ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

この、忌まわしき政党 ( 国旗・国歌 憎悪党 )

2020-11-22 15:32:21 | 徒然の記

 昨日、あれこれと思案しつつ、ネットを検索していましたら、興味深い情報を見つけました。年代の記述がありませんので、何時の話なのか不明なのが、残念といえば残念です。日本共産党都道府県委員長会議における、不破委員長がおこなった報告で、おそらく「赤旗」の記事だろうと思います。

 記事を読みますと、国旗・国歌の問題に火をつけたのは、共産党であることが窺われます。書き出しの部分を、そのまま転記します。

 「みなさん、おはようございます。」

 「『日の丸・君が代』の問題、国旗・国歌の問題で、」「私たちが、この二月に政策を発表したことが、一つの大きなきっかけになって、」「この問題をめぐる情勢が、非常に大きく動きつつあります。」

 「まだ”序の口”ですが、この問題についての、いわば歴史上初めての、」「国民的な討論を起こしひろげる条件が、生まれつつある、」「といってもよいでしょう。」「そういう情勢をふまえて、この問題への攻勢的なとりくみを、」「いかにすすめるかについて、私たちが考えていることを報告し、」「とくに運動面での意思統一を、おこないたいと思います。」

 不破委員長の報告を読みますと、菱村氏に対し、日教組の団体が投げかけた質問が、ほとんど同じ内容であることが分かりました。当時の日教組が、共産党と一心同体で活動していたという事実が、浮かび上がってきます。記事の見出しと、不破氏の説明を、なるべくそのまま転記します。

 《 私たちが「日の丸・君が代」に反対する理由 》

 「私たちは以前から、『日の丸』を国旗とし『君が代』を国歌とすることには、」「反対だという立場を、あきらかにしてきました。」「また、少なからぬ国民が、『日の丸』『君が代』には同意しない態度をとっています。」

 「その理由を簡潔にいえば、この歌は、千年以上前の作者の意に反して、」「明治以後、天皇の統治をたたえる歌、という意味づけをあたえられてきたことです。」

 「『君が代は千代に八千代に』、つまり”天皇統治は永久であれ”という歌ですから、」「これは、いまの憲法の国民主権の原則とは、まったく両立することはできないわけです。」

 「『日の丸』の歴史は少しちがいますが、最大の問題は、」「これが、日本が中国をはじめ、アジア諸国を侵略したとき、」「侵略戦争の旗印として使われてきた旗だ、」「ということです。」

 「前の大戦で、侵略陣営の主力となったのは、日本・ドイツ・イタリアの三国でしたが、」「この戦争中に、侵略の旗印として使った旗を、」「いまもそのまま、国旗としているという国はありません。」「ドイツもイタリアも戦後、国旗を変えました。」

 赤旗は、世界の主要国に特派員を派遣し、独自の取材ルートを持っているらしく、国旗・国歌に関する情報も一覧表として表示されています。反日朝日新聞と同じく、赤旗も、自分に都合の良い捏造記事を掲載しています。ドイツとイタリアが、「国旗を変えた」というのは事実ですが、内容が異なります。私が調べた事実は、次のとおりです。

 1. ドイツの国旗

 ヒットラーは政権をとった後、ドイツの国旗を「鉤十字」、つまり多くの人が知っている「ハーケンクロイツ」に変えました。ですから、ヒトラー時代のドイツの国旗は、「鉤十字」でした。敗戦後、ドイツは再び元の国旗、つまり現在の国旗に戻しています。

 2. イタリアの国旗

 ムッソリーニも政権を取った時、ドイツを真似、独自の国旗を作りました。しかし正式の国旗として認められないまま、独自で使用し、敗戦とともに、この旗は消滅しています。

 つまり、不破氏の説明は、両国の国旗が敗戦後に変更されたと、いかにも本物の伝統ある国旗が、簡単に変更されたように語っていますが、事実を正確に伝えていません。何も知らない党員たちは、私のように事実を調べませんから、不破氏の捏造話をそのまま信じます。そして「日の丸を変えろ、ドイツやイタリアに見習え。」と、集団で叫びます。

 「ある憲法学者は、『君が代』も『日の丸』も、「 ”大日本帝国” の象徴だったのだから、大日本帝国がなくなったときに、」「その象徴であった旗も歌も、明確に廃止されてしかるべきだった」「、国の体制が変わったら、当然、国旗も国歌も、」「新しいものを生みだすべきものだ、と論じています。」「ここには、そういう深刻で重大な問題があるのです。」

 ある憲法学者は、と言われますと、それだけで読者は信じてしまいます。学者という肩書の恐ろしさが、ここにあります。私たち庶民の心には、「学者は立派な人だ」「学者は嘘をつかない」という、素朴な信頼感があります。しかしそれはもう、昔の話です。国を憎み、国を破壊しようとする反日・左翼学者が、戦後の日本ではのさばっています。

 彼らの拠点は、「東大社会科学研究所」と「日本学術会議」です。ここで育成された反日・左翼学者たちが、共産党の運動を支援し、理論の裏づけをします。不破氏のいう憲法学者も、その一人で、国民をたぶらかす「獅子身中の虫」です。だから、菅総理は「日本学術会議」の中から、「害虫」を駆除すべきです。反日マスコミに、膝を屈してはなりません。

 「日本学術会議」の話になりますと、どうしても力が入ります。本題は赤旗に掲載された、不破氏の報告記事です。「この忌まわしき政党」のブログは、愛する息子や孫たちのため、次回も続けます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校は変われるか - 10 ( バーネット事件 )

2020-11-21 21:41:17 | 徒然の記

 最後の問答になりました。本題に入る前に、バーネット事件について、説明しておかねばなりません。氏の文章から、転記します。この事件は昭和18年 ( 1943 )に、アメリカのウエストバージニア州で起こりました。

 1. 州の教育委員会が、次のような規則を作りました。

  「児童と生徒に、国旗に対する礼拝と忠誠を誓わせ、これに違反するものは処罰する。」

  「処分を受けた児童の親は、エホバの証人の信者で、教義上の理由から、国旗礼拝と宣誓を子供に拒否させていた。」

  「親は、処分を不当として裁判所へ訴えた。」

 2. 最高裁判所は、次のような判決を下しました。

  「国旗礼拝と宣誓を拒否した生徒の、在学権を剥奪する規則は、違憲である。」

 はるか昔の、戦前のアメリカでの事件を、日教組の活動家が何で知っているのか、不思議ですが、博学な菱村氏は、さすがに負けていません。しかし、政府も日教組の活動家も、互いに魂の抜けた馬鹿な問答をしていると、どうしても私にはそう見えます。

