「無制限な、外国人労働者の受け入れを許すな。」

「国民を堕落させる、カジノ法案の推進に反対 ! 」

「国民の食の安全と、食料安全保障を崩壊させる、種子法廃止を、断固粉砕せよ。」

「過労死につながる、働き方改革に反対だ ! 」

 これこそが、安部総理による、日本崩壊につながる政策なのに、野党は一言も触れません。彼らは、ただ政権が欲しいため、政争のために、騒いでいるだけです。こんなクズ野党や、腐れマスコミに、私たちは、踊らされるのを止めようではありませんか。反日・売国の野党に政権を渡すくらいなら、安部総理に一票を投ずるしかないと、無念の支持をしている国民は、果たして私だけなのでしょうか。

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憲法九条を巡る議論 - 3 ( 戦後日本の大学の、荒廃を知る )

2018-06-10 17:10:49 | 徒然の記

 岡田教授の「邪論シリーズ」第3回目です。

 「戦争など、まっぴらという感情を保持しながら、同時に軍を、世界標準の制度できちんと統制するという、憲法の規範力を守るために必要なのは、立憲主義の補修作業である。」

 戦争などまっぴらという感情が、憲法に保持されていると、砕けた言葉で説明されれば、私のような無知な者には、もっともらしく聞こえます。しかし戦争は、日本人がまっぴらと思っていても、国際社会ではいつ何どき始まるのか、巻き込まれてしまうのか誰にも分かりません。

 まずもって、このような言葉で、戦争反対論を語る軽薄さに、腹立たしさを覚えますが、理屈に合わないのが、「同時に軍を世界標準の制度で、きちんと統制する。」という意見です。

 自衛隊を軍と認めていない氏が、自衛隊を世界標準の制度で統制するというのですから、学者の名を恥じるべき矛盾した意見です。こうした主張をするのなら、順序として、最初に自衛隊を軍として認めていなければなりません。

 「だから私は、毅然として規範力維持のための改憲を、九条の理念を、思想的に守るために、政治的に支持する。」

 言葉だけは威勢よく、中身はますます曖昧に、矛盾したままの意見が展開されます。 何が言いたいのかと先を読みますと、結局は現在流行の「安倍総理批判」となっていきます。

 「はなから、国家権力に対する歯止めという憲法観が欠如した、安倍首相は、国民投票での敗北を恐れて、軍隊など無いと明記された九条に、軍隊である自衛隊を明記するという矛盾に満ちた提案をした。」

 氏の寄稿した記事は、結局のところ、最初の書き出しから最後の行まで、反日野党とマスコミと、お花畑の住民へ向けた「安倍総理攻撃文」でした。途中で色々喋っていますが、形を変えた「モリカケ批判」であるに過ぎません。

 氏の原稿の、最後の叙述を紹介します。

 「憲法を破壊する、そんな提案は、悪意なき気憲派によって承認されるかもしれない。」

 「悪夢を見たくない友たちよ。」「死守すべきもののために、きちんと政治をやろうでは無いか。」

 気憲派とは氏の造語で、そろそろ改憲で良くね ? 、という気分になっている者だそうです。私も時にはブログで、訪問される方々に呼びかけをすることがありますが、氏に言われますと、安っぽい勧誘にしか聞こえません。

 もしかすると私の呼びかけも、反対側の人間には、そんな風に聞こえているのかも知れません。これを機に、中学生の学芸会みたいなセリフは止めようと決めました。

  平成27年の話ですが、氏が久米宏氏と対談しているラジオ番組がありました。久米氏が質問し、岡田氏が答えていました。面倒なので、氏の答えのみを紹介します。

 「今の国会では、そんなことはつい先日まで、ダメだったろうに、ということが、当たり前のように語られている。右は、刺激的なことを言って、舞い上がっている。」

 「憲法について、まっとうな筋で考えようとしている、まともな人間がいるのに、与党の議員がその土俵をぶち壊してしまった。」

 「もしも自民党が、安保法制法案を強行採決したら、今でも感情的になっている反対派の人たちを怒らせ、まっとうな憲法論議が今後はできなくなります。」

 「憲法九条に問題があるというのなら、自民党は、まっとうな議論をすればいいんです。」

 「九条の一項はパリ不戦条約に書かれていることで、世界中に認められていることですから、このままでいいとして、」

 「二項については、国際社会で認められている、正当防衛としての自衛権を前提として、厳密な意味での民主的な議会コントロールと、文民統制、軍縮基本法の三つをセットにした、専守防衛に徹するための文言に変えるという議論をすればいい。」

