田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

麹の黄色い花

2007-07-12 23:50:33 | Weblog
7月12日 木曜日 曇り
横穴壕(ショートショート作品№1)

 鍵屋という屋号の麹屋さん所有の山だった。ぼくらは『かぎやま』と呼んでいた。
 いまどき、麹屋などといっても知らないひとがほとんどだろう。え、麹そのものをしらない。そっか。こういう時代までぼくは生きてこられたんだな。だってね、これから話そうとしているのは、62年もまえのことなんだ。まず、麹。糀ともかく。麹は米、麦、豆を蒸し、麹かびを繁殖させたもの。インターネットで調べれば細かく書いてあるよ。現物は大手のスーパーなら売っていると思う。でも、それは白いもので、麹花の咲いた淡黄色になったものはみたことがないんじゃないかな。母が買ってきて、ドブロクや味噌をその麹を使って自家製していたんだ。すぐに使わないで古くなると黄色いカビが繁殖してしまった。それを麹花と言っていたようだ。まあいっか。鍵山のことにもどろう。                       
「ピカドンが落ちた。ピカっと光ってドンと音がして。広島が全滅なんだってよ」 大人たちの密やかな話がきこえてくる。ぼくらは不安におののいていた。そして、鍵山の山腹に穿たれた横穴壕に集合した。奥のほうまでいくと、昼でも暗かった。ぼくらはそこを秘密基地にしていた。
 建具屋の一郎ちゃん。洗濯屋のタダシちゃん。とび職の和やん。それに集団疎開の太田君たちもいた。ぼくの家はロープ屋。麻縄を作っていた。ぼくらは家からいろいろなものをもちよった。一郎ちゃんは建具に使う板をもってきた。基地の入り口が人目にふれないように板で扉をつくった。その板に泥をなすりつけた。ほかのものがきても横穴の土壁にしか見えないように工夫したのだ。ぼくらはいつも、その壕の最深部に作った基地で遊ぶのだった。ぼくはその日まだ完成していないドブロクを一升瓶につめて持参した。
 食糧難の時代だった。食べ物がない。飢えの悲しさ、苦しさ、とりわけ飢え死にするかもしれないという不安。食べられるものだったらなんでも口にした。絵の具まで食べた。白い絵の具が一番おしかった。学校帰りに麦の穂を摘んで食べて農家の人に追われた。ぼくの家はありがたいことに、風船爆弾を吊るす細引きを軍に納めていたので、特別配給品があった。飢えるようなことはなかったが、友だちとおなじようなことをしていた。そうでもしないと、仲間はずれにされてしまう。
「正ちゃん、このドブロクおいしいよ。初めてこんなおいしいもの飲んだよ」
「とうきょうにも無かったんけ?  そんなにうまいんならぼくの分も飲みなよ」
 ぼくは大田君にぼくの茶碗のドブロクを空けてやった。ぼくはドブロクがお酒で、飲めば酔うということを知っていた。座繰り式のロープ職人は、月に二度くらいはドブロクを飲ませないと働かなくなる。酔うと、ぼくには意味のわからない、猥褻な歌を大声で喚き散らした。
ぼくらは酒盛りをした。ぼくは、麹を団子のようにまるめて持ってきていた。ただ疎開の子に麹を見せたかっただけだ。でも、それを口にしたものがいた。太田君も「けっこううまいね」といって食べてしまった。ぼくは食べるふりをしただけだった。ぼくにはおいしくはなかった。むあっとした、カビ臭いにおいが口の中に広がって飲み込むことができなかった。そっと手に吐き出した。後ろ手に背後の土の上に置いた。
「見よ東海の空明けて」
 一郎ちゃんが歌いだした。みんな酔ってしまった。ぼくらの歌声は横穴の中にひびき薄闇にこだました。それはまるでだれか他にいるように反響した。
「父よあなたは強かった」
 ぼくらは、軍歌を斉唱しながら壕から出た。規律正しく二列横隊の行列をつくり歩き出した。ともかく、はじめてお酒を飲んだので酔っていた。酔っているということすら分かっていなかった。楽しかった。楽しくて、舞い上がるような気分で住宅街に練りこんだ。
 一郎ちゃんの家の前に大勢の人だかりがしていた。
「南京芝居だ。建具やの美代ちゃんが、南京芝居しちまった」 
 美代ちゃんというのは、一郎ちゃんのお母さんだ。
 ぼくは大人の脇から開け放たれた一間だけの家をのぞきこんだ。鴨居から綱が吊るされていた。綱を首に巻いて人がぶら下がっていた。風もないのにかすかに揺れていた。そのロープはぼくが一郎ちゃんにあげたものだった。父ちゃんが問屋に建具届けに行く時、大八車で使う綱がふるくなっちまったんだ。そう言われてあげたばかりの真新しいロープだった。路地のむこうから、がらがらと車の轍の音が聞こえできた。大八車の梶棒のところに、古びたロープが束ねて下げられていた。ああまだ倹約して古いのを使っているのだ。およそその場の雰囲気とは場違いなことをぼくは考えていた。
 この騒ぎがあったので、ほくらの酔っ払い行進は、誰にも見とがめられなかった。気づかれなかった。
 その夜は、ピカドン騒ぎはどこかにふっとんでしまった。確かに操り人形のようだった。南京芝居のようだった。ロープからぶらさがって揺れていた。
 いたずらされたんだべゃ。だれがやっただ。学校に駐屯している兵隊だんべか。若さもてあましてっからな。
 馬鹿、兵隊さんのことにしたら、ころされっぞ。そんなこと口に出したらだめだべな。めったなこと、言っちゃいけねえぞ。
 ぼくの周囲の大人たちの会話は、いつになく難解なものになっていた。なにを話しているのか、いたずらなんて意味はとくに判りにくかった。そして、悲しみはそれだけではすまなかった。一郎ちゃんが家出したのだ。こんども、大人たちはひそひそと噂していた。ぼくの耳に入ってくるのは、一郎ちゃんが母親にいたずらした犯人の顔を見ているのでないか。ということだった。そんなことはない。だってあんなにたのしそうにぼくらと基地で遊んでいたのだ。不安があれば態度に出ていたはずだ。
 三日たっても一郎ちゃんは行方不明のままだった。ぼくは知らなかったのだが、この間にピカドンを避けるにはもっと深い横穴壕を掘らなければならない、ということが町内会で決められた。