 《 7. 国旗の指導が、思想・信条の自由に反するとする国はないというが、アメリカのバーネット事件の最高裁判決では、学校での国旗の強制が、思想・信条の自由に反すると判示しているではないか。》

   ・ この事件と、学習指導要領の国旗・国歌問題は、基本的に異なっている。

   ・ バーネット事件では、国旗礼拝と誓いを強制し子供を退学にしている。

   ・ わが国では、教師に対し国旗・国歌の指導を求めているだけで、児童・生徒の行為を規制の対象としていない。

   ・ しかも、学習指導要領が教師に求めているのは、入学式等に国旗掲揚と、国歌斉唱を指導することまでであり、個人の信条の告白に関わる行為を強制していない。

   ・ 最高裁の判決は、児童・生徒の拒否権は認めているが、国旗礼拝行事への出席義務までを、否定しているわけではない。

 説明にもならない説明ですが、こうなりますと、真面目な議論でなく、意地の張り合いでしかありません。不毛な質問に対しては、不毛な答え・・なるほど、これが優秀な官僚たちの、愚人対応の処世術だったのかもしれません。

 NHKが報道する「国会中継」が、どうしてあのように空疎な、質疑応答になっているのか。これで息子たちも、理解できることでしょう。政府の答えは、全て役人諸氏が、懸命にこしらえたメモをもとにしています。自分の言葉らしく喋る大臣もいますが、無能な大臣は、メモを丸読みしますから、「国会中継」が、中身のないものになる訳です。

 「言語明瞭、意味不明」とは、竹下総理の答弁に対し、マスコミが皮肉った言葉です。竹下氏は、野党やマスコミから、どんな質問をされても嫌な顔をせず、言葉を濁さず、丁寧に答えていました。誰にでも、礼儀正しく対応をするというのが、信条でしたが、話の内容は空っぽで、相手を煙にまくものでした。

 菱村氏も、同じ対応をしているのなら、「腕」は不要です。いきり立つ相手を前にして、無意味な言葉を並べる「度胸」だけがあれば良いのです。そういうことなら、氏の対応は間違っていません。

 ただ間違っていたのは、この珍問答を本にして出したことです。買って読む国民は、日教組の反日活動家ばかりではありません。一般庶民もたくさんいるのですから、これでは国民を馬鹿にした著書という位置づけにしかなりません。日本の未来を考え、教育の正常化を本気で検討する指導者なら、明治維新と敗戦時の二つに取り組みます。

 比較検討すれば、GHQが残した「トロイの木馬」を、必ず三つ発見します。二度とアメリカに対峙する強国としないため、卑屈な反省をさせ、永遠の謝罪をする国民を作るべく、GHQが残した仕組みです。

 1. 「日本国憲法」・・「東京裁判史観」の文書化

   「日本だけが、間違った戦争をした。」「日本だけが悪者だった。」と信じさせる、改正不可能な憲法。

 2. 「反日・左翼学者」・・( 在米反日勢力が ) 常に支援と連携

   「東京裁判史観」により教育界を支配し、日本人の目覚めを妨害する協力者たち。

 3. 「反日・左翼マスコミ」・・( 在米反日勢力が ) 常に支援と連携

   「日本国憲法」遵守と、「反日・左翼学者」の学説・意見を率先して報道し、日本国民の目覚めを妨害する協力組織。

 現在の日本で、この三つを語らない政治家、学者、評論家、経済人は、「国を大切にする」人々ではありません。知っていても語る勇気がなく、口をつぐんでいる人間は、「国を愛するリーダー」ではありません。従って、GHQの統治を故意に避けた氏の著作は、読むべき価値のない駄作です。

 「生涯学習社会での教育」など、まだ有意義な課題が残っていますが、書評は本日で終わりにします。真面目で、優秀で、博学でも、日本人の魂を亡くした高官の著書を、これ以上息子たちに紹介しても、役に立つのかどうか、自信がなくなりました。

 「ねこ庭」を訪問され、つき合っていただいた方々には、お礼を申し上げます。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校は変われるか - 9 ( 政府高官にも、腕と度胸は必要 )

2020-11-21 12:38:24 | 徒然の記

 反日・左翼の愚問に対し、魂のない高官が、どのように答えているのか。前回の続きを、紹介します。

 《 5. 「日の丸」が国旗であるのは認めていいが、「君が代」の歌詞は、戦後民主主義に相応しくないから、国歌として認めるにはいかないのでは。》

   ・ 「君が代」の元歌は、「古今和歌集」の賀歌に由来するもので、詠み人知らずの歌として、古くから歌われていたものである。

   ・ この歌は、神社の祭礼歌、小唄、長唄、浄瑠璃、琵琶歌、盆踊歌として、1200余年広く民衆に歌い継がれていたものである。

   ・ 「君が代」の語が、天皇の御代を意味し、主権在民に相応しくないと考える人もいるようだが、憲法一条にある「象徴天皇」をいただく、日本の繁栄を願ったものであり、憲法の趣旨に沿っている。

 戦後民主主義が、日本の歴史や文化を否定するものであれば、その民主主義が間違っていると、愚問をはねつける気概が、氏にはなかったようです。聞く耳を持たない者にまともに答えるのが、そもそもの間違いです。はねつける勇気がないため、詰まらないこじつけの答えになります。「民衆に歌い継がれていた・・?」、こんな言葉を使うのですから、氏も左翼かぶれの一味ではないのでしょうか。

 日本人なら、「民衆」とは言わず、「庶民」と言います。「民衆」なんて、マルクス本の翻訳言葉ではありませんか。

 《 6. 「日の丸」「君が代」を国旗・国歌として認めてもいいけれど、だからと言って学校教育で強制するのは、良くないのではないか。》

   ・ 学校教育で国旗・国歌を指導することは、国語や算数と同じように、国民として必要な基本を教えることである。国語や算数も、強制することはいけないことなのか。

   ・ 国語や算数は人間の内面に関わらないと反論するが、ならば道徳教育をどうして認めているのか。

   ・ そもそも教育というものは、人間の内面価値の形成である。してみれば、国旗・国歌の指導が、思想・信条の自由に反するという言い分には、理由がないことが分かる。

 こんな答えをするくらいなら、私だったらこう言います。

 「君らが認めようが認めまいが、君が代と日の丸は日本の旗印だ。」「国民の多くが認めている。」「一握りの人間でしかない君らが、何の権利があって、認めないというのか。」「何か法律に、根拠があるのか。」

 彼らは憲法を盾にとり、人権だとか自由だとか騒ぐでしょうが、いくらでも騒がせておけばいいのです。「相手にしない勇気」と「放置する度胸」がないから、説得しようと慌てふためくのです。彼らは真面目に「議論」をしに来ているのでなく、「喧嘩」を目当てに押しかけているのですから、最初から対応を間違えています。