 氏が語るような前提での議論が、国会での土俵というのなら、自民党でない私でもそんな土俵には乗れません。

 「日本だけが、間違った戦争をした。日本だけが、残虐非道な戦争をした。日本に、二度と戦争をさせないためにはどういう憲法の文言が良いのか。」

 これが日本人の心を失った教授のいう、「議論の土俵」です。東京裁判史観、敗戦思考そのままで、未来永劫反省だけしろという、そんな結論の上に作られた土俵ですから、乗れというのが無理な注文です。

 九条第一項の言葉は、世界中で認められたパリ条約だから、そのままで良いという説明も、ずいぶん飛躍した意見です。念のため、パリ不戦条約について調べてみました。

  「 昭和3年( 1928 )年の8月、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、日本といった、当時の世界列強をはじめとする15か国が署名し、その後ソビエト連邦など、63か国が署名した。」「フランスのパリで、署名されたため、バリ不戦条約と呼ばれる。」

  ここでは、国権の発動としての戦争や、武力の威嚇や行使は、国際紛争の解決手段として、永久に放棄すると書かれています。しかし自衛のための戦争は、認められ、どんな場合が自衛なのかという解釈は、当事国に任されるという曖昧さがあり、署名した大国がみずから守らず、結局は第二次世界大戦となりました。

 前回のブログで取り上げた、軍刑法と同様、詳しく説明すれば、ブーメランとなり教授を直撃します。国民の多くが、パリ不戦条約を知らないことを幸いに、ここでも、これが世界の常識でもあるかのように決めつけています。

 これ以上氏の話を紹介しても何の益もありませんので、最後にもう一つだけ、ラジオ番組での発言を追加します。氏の知的レベルを判断すると共に、敗戦後の日本の大学の荒廃を本気で心配する必要があります。

 「私が教えている学生は、今回の安保法制法案について、合憲であるとはロジックとして理解できないと言っています。さすがに、私の教えた学生たちです。」

 「シールズは自分たち独自の言葉と考えを持っており、彼らの話を聞き、まっとうなことを言っていると、希望を抱かされました。」

 あのシールズの話を聞いて幻滅した私には、驚くしかない氏の意見です。

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憲法九条を巡る議論 - 2 ( 軍刑法の不整備 )

2018-06-09 22:18:45 | 徒然の記

 昨日に続き、岡田教授の意見を紹介します。

 説明不足の文章なので、そのまま読んでは、何のことか分からないため、私が言葉を補いました。悪意の歪曲でないことを明示するため、追加した言葉を、カッコ書きとしておきます。

 「(現行憲法では、自衛隊が) 戦力にあらずという理屈のために、戦争犯罪処罰法が求める、軍刑法の整備も不十分だ。」

 「国家の命令で、海外派遣された自衛隊員は、戦争犯罪の責任を個人で被ることになる。」「沖縄に象徴される、基地周辺の住民の不安を放置することにも、つながっている。」

 ここで氏は、とても重要な問題を、二つ指摘しています。

 1. 自衛隊員個人・・軍刑法が不整備のため、海外派兵され、敵を殺した場合、

           通常の刑法で裁かれ、殺人罪に問われる。

 2. 基地周辺住民・・軍刑法が不整備のため、自衛隊員が犯罪を犯した場合、住民は

           隊員個人を訴えるしかなく、国の責任が追及できない。

 氏が指摘した問題点は、詳しく説明すると、反日左翼の学者には、ブーメランのように戻ってくる諸刃の刃です。だから氏は曖昧にしか語らず、あたかも憲法改正を志向する政府や国民に問題があるのだと、そういう口調で話を濁しています。