 ぼくは、お巡りさんに呼びに来られた。サーベルのガチャガチャいう音を恐れながらついていくと、ぼくらの秘密基地に導かれた。そこには正ちゃんも和ちゃんも疎開児童もすで集まっていた。
もちろん、町内会の大人たちも、父もいた。
 ぼくは、おずおずと基地の中に入った。異臭が鼻をついた。
 淡黄色のカビが人型に盛り上がっていた。
 鱗のようなカビで覆われた人型。
「なんだべ。どうしてこんなになにったんだ」
 口ぐちに大人たちは囁き合っていた。
 ぼくには、それがぼくらが食べ残した麹が増殖したものだと解った。
 そして黄色の鱗を剥がせば、一郎ちゃんがいることも……。
 だってここは、ぼくらだけの秘密基地なのだから。




緑の生活

2007-07-11 22:16:24 | Weblog
7月11日 水曜日 曇り
●PCを笈のごとく背負って街にでる。今日から元気にがんばらなくっちゃ。
 K川は上流で雨が降ったらしく増水していた。PCを背負って街を歩ける。幸せだなと思う。狭い田舎町だから情報は一日のうちに街をかけめぐる。同級生や知り合いの老人がこのところ立て続けに鬼籍に入っている。悲しい。わたし自身は、パアフェクトな健康体とはいえないが、まずはこうして町を歩き回ることができるのだから、万歳といってもいいだろう。万歳などと表現するところが昭和一桁生まれだなぁと思う。
●田舎町ではなにごとも噂の流れ以外はゆったりとしている。そこが、田舎住まいのいいところなのだ。町の人は、ほとんど顔見知りだ。うちのカミサンなんかそそっかしいから数年ぶりで配達をたのんだ肉屋さんに名前を言わなかった。それでも、注文の品はぶじ届くのである。ブティックで買い物をする。一銭も払わず品物を持ち帰ってくる。まあ、信用があるのはうれしいことだ。後で代金をとどけるのを忘れる、そこまで忘れっぽいことはないだろう。のんびりゆったりと時が流れていく。そんな町がにわかに騒然となったのは選挙があるからだ。
●緑が濃くなっている。ついこないだまで、雪をかぶっていた日光の山々も青い。近くの山は緑だ。むせかえるような緑の中で暮らしている。庭も、町も周囲の山々も緑の洪水だ。
●自然と共に生きていけるのも田舎住まいのよさだ。