 「民衆」などという言葉を使う、高級役人には、庶民の常識がありません。「喧嘩には喧嘩のやり方がある。」・・と、これが庶民の常識です。騒ぎを起こし、そこいらの物を壊し、相手を萎縮させる目的しかない過激派左翼は、いわばヤクザ者と同じ人間の屑です。これに対応するには、相応の「腕」と「度胸」が入ります。

 1. がなりたてる馬鹿者たちの騒ぎを、腕組みして眺める「度胸」

 2. 襲いかかってくる馬鹿者の暴力を、振り払うだけの「腕」

 私は反日過激派でありませんから、今更菱村氏に、無理な要求をしているのではありません。今後のために、政府の高官であっても、「腕」と「度胸」が必要ですと助言しているだけです。

 あと一つ最後の問答が残っていますが、これには少し説明が入りますので、次回といたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校は変われるか - 8 (国際化の中の、国旗・国歌)

2020-11-20 17:41:18 | 徒然の記

 2つ目の質問と、答えを紹介します。 

 《 2. なぜ国旗・国歌の指導について、「望ましい」とあったものを「ものとする」としたのか。》

   ・ 「望ましい」では、国旗・国歌の指導をしなくてもいいと、誤解される恐れがあったからである。

   ・ 国際化が進む中で、時代を生きる国民を育成するためには、我が国の文化や伝統を大切にする態度を重視する必要がある。

  国際化が進まなければ、国旗・国歌を蔑ろにしても良いのかと、私は反論したくなります。他国がどうであれ、国旗と国歌を大切にするのは、国の基本です。官僚は明治以来の、「西欧に追いつけ、追い越せ」の思考から脱皮できず、国民に何かをさせようとするとき、他国の話をします。

 アメリカはどうだ、イギリスはどうだ、フランスは、ドイツはと・・・外国の例を並べ、「日本は遅れています。」と、叱咤激励します。しかしもう、そんな時代はとっくに過ぎました。それで今度は面倒になったのか、外国をひとまとめにして、「国際化のため」と来ました。

 《 3. 「日の丸」が国旗であり、「君が代が」国歌であるという法的根拠はないのではないか。》

   ・ 「日の丸」を国旗と定める法律はないが、関連する法規定は存在する。

   ・ 明治3年の太政官布告で、「日の丸を」船舶に掲げる国旗と規定している。

   ・ 自衛隊法や海上保安庁法で、船舶・航空機に国旗を付す旨の規定がある。これらの法律は、「日の丸」が国旗であるという前提で規定されている。

   ・ 「日の丸」を国旗であるとする考え方は、長い国の歴史の中で、国民の間に定着した、慣習法である。 ( 昭和63年、味村法制局長長官答弁 )

   ・ 「君が代」を国歌と定める法律はないが、明治以来、国歌であるとする認識は、広く国民の間に定着している。 ( 昭和63年、味村法制局長長官答弁 )

   ・ 国歌が慣習法により定まっている国は、イギリス、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フィンランドなどがある。

 日本が法治国家なら、国旗も国家も、法律で定められていなければならないと、正攻法で責め立てる日教組の活動家たちの、得意げな顔が浮かびます。もともと愛国心のない彼らは、何にでも屁理屈をつけ、自分たちを正当化します。こういう質問を発すること自体が、日教組が反日団体である証拠です。

 こうした政府の答弁に対し、もっともらしい反論を考え出し、支援するのが反日・左翼学者たちです。「東京大学社会科学研究所」や「日本学術会議」に巣食っています。ですから菅総理は、「獅子身中の虫」を育てる「日本学術会議」を、大掃除すればいいのです。

 《 4. 「日の丸」「君が代」は、かっての戦争のシンボルであり、忌まわしい記憶が刻まれていて、学校教育で教えるには相応しくないのではないか。》

   ・ どこの国の歴史にも、光もあれば影もある。 

   ・ 過去に不幸な戦争があったからといって、それは国旗や国歌の責任ではない。

   ・ 明治以来の歴史に限っても、戦争の時より平和の時の方が、遥かに長い。

   ・ 戦後の日本は、歴史の教訓として、二度と戦争は繰り返さないという反省と決意の上に、平和国家としての道を歩んできた。

   ・ 子供たちには、「日の丸」と「君が代」を、戦争のシンボルでなく、平和のシンボルとして教えることが重要である・

 「忌まわしい記憶が刻まれている」この言葉は、反日マスコミが宣伝し、左翼の活動家たちが必ず口にする、決まり文句です。ここにきて、私は怒りが抑えられなくなりました。「大東亜戦争」は、日本発の侵略戦争でなく、自衛戦争です。西欧列強がアジアを侵略し、武力で植民地化したため、江戸末期以来、ご先祖たちは日本の守りに腐心しました。「富国強兵」と「殖産興業」を旗印に掲げ、一丸となり国づくりに励みました。

 「大東亜戦争」とは、江戸末期から始まり、昭和20年の敗戦で終わった「100年戦争」であり、最初から最後まで「自衛戦争」でした。この戦争を侵略と決めつけ、「日本だけが悪者だった」としたのは、あの「東京裁判」です。氏の意見は、私が憎んでやまない「東京裁判史観」を土台にしています。

 「二度と戦争は繰り返さないという反省と決意」、「不幸な戦争」という決まり文句は、毎年8月に「敗戦の日」が来ると、反日マスコミが大合唱する言葉です。連合国軍が残した「トロイの木馬」の一つである「日本国憲法」を、氏は何の疑いも挟まず肯定しています。

 「21世紀に生きる子供たちには、国際化に十分対応できる力を、」「育成しなければならない。」「そのために大切なことは、自国の文化や伝統をしっかり身につけさせ、」「日本人としてのアイデンティティーを、確立させることであろう。」

 前回の「国際化」の章で、格調高く述べていましたが、「日本国憲法」がある限り、これは叶いません。「東京裁判史観」の呪縛から、国民を解放せずして、「日本人のアイデンティティー」は、確立できません。政治家であれ官僚であれ、学者であれ、今の時点で「東京裁判史観」を肯定する人物は、「獅子身中の虫」であり「駆除すべき害虫」です。「日本人の魂」を失った官僚として、私が氏を評価しない理由が、ここにあります。

 スペースがなくなりましたので、続きは次回と致します。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校は変われるか - 7 (国旗・国歌)

2020-11-20 12:32:16 | 徒然の記

 147ページから、「国旗・国歌の基本問題」という章が設けられています。問答形式で書かれ、氏の意見が集約されています。7つの質問が用意され、氏が答えるという形になっており、日教組との交渉時に、対立点となった問題を整理したのだろうと思います。