 氏の意見が矛盾に満ちた、愚論だという批評に入る前に、軍刑法について、別の情報で確認しておきます。息子たちには勿論のこと、訪問される方々にも、我慢して、読んで欲しいと思います。

 「軍刑法とは、一般的に、多くの国で特別法として、立法機関である議会によって制定された、軍隊の法体系である。」

 「軍隊に属する軍人が犯す、軍事犯罪を処罰するために軍刑法とも呼ばれ、これを用いた特別裁判は、軍法会議と呼ばれる。」「ちなみに、軍隊が主宰する裁判は、軍事裁判と呼ばれるが、これには軍法会議だけでなく、通常の司法権が不在の占領地における、軍隊の特別裁判も含める。」

 「軍人が、犯罪行為を行った場合、刑法ではなく、軍刑法によって裁かれる。」「この裁判は、軍法会議と呼ばれ、軍隊による特別裁判として開かれる。」

 「軍法には、通常の刑罰とは異なる、独自の罰が規定されており、懲役の場合も、軍刑務所へ収監され、死刑の場合は、銃殺刑となるのが一般的である。」「軍法による罰は、刑法の罰よりも厳罰であることが通例で、通常犯罪に対する死刑制度が廃止されている国でも、軍法には銃殺刑が規定されている場合がある。」

 「軍命令に対しては、命令者だけが全責任を追い、実行者は、一切責任を問われないという、特殊な責任分担も発生する。」

 「現在の日本に軍法は存在しないため、自衛隊員は通常の刑法の適用を受ける。」

 [  参  考  ]

  現在のアメリカ軍で、軍人は、全軍共通の統一軍事裁判法によって裁かれる。

 ここまでを予備知識として整理し、岡田教授の説明に戻ります。

 「このままでは、( 日本は ) 国際社会から、無法組織を国外に派遣している、という不信を招き、国内的には、災害要員なのか、保安要員なのか、曖昧な自衛隊員が、国の都合で、死んでくれと命じられる不条理を許すことになろう。」

 軍刑法の予備知識さえ持っていれば、政治学者ともあろうものが、このような世迷いごとをいうのかと、誰にでも分かります。庶民の無知を良いことに、あたかも正論のように述べていますが、これは愚論というより、日本に害をなす邪論でしかありません。

 自衛隊を無法組織と断定し、国外派遣は、国際社会から不信を招くという主張は、どういう論理で導かれるのでしょう。

 自衛隊に軍刑法がなく、無法状態になっているのは、氏のような反日左翼教授たちが、憲法改正に反対しているから生じている事態です。国際社会から、不信感を抱かれないようにするためには、憲法を改正し、自衛隊を軍隊として位置づけ、軍刑法を整備すれば良いだけの話です。

 反日の悪意もここまでくると、真面目に聴く者には醜さしかもたらしません。

 「災害要員なのか、保安要員なのか、曖昧な自衛隊員」という、不幸な位置づけにしているのは、氏のような、反日の学者たちではありませんか。 万一の事態に備え、国土と国民を守るため、日々命がけの訓練をしている、自衛隊員に対し、「災害要員なのか、保安要員なのか」と、このような心無い言葉は、現在の日本で普通の人間は使いません。

 今から73年前の占領軍の統治下で、敗戦直後の学界では、氏のような雑魚でなく、著名な教授たちが、節操もなく変節していました。大東亜の聖戦を信じ、日本の勝利を願い、国民を鼓舞した指導者たちが、GHQの前に膝を屈しました。

 宮沢俊義、家永三郎、大内兵衛、我妻栄、中野好夫、戒能通孝、久野収、横田喜三郎、末川博・・、という人物の名前が伝わっています。彼らは日本を歪めた、背信者たちで、本物の「獅子身中の虫」だったと、今でも信じています。

 その害虫たちが73年をかけ、営々として作った学界の中で、岡田氏もそこに生息する一匹の害虫です。二、三年前でしたか、国会に3人の憲法学者が招かれ、自衛隊について質問されたことがありました。

 「安倍内閣の提出した、安全法制関連法案はすべて違憲です。」と、3人の学者が口を揃えて答えたと記憶しています。この3人の憲法学者も岡田氏も、敗戦後に獅子身中の虫」たちが作った学界で生きているのですから、邪論を述べても不思議はありません。