不吉な雨

2007-07-11 01:14:53 | Weblog
7月10日 月曜日曇り夕刻より雨
●夜になって雨となった。バラをはじめとする草花が、雨にうたれてゲンナリとしている。廃園の雰囲気が生じた。あれほど咲き乱れて濃艶な香しい匂いをただよわせていたのに。ふと、不吉な境遇が脳裏をよぎる。もしカミサンに先立たれたらどうなるのだろうか?
 わたしたちくらいの年齢の夫婦になるとときおりお互いにそんな不安、つれあいと死別する不安にかられる。
●死はかならずだれのもとにも訪れる。それを拒むすべはない。どんなに愛し合っていても、死がどうじにおそいかかって来るとは限らない。いや、そんなことは起きないだろう。いつかは、独りぼっちの生活がやってくるのだ。
●万葉の歌人、山上憶良の歌。

 妹が見しあふちの花は散りぬべしわが泣く涙いまだ干なくに

●妻の死を悼む万葉の歌人の真情がよくでている。
 わたしなどは文学への妄執があるからなかなか死ねないだろう。でも、庭が廃園となるのをただ茫然と見ていることができるだろう。雨音を聴きながら、胸に去来する悲しいイメージをどうすることもできなかった。雨はこのまま朝まで降りつづきそうだ。


鬱/文学仲間を想う

2007-07-09 20:27:09 | Weblog
7月9日 月曜日 朝、うす曇もり
●ここのところ、鬱だ。あまり外に出ていないからだ。雨の日は好きだ。若いときは、天候に左右される仕事をしていたので、恋人であったカミサンとデートするときは、何時も雨の日だった。だから、おれは雨男。なんていっていた。さすがに、最近では雨が降ると外にでるのがめんどうくさい。しぜんと、運動不足になる。それで、鬱になる。
 ●もう一つは、どうやら文学的なカルデサック(袋小路)に迷い込んでしまったらしい。具体的に悩みをうちあけていると、ながくなる。この年になって、いやこの年になっても思うような作品が書けないからこそ悩みがふかいのだ。昔であつたら、まわりに大勢文学仲間がいた。「おまえさんの小説の筋には蓋然性(プロバビリティ)が欠落している」なんてよく言われたな。今は亡き青木君によく苛められたが、懐かしいな。
●議論百出のかまびすいし 同人誌の会合が懐かしい。今は、田舎住まい。一人で悩んでいる。やはり、鬱だ。もういちど、高円寺の双葉寿司で仲間と一杯やった昔にもどりたい。


安楽椅子

2007-07-08 23:16:44 | Weblog
7月8日 日曜日 うす曇り
●バラも、安曇野バラとイエローシンプリティが咲いているだけだ。いまは梅雨時、まさにアジサイの花盛り。雨がふるたびに、ますます鮮やかな色になっていく花だ。ぼんやりと窓から庭を眺めて過ごした。なにもしないでrockingchairを軽く揺すりながら庭を眺めている。贅沢だな。でも、モッタイナイとは思わない。書かなければならない仕事はたくさんある。本も買いに行きたい。国立近代美術館でブレッソンの写真展が開催されていると新日曜美術館で報じていた。ブレッソンの名前はシナリオ研究所に通っているころ知った。写真展は観たことがない。50年近く前の話だ。
●駅の構内に向って走ってくる少年がいる。若者がいる。学校に、勤務先に遅れまいとしている。発車時間までに間に合うのだろうか。わたしの乗っている浅草行きは静かにプラットホームを離れた。かれらの乗ろうとしていた電車はどこ行きだったのたろうか。
●車窓のむこうに女子学生が見える。電車の到着するのを待っている。手鏡をだして前髪をいじっている。かなり気になるらしい。ういういしくてかわいらしい。
●男の子たちには必死で、めざす電車に乗り込もうという気迫があつた。女の子には美しくなりたいという願いがあった。男の子は、どこに向ってこれから走りつづけるのだろうか。女の子はどんな彼との出会いが待っているのか。せいぜいおめかししてきれいになってください。
●わたしはうとうとしながら、昨日上京するときに見た風景や人々のことを思っていた。わたしたちも、50数年前には若かった。希望に向って全力で疾走していた。その結果が今出ている。
●これでよかったのだろうか。わからない。椅子がぎしぎし揺れている。