 1. 戦後、学校教育の中で国旗・国歌は、どのように取り扱われて来たか。

 2. なぜ国旗・国歌の指導について、「望ましい」とあったものを「ものとする」としたのか。

 3. 「日の丸」が国旗であり、「君が代が」国歌であるという法的根拠はないのではないか。

 4. 「日の丸」「君が代」は、かっての戦争のシンボルであり、忌まわしい記憶が刻まれていて、学校教育で教えるには相応しくないのではないか。

 5. 「日の丸」が国旗であるのは認めていいが、「君が代」の歌詞は、戦後民主主義に相応しくないから、国歌として認めるにはいかないのでは。

 6. 「日の丸」「君が代」を国旗・国歌として認めてもいいけれど、だからと言って学校教育で強制するのは、良くないのではないか。

 7. 国旗の指導が、思想・信条の自由に反するとする国はないというが、アメリカのバーネット事件の最高裁判決では、学校での国旗の強制が、思想・信条の自由に反すると判示しているではないか。

 これを読みますと、氏が日教組との論争でいかに苦労していたかが、伺われます。反日・左翼の教師たちが、大勢で押しかけ、居丈高に、挑発的に論争を挑んだ姿が浮かんできます。氏のご苦労に敬意を表し、なるべく省略せず転記したいと思いますが、果たしてこの説明で、過激な日教組の活動家たちが納得したのかについては、疑問が残ります。

 むしろ、政権党になった社会党の村山氏が、自衛隊を違憲でないと認め、「路線変更」した結果、日教組が矛を納めただけでないのかと、私はそう考えます。

 「自国の国旗・国歌を学校で教えることが、日本のように紛糾する国は、」「いったい、他にもあるのだろうか、」「と何時も、疑問に思う。」「しかしそれも、このところ状況が変わりつつある。」「何よりのことと歓迎したい。」

 この章の書き出し部分の、叙述です。日教組の「路線変更」を、いかに氏が重要視していたかが分かります。しかし氏の楽観的認識と異なり、令和の時代となった今でも、学校での国旗・国歌への対応は大して変わりません。激しい闘争は鳴りを潜めましたが、依然として学校では、教師たちの無言の抵抗と、サボタージュが続いています。

 したがって私は、今でも鷲野氏の意見の方が正しいと受け止めています。

 「彼らは、都合により豹変する。」「この後、またどのように豹変するか分からない。」「こんな烏合の集団に、日本の教育を任せることはできない。」

 「教育を任せられるのは、文部省でもない。」「日教組でもない。」「任せられるのは、われわれ日本人の自覚しかない。」「それが今、芽生えつつある。」「時代が動いている。」「日本人は今、生まれ変わる時である。」

 同じく日教組と戦ってきた両氏ですが、政府の高官として国の力を背景に対峙した菱村氏と、一介の教師として、職場で孤立して戦った鷲野氏とは、緊迫感が違っているのだと思います。

 菱村氏の回答によっても、日本の学校教育はほとんど変わっていないという認識を持ちつつ、氏の意見を紹介します。文章でなく、箇条書きにし、冗長な叙述を割愛しました。

 《 1. 戦後、学校教育の中で国旗・国歌は、どのように取り扱われて来たか。》

   ・ 昭和20年、連合国軍総司令部は、「日の丸」の掲揚を禁止した。

   ・ 昭和24年、マッカーサー書簡により国旗掲揚の禁止を解除した。

   ・ 昭和25年天野貞祐文部大臣が、学校で祝日などの行事をする際は、「国旗を掲揚し、国歌を斉唱することが望ましい」旨の談話を、全国に通達した。

   ・ 昭和33年の学習指導要領から、この趣旨が取り入れられ規定化された。社会科や音楽の授業でも指導するよう、定めた。

   ・ 昭和52年の学習指導要領から、「君が代」を「国歌・君が代」と改め、国歌であることを明確化した。 

   ・ 平成元年の学習指導要領から、「国旗を掲載するとともに、国歌を斉唱するものとする」と改め、学校における国旗・国歌の扱いを明確化した。

 学習指導要領の中に、政府の方針を文章として盛り込むことの重要性と、困難さを私は知りません。文部省の人間にとっては、私たちのような門外漢に分からない苦労と、苦心があるのでしょうが、それは伝わりません。学習指導要領に書き込めば、それで役目を果たしたという割り切りが、私にはいかにも役人らしい、責任逃避と見えてしまいます。

 法律でも省令でも、文書にして発信すれば、それで終わりではありません。実行し、浸透させるためには、関係する人間たちの熱意と使命感がなければ、「絵に描いた餅」です。「自主憲法の制定」と、結党以来自民党は党是に謳っていますが、議員諸氏に熱意と使命感がないため、75年経っても前に進んでいません。

 敗戦後は、自民党の議員も文科省の役人も、建前論で終わるという悪弊を共有しているのではないかと、私は怒りをこらえながら、次回を紹介していきます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校は変われるか - 6 (国際化への対応)

2020-11-19 16:57:14 | 徒然の記

 今回は、私の素朴な疑問と、氏考えるの国際化教育の間にある断層について、考えてみたいと思います。134ページに書かれている、氏の言葉を紹介します。

 「わが国は、明治以降、欧米先進諸国に追いつき、」「追い越すことを目指して、近代化を進めて来た。」「このため学校教育では、いわば、西欧文化を中心として体系化された、」「知識や技能を教えることを重視して来たことは、周知の通りである。」「日本の文化や伝統の教育を、軽視して来たわけではないが、」「私自身がそうであるように、日本の伝統的な芸術より、」「むしろ西欧の芸術に馴染んでいる日本人を、育てて来たことは否めない。」

 私より10才年長の、氏の受けた教育は、どんなものだったのでしょう。昭和9年生まれの氏が、7才で小学校一年生になった昭和16年代の日本は、どのような年だったのでしょう。寄り道をして、ネットで調べてみます。

  ・ 3/ 8  野村駐米大使と、ハル国務長官が日米交渉開始

  ・ 4/ 3 ロンメル将軍のドイツ軍が、北アフリカ戦線でイギリス軍を撃破  

  ・ 4/13 日ソ中立条約成立

  ・ 6/ 22  ドイツがソ連攻撃開始・独ソ戦始まる

  ・ 7/ 16   第二次近衛内閣総辞職 ( 松岡外相更迭 )

  ・ 7 25   米が在米対日資産を凍結 、英が在英日本資産を凍結、蘭印が在蘭印日本資産を凍結

  ・ 8/  1   米、石油の対日輸出全面禁止

  ・  10/ 18   東條内閣成立

  ・  12/  8   真珠湾攻撃で大東亜戦争 ( 太平洋戦争 ) 開戦 日本、対米英宣戦布告

  ・  12/  9   中華民国・蒋介石政権、日独伊に宣戦布告

 緊迫した時代です。4年後の昭和20年8月に、日本が敗戦となり、連合国軍の統治下に置かれます。この時氏は、小学校の5年生ですから、学校の授業が大きく変貌したことなど、記憶していると思います。