  自衛隊員の献身に対し、不遜な言葉を使って恥じない氏ですから、私も、不遜な言葉で対応します。礼節を欠く者に対し礼節で応じるほど、私は寛大な人間ではありません。

 千葉日報が取り上げなければ、岡田氏の存在など、日本のどこにいるのかも知らない私でした。そんな小物の学者の言葉に、本気で反応はしません。私が静かな怒りを覚えるのは、氏のような教授を育てた、敗戦後の学界に対してです。

 「日本だけが、間違った戦争をした。」「日本の軍隊だけが、世界を混乱させ、極悪非道を働いた。」と、こんな敗戦思考をいつまでも抱え込み、反日と反戦を唱えさえしておれば、バカな教授も生活の糧を失わずに済むのだと、これが新聞記事が私たちに教えた現実です。

 今回限りとしたかったのですが、氏の愚論が、あと少し残っています。ここまでくれば、「毒を喰らわば、皿まで」です。最後までつき合う決心をしました。

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憲法九条を巡る議論 ( 専修大学・岡田憲治教授 )

2018-06-08 21:07:41 | 徒然の記

 5月31日の千葉日報に、「憲法九条を巡る議論」と題して、専修大学教授の岡田憲治氏の意見が掲載されました。

 「決済文書を改ざんした、政府の長である安倍晋三首相は、依然として改憲に執着している。」

 こういう書き出しで始まりますので、左翼系の教授だと分かりましたが、読むほどに、分かりにくくなる意見が展開されていきます。先ず氏は、九条をどう考えるかという視点から、国民を大きく四つに分類します。

  1. 原理主義者 ・・ 非武装中立を目指す、とする者

  2. 解釈護憲派 ・・ 憲法は最小限の防衛力のみを認めている、とする者 

  3. 解釈改憲派 ・・ 集団的自衛権を認めている、とする者

  4. 明文改憲派 ・・ 自衛隊を憲法に位置付けよう、とする者

  氏は更に、4番目の明文改憲派を、四つに細分します。

  (1) 反憲派 ・・ 国家権力を縛る憲法という世界の常識を否定し、国民も憲法

           で縛れという者

  (2) 自憲派 ・・ 恥ずべき占領軍による押しつけ憲法に代わる、自主憲法を、

                            と説く者

  (3) 修憲派 ・・ 立憲主義強化のための改憲を、と主張する者

  (4) 気憲派 ・・ そろそろ改憲で良くね ? 、という気分になっている者

  こうした様々な派に分かれた国民が、混在し、複雑な体をなしていると言い、旧軍復活も辞さないという、復古主義者は少数派であると説明します。

  私は先ず、ここでひっかかりました。他国と同様に、国を守る軍隊は持つべきと考える私は、氏の分類によれば、果たして、(2)の自憲派なのか、それとも、旧軍復活も辞さないという、復古主義者の少数派なのか。

 どちらであれ、氏はいずれの派も頭から否定し、疑問視し、蔑視していますから、不愉快な気持になります。ここでいつものように、氏の経歴を紹介します。

  「昭和37年生まれで、今年56才。」「早稲田大学を卒業、現在は専修大学教授」

「政治学者」「愛読雑誌 朝日ジャーナル」

 氏の左系を示唆するのは、愛読雑誌が、朝日ジャーナルというところでしょうか。経歴から詳しく分かりませんが、先へ進みます。

 九条を死守する反日左翼の人間を語るとき、憲法は神様のお札ではない。有り難がって、拝むものではないと、私は皮肉を言いますが、氏は似た表現を使い、私を含め現在の日本人を批判します。

  「このマップに散在する、根強い心の習慣がある。」

 このあたりから、知的な大学教授らしい変な理屈が始まります。マップという言葉が、突然出てきますが、文脈から推察しますと、沢山の派に分かれた国民の分布図という、意味なのでしょうか。

