田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

日名子の秘密/さすらいの塾講師 麻屋与志夫

2010-10-26 15:27:19 | Weblog
30

純の顔に精気がもどった。
リアルな世界に――記憶の表層に浮かびあがってきた。
「ここは? 」
どこにいるのか、わからないらしい。認知できないでいる。
そんな純に勝則が声をかけた。

「純、心配かけたな」

呼びかけられるまで、勝則がそこにいることすら純は視認していなかった。
「それにしても純ほどの若者が憑依されるとは……」
純がとんでもないことを言いだす。
勝則の話に応じていない話題だ。
まだこの場の雰囲気はわかっていないみたいだ。

「日名子さんは……偽装誘拐かもしれません。次元のスリットからもどったときに、彼女の意識がいっきにわたしの頭にながれこんできました。日名子さんは、家に帰るのをいやがっていました」

日名子はどろどろとしていた。
ねばねばしていた。
そうした陰湿な意識にとらわれていた。
そこから必死で逃げだそうとしていた。
「だれか、わたしを連れだして。助けて。わたしと逃げて」
そんなこころの訴えが伝わってきた。

「純の感覚はたしかなものだったろう」
日名子が逃げようとしているのは、確かだろう。
勝則のほうで純の話に同調する。

日名子の恐怖が時穴を開通させた。
日名子は逃げようとしていた。なにから……?
わからない。純は時穴に彼女と墜ちた。
あのまま堕ちつづけていたら。

下層からとてつもなく邪悪なものが接触してきた。
その気配を感じただけで、体ががくがくふるえてきた。
抱えている日名子を手放しそうになった。
気配は迫ってきた。追ってきた。
だが下から押し上げる力でもあった。
その恐怖の気配が――。下のほうで、獣の咆哮がしていた。
純は気がつくとあの部屋にもどっていた。
日名子を片腕で抱えて現実の部屋にもどっていた。
そして翔子がいた。

『アケロン川にさしかかっていたようだった。ぼくはダンテの描く辺獄をどこまでも堕ちていくような感覚にとらわれていた。だれかがぼくを押し上げてくれた。それがこのひとだった。三途の川の渡し守、カロンかと思ったが、ちがっていた』

「ちがうんだ。ぼくはこのヒトに助けられた」
それだけ言うのが、やっとだった。

純はこんどこそ、うっすらと目をひらいたままでいる。
周囲からそそがれる視線を、その顔を個別に視認できた。
意識がしっかりしてきた。
光がまぶしい。光が網膜を刺激した。
さらに、意識が鮮明なものとなった。

「先生!……先生」
「憑依されていた。発見するのが遅れていたら大惨事になるところだった。GPS機能とはありがたいものだ」
翔子は純がすぐに見つかった理由がわかった。
父の車にはGPSの追跡装置が装備されていたのだ。
翔子は純にしがみついた。
「よかった。純こんどこそリアル世界にようこそ」
翔子はまたふるえていた。
歓喜からくるふるえだった。
純の意識が冴えてきた。
なんども、なんどもくりかえしてあの部屋でのことを考えた。
多層的に時穴から、あの部屋にもどったときのことを想っていた。
記憶を確かめていたので、復元できた。
時穴からもどったときの、その記憶は正確なモノとなった。

「日名子さんが危ない」   


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