 ここで私が言いたいのは、文部官僚として、明治維新後の教育史を語るのなら、敗戦後の教育の大変革に言及しないという不自然さです。日本の教育は、藩校や寺子屋をメインとした江戸時代以後、明治維新と敗戦時に、二度大きく変化しています。過去との決別とは言え、明治維新は、同じ日本人による変革でしたが、敗戦による教育改革は、GHQという外国軍の手により、力づくで行われたものです。しかも憎しみと蔑視と、復讐の念を込め、戦勝国が変革しました。

 従って、氏が説明する明治以降の教育と、敗戦後の教育には連続性がありません。この重大な事実を語らず、次のように説明されても、私にはピンと来ません。

 「これからの学校では、国際化への対応のためにも、」「これまで以上に、日本人としての文化的素養が、」「要請されると思う。」「最も、自国の文化や伝統の教育が大切だと言っても、」「それが偏狭な、あるいは、排他的な教育であってはならない。」

 この部分だけを読むと、なるほどと思わされる意見です。そして氏は、まるで何事もなかったかのように、平成元年以降、学習指導要領で改定されたポイントを、3点説明します。

 1.  国語の尊重と古典の重視  2. 歴史上の人物と神話・伝承  3. 国旗・国家の扱いの明確化

 それぞれのポイントに関する説明を、要約し、転記いたします。国民の教育を語ろうとする、指導者としての熱意も、気概も無い、官僚の作文です。

 《 1.  国語の尊重と古典の重視 》

 (1) 母国語としての国語を大事にし、国語そのものを立派な国語とする態度を育成すること。

 (2) 古典を学習することにより、日本民族の伝統的なものの考え方や、生活について理解させる。

 《 2.  歴史上の人物と神話・伝承 》

 (1) 小学校の歴史教育では、人物学習が重視される。いたずらに政治経済史に偏ることなく、人物の動きや文化遺産を中心に理解させる。 

 (2) 古代の歴史を学ぶ際に、「神話・伝承」を調べて、国の形成に関する考え方などに、関心を持たせる。「古事記」などにある神話は、古代の人々のものの見方や、国の形成についての考え方を示すものとして、わが国の文化・伝統の学習にとって、欠かせないものである。 

 《 3.  国旗・国家の扱いの明確化 》

 (1) 昭和25年に天野文部大臣が、学校での国旗掲揚・国歌斉唱を提唱して以来、約半世紀にわたって、賛否が分かれ、議論が重ねられて来たが、文部省は一貫して、この指導を重視している。

 (2) 自国他国を問わず、国家・国旗に敬意を払うことは、国際的な常識である。我が国の文化や伝統を尊重し、日本人としてのアイデンティティーを持ち、同時に諸外国の歴史や文化について、理解を深めるためには、国旗・国家の指導は欠かせない。

 (3) 平成元年の学習指導要領の改定で、従来、学校では国旗掲揚・国歌斉唱が、「望ましい」となっていたのを、「するものとする」と改め、マスコミの話題になったことは、広く知られている。

 もしかすると氏は、「学習指導要領」に記載さえすれば、全国津々浦々の学校が、一斉に変わるとでも思っているのでしょうか。3項目とも、村山内閣が成立する直前まで、日教組が激しく反対していました。氏自身も、政府当局者として、日教組と対決して来た人間なのに、なぜこうも楽天的になれるのでしょう。

 東大も京大も似たような大学で、優れた学生が全国から集まりますが、頭脳明晰なのに、日本人の魂の無い者が時々混じっています。こういう人物が省庁の高い地位に就くと、国の政治が乱れます。氏もまた、そういう指導者の一人であると、理解いたしましたので、次回は、トップに立った愚かな官僚の意見をいくつか紹介します。

 興味をなくされた方は、スルーしてください。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校は変われるか - 5 (国際化への対応)

2020-11-18 19:09:10 | 徒然の記

  「確かに東京に住んでいると、周りに外国人が多くなったのを痛感する。」「街角でも、地下鉄でも、スーパーでも、」「英語はもちろん、中国語、韓国語、ベトナム語、アラビア語など、」「実に様々な言葉を、耳にする。」

 「おそらくこれは、東京だけに特有なことではないと思う。」「今や日本の、かなりの地域で見られる現象ではなかろうか。」

 書き出しの部分の叙述です。平成7、8年の頃、私にはまだ、外国人が増えたという実感はなかった気がします。この年がどんな時であったのか、ネットで調べてみました。

     ・内閣総理大臣 村山富市 ( 日本社会党 )

     ・内閣官房長官 五十嵐広三 ( 日本社会党 )、 野坂浩賢 ( 日本社会党 )

     ・衆議院議長  土井たか子 ( 日本社会党 )  

  ・参議院議長  原文兵衛(自由民主党)

 しかし村山氏は、平成7年の1月に突然辞任表明し、橋本内閣が発足しています。「10大ニュース」の項目を見ますと、次のような出来事がありました。

  • 1位・阪神大震災 
  • 2位・オウム真理教による地下鉄サリン事件
  • 3位・不良債権で住専やコスモ、木津、兵銀など金融機関の破綻相次ぐ
  • 4位・大和銀が巨額損失、米当局の追放措置で住友銀との合併浮上 
  • 5位・沖縄の少女暴行事件で基地問題紛糾
  • 6位・統一地方選で青島・ノック「無党派知事」誕生
  • 7位・景気低迷で就職難続く

 バブル経済崩壊後で、景気が低迷し、細川、羽田、村山と、短命内閣が続き、暗い世相だったことを、思い出しました。外国人が多くなった話より、地下鉄サリン事件を起こした、オーム教団本部の大捜索の方が、大きな事件でした。教団の責任者が次々と逮捕され、刺殺された幹部もいました。警察庁長官まで狙撃され、犯人は不明のままで、事件は迷宮入りです。

 騒々しく不穏な世であっても、教育の国際化を考えていたと言うのですから、氏は根っからの文部官僚なのでしょうか。

 「国際化の中心が、人の交流だとすれば、国際化への対応は、」「結局、外国の人々と、どううまくつき合って行くか、」「ということになる。」「気質や習慣や、文化などの異なる、」「多様なもの、異質なものを、どう違和感なしに受け入れて行くか、」「ということである。」