 「ときに民意すら抑制する、憲法の機能こそ論ずるべきなのを、」「憲法の実在認識で終わりにする、フェティシズム(物神崇拝)という心の習慣だ。」

 何のことなのか、よく分かりませんが、氏の言葉で言えばそうなるのでしょう。

 「法とは、社会関係を制御・統合する手段にすぎないのに、無自覚のうちに、神のごとく扱う。」「戦後72年間の不戦には、幾百もの要因があるのに、あの条文こそが平和を守ったと信じ、とにかく条文護持をと、唱えたり、」

 「逆に国柄の喪失は、外国憲法に起因すると妄想し、押しつけでなければなんでも良い、と説いたりする者に共通するのは、物神化された憲法観である。」

 「しかし断言する。憲法は、神棚にはないと。護憲とは、あの条文を守ることでなく、憲法規範の整備をすることだ。」

 ここを読みますと、氏は護憲派も改憲派も批判しているように受け取れます。

 「軍事組織の暴走を防ぐには、実態を前提に、管理・抑制するしか無い。自衛隊は、もはや世界有数の戦力だが、これを最小戦力と呼び変え、解釈改憲を放置するのは、憲法は軍事組織を想定していない、という論理を内包することとなる。」

 「国際社会は、自衛隊を戦力と端的に認知しており、戦力にあらずという説明は、英訳した、瞬間に崩れる。」

 だからこそ、私は自衛隊を軍隊とするため、憲法の改正を思うのだが、氏は違う思考をします。

 「わが軍には集団的自衛権を認めないと、解釈の余地の無い修正を、きちんとしてこなかった結果だ。」

 あくまでも氏は、集団的自衛権を認めず、専守防衛の自衛権しか認めようとしていません。氏が強調しているのは、安倍政権がしているように、解釈で集団的自衛権を認めるようなことをさせないための、憲法修正です。

 氏の意見は、私から見れば修正でなく、改悪でしかありません。こういう憲法にしてしまったら、他国が不意に攻めてきたとき、先手を打って反撃できなくなります。敵基地が攻撃できないとしたら、日本は滅亡します。

 現在の敵国は、中国であるのかもしれませんが、変転極まりない国際社会では、いつまたロシアが敵対してくるのか、アメリカが機嫌を損ね対立してくるのか、危機は常に存在しています。こうした国際情勢を考慮せず、ひたすら日本だけを縛ろうとする氏の思考は、どこから生まれてくるのか不思議でなりません。

  紙面の半分を占める、記事ですから、私の批評もやっと半分です。続けて書くと、長くなりますし、訪問される方も退屈されるはずですから、一息入れたいと思います。

 氏によりますと、私のような改憲派は、少数しかおらず、護憲派が国民の多数を占めているという説明ですから、私は退屈しません。退屈するより、うんざりしています。叩いても、叩いても出てくる、ゲームセンターのモグラのように、このようなバカな教授が、日本には何人いるのかと呆れるからです。

 次回は岡田教授の高説を、うんざりしつつ、危機感を抱きながら、ご報告したいと思います。

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汚辱の近現代史 - 4 ( 藤岡氏の熱意と実行力 )

2018-06-05 23:10:08 | 徒然の記

 藤岡氏の著書を、読み終えました。この本は平成8年に徳間書店から単行本として出され、平成13年に文庫本として再販されたものでした。

 今日はまた、反省の日です。書評はやはり、読後にするのが正しいのだと、生きた勉強をしました。ことに氏のような人物の著作には、慎重な取り組みが要求されます。

  巻末のあとがきから、氏の叙述を紹介します。反省の意を込め、長くても面倒がらず、転記します。
 
 「本書刊行に前後して、新しい教科書をつくる会の結成の動きが起こった。」「初めは、歴史教育フォーラムという、連続のシンポジュームを積み重ね、ゆくゆくは、新たに歴史教科書をつくるところまで視野に入れた運動として、考えていくものであった。」
 
 「しかしそれならば、いっそのこと、新しい教科書をつくる会という会の、最終目的を明確にした名称の方が、多くの国民に、はっきり分かるのではないかという、岡崎久彦氏のアドバイスに従い、運動の方向が定められたのである。」
 