ひげをそる

2007-07-07 00:20:13 | Weblog
7月7日 土曜日
●深夜、男ありて、日本剃刀でひげを剃っている。このように始めるとホラー小説のようだ。上京してひとと会う。三週間ぶりでひげを剃っている。じっさいのわたしは、電気かみそりを使っている。ジィジィジィジィという音には恐怖感はない。石鹸をつけて、顔を真っ白ににして、ぞりぞりとやると怖い。刃物の感触が怖い。GGGという音では、わたしがジジィと呼ばれているようで滑稽だ。この後は帰宅してからにします。
●浅草では浴衣を着た若い女の子がめだった。そこで遅ればせながら、七夕なのだと気づいた。田舎住まいが長い。長すぎるくらいだ。たまに、都会にでるとその変化の加速にめまいを覚える。どこにむかって、息せき切ってこのメトロポリスはrunawayって感じだ。田中康夫が宣伝カーのなかで声をからしていた。
●わたしは数時間前飯田橋のとあるビルのまえに佇んでいた。50年も前に別れたままになっている友だちだ。すばらしい近代的なビル。出版社を立ち上げて大成功していた。ここにくるまでには、人知れぬ苦労もあったろう。おめでとうとビルに向って握手の手をのばした。いつか、日を改めてたずねてこよう。今日では出来過ぎている。牽牛と織女の出会う宵だ。こちらはむさくるしいGGだ。むくつけ男だ。しばらくぶりでの出会いにはふさわしくない。
●2007,7,7。7が三個羅列。面白いと思った。50年後のこの年のこの日。7が三つ重なる日に生きていたら再会しょう。なにかSFかファンタジー小説で使えそうだな。時間怪談も書けるかもしれない。わたしは銀座線浅草駅で降りた。改札をでて右側の一杯飲み屋に入った。餃子と焼きそばのセット。生ビールの中ジョッキ。しめて1010 えん。酔えた。
●ここで今朝のひげそりの場面を思い出した。シャボンを顔一杯につけた男。日本剃刀で豪快にぞりぞりと剃っていくといつもとちがった顔が現われてくる。お前は、だれなんだ。

江戸風鈴 part2

2007-07-06 22:35:27 | Weblog
●風鈴を吊るしています。花の絵が描いてあります。ガラス製のみるからに涼しそうな江戸風鈴です。蒸し暑い午後です。カミサンが軒先で背伸びをしています。打ちつけてある釘に風鈴の紐をむすびつけています。毎年いまごろ、蒸し暑い午後に自然ととりおこなわれます。年中行事みたいなものです。それにしても体内時計があって、何時も同じ時季なのが不思議です。秋には、くろがねの風鈴に取り換えます。カミサンの季節の移ろいとともに変えていく生活感覚がたえずわたしを和ませてくれます。
●そのうち、夏茣蓙が敷かれます。孫たちはもうじき夏休み。わが家がいちばん賑わう季節がやってきます。
●GGはそれを待ちながら小説を書いています。前にも書きましたが「八十歳のアダムとイヴ」というタイトルです。苦労しています。

江戸風鈴

2007-07-06 11:43:01 | Weblog
7月6日 金曜日 朝から晴れ うれしいな
●早起きした。青空が広がっている。もうそれだけで、幸せなきもちになる。階下の書斎でプログを開いてみた。訪問者数はここのところ安定している。どうしてこうも人気にこだわるのか。それは、かりにもわたしが物書きとしての自覚があるからだろう。いくら気をいれて書いても、ひとりよがりのものではだめなのだ。自分を曝けだした自虐的な小説はいまどきお呼びではない。かといって、今風の都会の風俗をさらりと書けといわれても困ってしまう。文体がついていけないのだ。いろいろな悩みをかかえこんでいる。でも文体に関するかぎり、ブログを書きながら暗中模索をつづけている。みなさんのブログを読む。GGは田舎町で安眠をむさぼりすぎた。ずいぶんと文章も変わってきたのがよくわかる。GGのこんな調子の文章でいいのだろうか?
●だからブログなのだ。訪問者数にこだわるのだ。訪問者数、先ずは三桁を目指して朝からブログに励んでいる。ブログが、パソコンが先生だ。この窓が世界につながっている。うれしいじゃありませんか。暗い密室のような書斎に虹がでている。このブログがみなさんに関心をもっていただいている。すごい励ましになる。これでいい小説がスムースに書けたらいうことなしだ。そうですよね。
●WORDに書いてからブログに張り付けることを覚えたので気楽にブログを打ち出せるようになった。ブラッキーが朝の散歩から帰って玄関を開けるようにせがんでいる。猫は執拗だ。粘り強い。なきだしたら、ぜったいに途中で止めない。あけてやるまではなきやまない。上書き保存してこのつづきは夜かきます。