 当時はまだ、韓国が慰安婦問題で騒がず、靖国問題で中国が難癖をつけていなかったのか・・・そんなことはありません。東京裁判史観を信じる村山首相が、「日本だけが間違った戦争をしました」と、平身低頭した「村山談話」が出されています。世の風潮が、「日本だけが悪い戦争をした」という思考に流されていたとはいえ、隣国である韓国と中国に対し、多くの日本人は嫌悪感を抱いていたはずです。

 受け入れられない気質や思考を持つ、隣国の攻撃が現にあるというのに、氏はなぜ、このような一般論で終始できるのか・・疑問を覚えました。

 「多様なもの、異質なものを、どう違和感なしに受け入れて行くか、」「ということである。」

 こういう姿勢で、教育の国際化を進めて行くことが、本当に正しいのか・・。私は、そう思いません。国際社会には、対立する思想があり、相容れない人々がいるという事実を、同時に教え、それを克服する知恵を授けるのが、教育でないかと考えます。中国や韓国のように、政府が率先し反日教育をしている時、それでも「違和感なしに受け入れなさい」という意味は、何なのでしょう。

 「すみません、すみません、私たちが間違っていました」と、村山氏のように謝罪しなさいと、そう言っているのでしょうか。子供たちにそのような教育をすることが、「国際化」なのでしょうか。

 「これから、国際化はいよいよ進むであろう。」「21世紀に生きる子供たちには、国際化に十分対応できる力を、」「育成しなければならない。」「そのために大切なことは、自国の文化や伝統をしっかり身につけさせ、」「日本人としてのアイデンティティーを、確立させることであろう。」

 氏の頭の中には、韓国と中国は、国際社会に含まれていないのでしょうか。私たち日本人を憎み、敵視している政府と国民がすぐ隣にいて、盛んに脅したり、攻撃したりしているのに、なぜ何も言及しないのでしょう。現在133ページですが、空疎な意見としか受け取れなくなりました。

 氏はここで、昭和49年の中央教育審議会で出された「答申」を説明します。

 「わが国が国際社会の一員として、積極的にその義務と責任を果たすためには、」「国民一人一人が、日本及び諸外国の、」「文化・伝統について、深い理解を持ち、」「国際社会において、信頼と尊敬を受ける、」「能力と態度を身につけた日本人として、育成されることが、」「基本的な課題である。」

 豊富な知識を持ち、何でも理解し分析する頭脳を持ちながら、氏はなぜこのような建前論に終始し、日本の教育を語ろうとするのでしょう。

 「おそらく海外で活躍している、多くの日本人は、」「このことの必要性を、常に痛感しているのではないだろうか。」

 氏は教育審議会の答申を、高く評価します。こうなりますと、素朴な疑問が湧いて来ます。果たして氏と自分は、同じ日本人なのだろうか・・。

 GHQが残した「憲法」によって、日本は戦前の全てを否定されました。歴史も文化も、伝統も、戦前のものは全て封建的で、旧弊で、国民を縛るだけの間違ったものばかりだったと、憲法が宣言しています。そんな憲法で育てられた戦後の若者たちに向かい、一体氏は、本気で語っているのでしょうか。

 この部分は単純ですが、とても大事なことであると、私は信じます。スペースがなくなりましたので、疑問を共有する方がおられたら、次回の「ねこ庭」へ足をお運びください。そして、私の思い違いに気づかれたら、どうかご指導ください。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校は変われるか - 4 (児童の権利条約)

2020-11-17 17:25:42 | 徒然の記

 11月4日以来、日本の学校教育に関する本を読んでいます。以下の通り12冊ありましたが、やっと4冊を読み終えたところです。( 青字で表示した本です。 )

  1. 『教育への告発』          2. 『いま教育を問う』

  3. 『いじめと不登校』         4. 『昭和教育史の証言』

  5. 『教師』              6. 『いじめ・不登校』

  7. 『ジャカルタ日本人学校の日々』    8. 『教なき国民は滅ぶ』

  9. 『教育問答』           10. 『学校は変われるか』

  11. 『日本の教師に伝えたいこと』   12. 『学校崩壊』

 あと7冊残っています。然るに新聞では、日々大きな事件が立て続けに報道されています。どれも私たちの暮らしに直結する、重要な問題です。思いつくままに、あげてみます。

 「武漢コロナの世界各地での再流行 ( 景気の先行き、オリンピック ?  )」、「米国大統領選挙の不正投票疑惑 ( 決まらない大統領 )」、「千葉県知事選の迷走  ( 自民党の混迷 )」、「秋篠宮様立皇嗣の礼 ( 真子様の婚約問題 )」、「皇位継承者に関する国会審議 ( 旧宮家復活・女性宮家 ) 」、「憲法に関する国会審議 ( 国会任せの菅総理 )」などなど、目の離せない事案が並びます。

 どれ一つとっても、歴史に残る大きな問題ですから、「温故知新」の読書を続けていて良いのかと、立ち止まりたくなります。しかし私は、これまでの経験から、学んでいます。

 「過去をしっかり見ると、未来も見えてくる。」

 良書も悪書も、私の知らない事実を沢山教えてくれ、それを通して現在を眺めると、マスコミが伝えないものがあることに気づきました。学校で教えられたことや、有名な学者の意見にも、間違いがあることを発見しました。賢くなったのかどうか、それは分かりませんが、報道や教育や書物が、世論を誘導したり、操作したりしていることを知りました。

 だから迷いを捨て、本日も、菱村氏の著書に戻り、ブログを続けると決めました。

 平成6、7年の頃、「児童の権利条約」についても、日教組は政府と対立していました。仕事に忙しかった私は、なぜ揉めているのか、分からないまま、今日まで来ましたが、氏の本を読み、やっと理解できましたので、愚かな日教組の闘争記録として、ブログに残したくなりました。

 「平成元年 ( 1989 ) 年に、国連総会において、『児童の権利に関する条約』が満場一致で採択された。」「翌年から、各国の署名が開始され、」「日本は平成6年に、批准を終えた。」

 「条約の前文の趣旨から見て、条約の狙いが、飢え、貧困、疾病、戦争など、」「極めて困難な状況の中で生活している児童に、生きる権利や、」「健やかに育つ権利を、保障しようとするものであり、」「主として発展途上国における、児童の権利の保障に主眼を置いている、」「ということは、言えるであろう。」

 この条約に対して、学校はどのように対応すべきかについて、日本では「子供派」といわれる勢力が生まれたというのが、氏の説明です。簡単に言えば、子供派というのは、日教組内の反日・左翼勢力のことです。

 「子供派の見解によれば、この条約において " 子供 " は、」「権利を有し、行使する主体として位置づけられている、と見る。」「だから権利条約の批准により、今後学校は、」「子供の自決権を尊重しなければならない、と説く。」