 「この意味で、新しい教科書をつくる会の、名付け親は岡崎氏だと言える。」
 
 「平成8年  ( 1996 ) 12月2日、西尾幹二氏ほか8人の呼びかけ人が、赤坂東急ホテルで、創立の記者会見を行った。」「その後各界から、二百人以上の多数の賛同者を獲得し、翌年に会は、正式に、任意団体として発足した。」「年会費6千円で、一般の会員を募集し、現在その数は一万人に達している。」
 
 「会の問題提起を受け止め、実際に教科書を作成する作業に携わったのは、大手出版社の扶桑社だった。」「同社は、平成12年 ( 2000年 ) 4月、文部省に中学校社会科の歴史と公民の、教科書の検定を申請した。」
 
  百千の言辞より、一つの実行と言います。あとがきを読み、単純な私は反省しました。真の保守ではないとしても、口先だけの自分に比すれば、氏は反日左翼の「敗戦思考」を糺す、具体的な行動をしています。
 
  自虐史観と氏が酷評する教科書の記述が、新しい教科書をつくる会の実践により、追放される一歩を踏み出しました。多数の賛同者を集め、正式な団体として活動するというのですから、その実行力と熱意には敬意を表さずにおれません。
 
  「その後、扶桑社の検定を不合格にするための策動が、外務省アジア局の、一部官僚を中心に進められていたことが、暴露された。」「また、朝日新聞を初めとするマスコミは、中国・韓国にご注進に及ぶというお定まりの行動をとり、外務省まで利用して検定不合格を狙った。」
 
 「しかし、これらのすべての策動が失敗し、二つの教科書は平成12年 ( 2000年 ) 4月に、ついに文部科学省の検定に合格した。その後も、韓国・中国から、修正要求なるものが出されたが、ことの真相は、むしろ、日本の国内勢力が外国を巻き込んで、各地の教育委員会が進めている、教科書の採択に、圧力をかけているということである。」
 
 「それを、新聞が書き立てることで、扶桑社の教科書に対する、不採択運動の展開を狙っているわけだ。」
 
 何も知らない私が、前回までのブログで批判をしてきたのですが、氏とその協力者たちの奮闘ぶりを知れば、反省させられます。むしろ批判を止め、応援しなくてなりません。
 
 「全国の採択状況は、予断を許さない。しかし歴史教科書改善の戦いは、今後も続けなければならない。」「まだ手がつけられていない、一番大きな問題は、中学校より、もっと深刻であるとさえ言える小学校の、歴史教科書の改善である。」
 
  自己主張が強く、自己顕示欲も強い氏ですが、そのエネルギーが、教科書問題の改善に注がれるのなら、反対する理由はありません。氏が戦っているのは、反日の外務省官僚や朝日新聞ですから、相手に不足はありません。頑張って欲しいものです。
 
 私は日教組を否定し嫌悪していますが、氏はその短慮を引き止めました。氏は私に、日教組が果たした「功」と「罪」を、語ります。
 
 功は、教育面での、平等社会を実現させたことだと言います。「落ちこぼれのない教育、誰にでも分かる教育」、という教育理念のもとに、教材の開発や、指導方法の研究が、日常の活動として行われ、世界に類のない、知的平等社会をもたらしたとのことです。
 
 罪は言うまでもなく、日本人の頭から国への責任感、さらには、国家という観念そのものを奪ったことです。つまり、国家否定の教育です、
 
 日教組の功罪につき、罪の意見には全面的に賛成し、功には、半信半疑という気持ちですが、それでも、私は教えられました。組織の全体を否定することよりも、功罪を分析し、罪だけを批判・否定する方が、賢明ではないのかという発見です。
 
 腐れマスコミの筆頭である、NHKと朝日新聞にしましても、「罪」ばかりがあるわけでなく、全国津々浦々にまで、様々な情報を提供し、国民生活を豊かにしている面もあります。
 
 NHKや朝日などのマスコミの反日報道は、その一部であり、一部の者がかかわっています。全部を否定せず、その一部とこそ戦えと、氏は述べていませんが、私はそのように解釈しました。
 
 ということで、私も氏の全てを否定せず、穏やかな気持ちでブログを終えることができます。
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