ここ数年のイーストウッドの充実ぶりは言うまでもあるまい。
「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」「チェンジリング」
そして、「多民族国家」の意味が変質しつつあるアメリカ自身を描き、ぶっ飛ばされた超魔球「グラントリノ」
(2009-05-03グラン・トリノ Gran Torino 「名作」と呼ぶにふさわしい傑作」)
駄目押しは、昨年のベスト10にも入れた「インビクタス」
(2010-01-28 インビクタス Invictus 開始5分で既に号泣(笑) これまた強烈な1発にノックアウト!)
そして次がこのヒアアフター。
ところが公開時に観た直後に、311(汗)
直ちに公開が中止されたことが記憶に残っている。
ショッキングなオープニングに続き、「生」と「死」をメインテーマに物語が多重に深まっていく。
また観たいと十二分に思わされる内容だったが、311でその気持ちは吹き飛んだ!
ショッキングなオープニング = 巨大TSUNAMI に飲み込まれる東南アジアのリゾート地、 だったからだ!
時が立ち、先日の深夜、なんとなくスイッチを入れたテレビで偶然に。
兄を亡くした帽子を被った少年のエピソードが登場、この映画だと即座に理解。
映画も中盤だったので、安心してそのまま視聴。
多分最初だったら「拒否」してただろう...「死別」に苦しむ登場人物たちに、クリント・イーストウッドの「眼差し」が降り注がれ続けることを感じる。
(って凄いことだよね)
泣けて泣けて仕方ない...
物語の進行でもふれられるが、「死後の世界」をあからさまに語ることは、そのコンテンツが直ちに「キワモノ」扱いされかねない「タブー」。
この映画はそれと正面から向き合っており、正に「キワモノ」扱いになりかねない内容。
なのだけれど微妙にコントロールされることで、その扱いから逃れることが出来ている。
この映画の監督が、彼以外ではありえなかったことを理解した。
これも名匠イーストウッドが達した「境地」のひとつなのだ、を改めて実感した午前4時(笑)