 「例えば、髪型や服装への規制が難しくなり、日の丸や君が代の指導もできなくなる。」「指導要録や内申書の開示を、拒否できなくなる、」「などといった見解が、唱えられる。」「中には、教育課程の編成や、教科書の選択なども、」「子供の意見を聞かなくてならないと言った、極端な見解まで出てきている。」

 反日・左翼勢力が国連の決定を利用し、日本の政治を揺さぶり出したのは、この時からだったのでしょうか。「慰安婦問題」、「軍艦島の世界遺産登録」、「アイヌ民族問題」など、韓国が大騒ぎし、中国が支援し、アメリカが黙認するというパターンで、日本が攻撃されるようになっています。国内では、国を愛する私たちのような人間を嘲笑うように、反日・左翼学者や政治家がこれに協力し、マスコミも支援します。

 だから私は、これに関する氏の反論は、甘過ぎる気が致します。

 「このようにわが国では、条約がもっぱら学校との関係で議論されているが、」「どうやらこれは、日本に特有の現象のようだ。」「欧米では、学校教育の問題より、」「むしろ親子の関係のあり方の方が、問題になっている。」「条約は内容的に、国と子供の関係、子供の養育と親の責任などについて、」「規定している。」「日本のように、学校当局と生徒との関係において捉えるのは、」「特殊な見方ということに、ならないか。」

 日教組が政府との対決をやめ、協調路線に転換したとは言え、すぐさま左翼勢力に歩み寄って良いものか、疑問でなりません。前川喜平事務次官の生まれる土壌が、作られ始めているような気がして来ました。

 「児童といえども、自分の意見を表明できる段階になれば、」「意見を述べることが認められるべきで、」「それを学校が、抑圧するようなことはあってはならない。」「しかし今後すべての学校運営が、児童の意見を聞いて決定されなければならない、」「と言うのは、極端に過ぎよう。」

 「おそらくどこの国でも、学校教育では、教育目標を達成するため、」「児童・生徒に対し、一定の制約を課すことは、」「必要だと考えていると、思う。」「条約の批准により、こうしたこととができなくなると、」「そんなことを考えている国があるとは、私は寡聞にして聞いたことがない。」

 物わかりの良い役人が、結局は反日・左翼勢力を勢いづかせ、今日の有様を招いた一因です。これに関する限り、鷲野氏の率直な怒りに賛同します。

 「彼らは、都合により豹変する。」「この後、またどのように豹変するか分からない。」「こんな烏合の集団に、日本の教育を任せることはできない。」

 「教育を任せられるのは、文部省でもない。」「日教組でもない。」「任せられるのは、われわれ日本人の自覚しかない。」「それが今、芽生えつつある。」「時代が動いている。」「日本人は今、生まれ変わる時である。」

 反日・左翼勢力に甘い氏が、さらに危機感のない話をしていますので、次回はこれについて述べます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校は変われるか - 3 ( 「偽善者・日教組」 )

2020-11-15 17:32:42 | 徒然の記

 読後の図書は、毎月一回の、小学校の有価物回収ゴミの日に、本、新聞、段ボールと区別して、所定の場所に出します。鷲野氏の著書も、回収日が来たら無くなるところでしたが、幸いまだありました。

 24ページから、36ページにかけて、「偽善者・日教組」という章があります。その一部を転記し、菱村氏の意見と比較すると、当時の様子がさらによく分かります。

 「日教組は、平成7年9月の定期大会から、」「文部省との、協調路線を取ったという。」「本当か。考えられないことである。」「社会党が社民党に名を変え、自民党に接近するや否や、」「恥も外聞も見事に捨て、自民党の袖にしがみついている。」「その姿は以前の蛮行より、もっとみっともない醜態である。」「政治集団の末路を、露呈した。」

 激しく批判していますが、おそらくこれが、当時の受け止め方ではなかったのかと、思います。鷲野氏の批判は、感情のままになされていますが、村山内閣による路線変更は、こういうところに影響を及ぼしていたのです。

 「貴方たちは今、自民党と手を取り合っているようですが、」「私どもは決して、今までの日教組の行動を、」「忘れたわけではありません。」「それはまず貴方たちが、教育界にエゴを持ち込んだことである。」 

 「自分たちの私利私欲を優先し、言い分が通らなければ、」「手段を選ばず、ストに訴えるという、」「蛮行を繰り返した。」「その卑劣な態度を、国民は知っている。」

 「そして今、それについて誰一人責任を取ろうとしない。」「良識ある国民が、苦々しくそれを見ていることを、」「忘れるべきではない。」「結局、最初から信念のない人たちだったかと、」「あきれ返る。」

 平成7年頃の私は、まだ朝日新聞の定期購読者で、政治に無関心なサラリーマンでしたから、氏のように大きな怒りはありません。政府が強権を持っているのだから、労働組合も日教組も、共産党同様必要悪なのだろうと、その程度の認識でした。定年退職後、「温故知新の読書」で過去の自分から脱しましたが、以前を考えると、「お花畑の住民」たちを、笑えない己がいます。

 「今子供たちが、わがままを言って困っているが、」「よく考えなさい。」「そのわがままの原型を作ったのは、貴方たちだ。」「教室に行っても、ストで先生がいない。」「子供を捨てたも、同然と言える。」「そうされた子が親になり、その親たちの子供が、今教室にいる。」

 日教組の組合員が減り、組合が弱くなった理由を、氏が二つあげています。

 1. ソ連が崩壊したこと

  社会主義国家、共産主義国家が無力化したため、イデオロギー闘争の名目がなくなった。

 2. 日本が経済的に豊かになったこと

  賃金闘争に対する世間の目が、冷ややかになった。

 だから彼らは、目標がなくなり、宙に浮いた状態になっていると氏は分析し、組合員だった教師が、今はどのようなことを言っているのかを、教えてくれます。

 「国歌、国旗にしても、そう目くじらを立てて反対することもない。」「道徳教育も、やれと言われれば、仕方がないだろう。」

 考えられない豹変ぶりに、氏は彼らを卑怯者と呼び、許せない偽善と批判します。生涯を日教組と戦ってきた氏は、職場で孤立し、攻撃され、無視されてきたので、おいそれとは容認できない「路線変更」でした。

 「彼らは、都合により豹変する。」「この後、またどのように豹変するか分からない。」「こんな烏合の集団に、日本の教育を任せることはできない。」

 だから、結びの言葉も、菱村氏とは違ったトーンになります。

 「教育を任せられるのは、文部省でもない。」「日教組でもない。」「任せられるのは、われわれ日本人の自覚しかない。」「それが今、芽生えつつある。」「時代が動いている。」「日本人は今、生まれ変わる時である。」