白い桜

2007-07-05 22:25:25 | Weblog
7月5日 木曜日 晴れたぞ
●梅雨は中休みらしい。朝起きて青空を見る。カミサンは遅くまで起きていた。二時就眠だったろう。すぐに寝られたとしても。そっと、寝かせておいてあげよう。ひそやかに部屋を歩いて。
●朝の大気を吸い込もうと外にでる。カミサンの庭を眺める。よくもこう美しい庭をつくったものだ。一日でしぼんでしまうという夏椿の白い花弁のはかなさを楽しむ。カミサンは白い花、可憐な花がこのみだ。野バラの小さな花々の咲き乱れているさまは、まさにカミサンのイメージする庭園にふさわしい。
●そういえば、カミサンがブログに写真を添えるのをマスターした。5月31日付のわたしのブログにリルケのバラの写真を超大型で載せた。まだ縮小することは学んでいないので、お許しのほど。それにしても、このバラの名前は、なんというのでしょうね。すごくいい香りがします。香りはお届けできないのがざんねんです。ミツバチがここかしこの花々でかすかな羽音をたてています。クモの巣に朝露が光っています。空では小鳥が鳴いています。おや、ブラッキーが朝の散歩からお帰りです。わたしの足もとに頭をこすりつけています。なんだかすごく幸せな感じだ。
●桜の花模様に切った紙で補修がなされていた。白い和紙を張っただけの枕屏風。東北の民家の雪見障子からつくったものだ。上下にスライドさせる部分をなんというのだろうか。呼び名があるわけだ。その高さ三尺ほどの二枚の障子を蝶つがいであわせたものだ。仙台にいるカミサンの弟が「廃物利用で悪いんたけど」といつてもってきてくれたものだ。
●私はおおいにきにいっている。桟の煤竹のような色合い。和紙が光を通して淡く光っている。和紙も手すき。光を淡く漉す。その微妙なかげんがなんともいえず和の趣味を満足させてくれる。障子を張る時は、すこし贅沢をする。つなぎ目のある手すきの和紙をえらぶ。光を通す柔らかみがなんともいえず、ここちよいのだ。
●田舎住まいをするとひとは、和の生活に無意識のうちにあこがれているのだと思う。梅雨時には、漆喰壁が湿気を吸ってくれる。新建材だと露結ができる。畳や唐紙や障子もそれなりに水分を吸収して、湿度の高さからくる憂鬱な気分をやわらげてくれる。やはり田舎では日本家屋にすむのがいいな、と自画自賛。
●カミサンがブラッキーのわるさをしたあとに切り張りした白い桜が部屋の中で咲いています。

雨後の筍

2007-07-04 22:37:52 | Weblog
7月4日 水曜日
●PCを笈のごとく背負って街にでる。
巷は雨。今日はパソコン教室までカミサンと街を歩ける日。お互いに同じ空間―家で生活しているのに忙しすぎて散歩を楽しむことができない。家の中ですれちがっても挨拶をかわすことができないほど忙しい。カミサンがである。小さな体で階段をとんとんと駆け登る。二階の庇の下に洗濯物を干す。二階の植木鉢に水をやる。二階を掃除する。「しょうがない。しょうがない」とは、どこかの大臣ではないから、いわない。「平屋のほうがよかったのに」と、弱音を吐くようなカミサンではない。
●さて、街は小糠雨。わかい時なら「春雨じゃ、濡れていこう」というくらいの雨だ。わたしは、カミサンのお供をして街をいい気分で歩いていた。「たっぱがちがうべや」と街の建築現場の作業員がかけ声をかけてくれる。わたしは手を挙げて挨拶する。カミサンは小柄だ。わたしは大きい。背がずいぶん違いますね。でも、仲良さそうですよ。そう冷やかされたとわたしは解釈する。そう解釈すれば、楽しい。
●相合傘で歩いてみようかな。
●雨後の筍。いつの頃であったか、床の間に下から筍が伸びてきた。そのままにしておいた。床の間に花を生ける手間が省けるじゃないか。筍は竹に成長した。天井までとどいた。木の枝を剪定するのは嫌い。植物はすべて伸びるに任せる。ものをすてるのはいや。もったいない。床の間の竹を観ながら、風流ここに極まれり。と嘯いていたのもわかかつたからだ。今では、逆転。剪定鋏の音は毎日庭で鳴り響いている。新聞は一週間で出されてしまう。そのうち、わたしも粗大ゴミとして処理されないようにしなければ。雨後の筍の成長を眺めながら、日増しに年ごとに強くなっていくカミサンをじっとみつめたものだ。