 ここで再度、菱村氏の結びの言葉を転記し、読み比べますと、どちらの人物が、正しく現実を捉えているかが分かります。

 「日教組の路線転換により、教育の視点から、」「本当に学習指導要領が、議論されるようになれば、」「日本の教育のためには、慶賀すべきことである。」

 鷲野氏は、日教組への怒りの大きさの反動で、日本人の自覚が進み、多くの人が目覚めるのだと、希望的意見に傾いています。菱村氏はむしろ冷ややかで、「やれるものなら、やれば良い。」「そうなれば、結構なことだ。」と、突き放して見ています。

 私自身は、どちらの意見にも一面の事実があり、双方の見方が必要だと思っています。本の出版後24年経ちますが、反日・左翼野党は健在ですし、反日・左翼学者もマスコミも、大きな顔をしています。これを見れば、楽観視しない菱村氏の意見が、正しく見えます。しかし、それでは現状肯定のままになりますから、鷲野氏のような、楽観的希望が必要になります。

 GHQが残した「トロイの木馬」を、そのままにしていてはなりません。鷲野氏のように、「日本人の自覚」を信じ、動いている時代を信じることは大切です。息子たちと、「ねこ庭」を訪問された方々に、果たして参考になったのかどうか、不安もありますが、今回のテーマはここで終わります。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校は変われるか - 2 ( 日教組の「路線転換」 )

2020-11-15 07:16:17 | 徒然の記

 今回は、平成7年の日教組の「路線転換」に関する、菱山氏と鷲野氏の意見を紹介します。まず菱山氏の、受け止め方です。

 「戦後教育において、行政当局と日教組が相互不審に陥って、」「激しく対立抗争を続けてきたことは、教育界にとっては、」「不幸だったと思っている。」「だから日教組が路線を転換し、行政当局と手を携え、」「教育の課題に対処することは、大いに歓迎したいのである。」

 「しかしそうは言っても、正直なところ、私の気持ちの中には、」「いささか、複雑な思いがあることも事実である。」「文部省で、いつも日教組の、イデオロギー闘争の矢面にさらされた身にとっては、」「これまでの闘争はなんだったのかと、」「反問したい気持ちが、拭えないのだ。」

 当時の日教組が、文部省と闘争の対象としていた事項を、次のように列挙します。

 1. 学習指導要領  2. 職員会議  3. 研修制度

 4. 主任制度    5. 国旗・国歌

 私の家は、朝日新聞でしたから、そう言われてみますと、これらに関する記事が微かな記憶としてあります。中学か高校生だったかと思いますが、政府が力ずくで先生たちを締め上げていると、そんな印象でした。しかし今、政府の当事者だった氏の説明を読みますと、逆の話になります。

 「占領政策の終了とともに、道徳教育が、大きな課題の一つとして取り上げられた。」「道徳の時間が作られたのは、昭和33年からである。」「その直後に、私は文部省に入省したので、記憶は鮮明である。」

 「道徳の時間特設について、日教組は全国的に、激しい反対闘争を展開した。」「今では想像もつかないことだが、日教組は、道徳教育の講習会場に、」「受講者を入れないようにするため、動員をかけてピケを張り、」「会場を宣伝カーが取り巻いて、スピーカーのボリュームを上げ、」「官制道徳教育ハンターイと叫んで、妨害する光景も見られた。」

 「こうした日教組の、道徳教育に反対する闘争を、」「進歩的学者や文化人が、熱心に支援した。」「一部の学者や文化人は、『修身教育の復活』、『教育勅語の復活』だと、」「口を極めて非難した。」「中には、反対することこそが、良心的な教師の証しであるかのように、」「説いた学者もいた。」

 氏の説明を読んでいますと、当時も今も、反日・左翼学者や文化人と呼ばれる人々が、何も変わっていないことが、分かります。現在は、「道徳教育」でなく、「自主憲法制定 ( 憲法改正 ) 」が、彼らの敵になっています。

 こういう学者は「東大社会科学研究所」や、「日本学術会議」の中で育てられるのですから、菅総理が任命拒否して当然です。しかしその理由が、公言できないところを見ますと、まだ日本の政治は、戦後を引きずっています。というより、悪化しているのではないでしょうか。

 昭和33年当時は、菱村氏のような官僚がいましたが、現在はつい先日まで、文科省のトップに、反日・左翼の前川喜平氏がいました。過激派というだけでなく、馬鹿な学生というべきシールズのデモに、現職のまま参加したというのですから、文科省の劣化には驚くしかありません。

 「日教組の反対運動は、教育課程の国家基準である、」「学習指導要領に対し、全面的な反対運動を展開した。」「これには、進歩的学者による理論武装の支援が、」「大きく寄与している。」「中でも、東大の宗像誠也教授の、『内的外的峻別論』は、」「一時、教育界で随分はやった。」

 「氏の理論は、教育を外的事項 ( 校舎や設備 ) と、」「内的事項 ( 教育内容や方法 ) に分け、」「教育行政の任務は、外的事項の整備に限られるべきで、」「内的事項には、及ばないというものである。」

 「その論拠として、教育基本法10条第2項の規定をあげ、」「学習指導要領は、法令違反だと主張した。」「宗像説は、昭和30年代、40年代を通じ、」「日教組の反対運動と、教育裁判を支える理論として、」「広く援用された。」

 私は、宗像教授の名前を初めて知りましたが、こういう反日教授は今もいて、学界で幅を利かせ、マスコミでもてはやされています。変わらない、日本です。

 「ともあれ宗像説は、法律論としては極めて特殊な解釈論であった。」「事実宗像説は、昭和51年の最高裁判決で否定された。」「このように法律論争は決着したが、その後も日教組内では、」「宗像説を発展させた教育論が、強調され、」「現場ではそれなりに影響力を持った。」

 反日・左翼学者の理論は、いわば「武漢コロナ」にも似て、撲滅しようとしても、しつこく生き残り、社会に害をなします。権威に弱い人間が簡単に騙され、それをまた悪用する活動家と、マスコミがいるからです。

 「学習指導要領の法律論争は、教育の実践には、」「おそらく、何の意味もなかったと思う。」「むしろ、害のみ多かったのではないか。」「すぐれて教育的な問題を、法律用語や法の理論で議論せざるを得なかったことは、」「教育には、不幸なことだった。」

 感情的にならず、抑制した言葉で叙述する氏を見ていますと、口堅く忍耐強い、官僚の見本でないかと、思わされます。私なら、とてもこのように、穏やかな文章は書けません。

 「日教組の路線転換により、教育の視点から、」「本当に学習指導要領が、議論されるようになれば、」「日本の教育のためには、慶賀すべきことである。」

 次回は、鷲山氏の意見を紹介いたします。生涯を日教組と戦った教師ですから、菱山氏のように、冷静ではありません。スペースの都合で、一旦ここで一区切りといたします。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする