長年の間、夢見ていた背炙り古道の全ルートの概要が見えてきました。これまで、村山市内の友人と調査したものと、国土地理院が明治36年に発行した地図を合わせたものが、次の図面です。まだ、確認していないところが、畑沢地域に多くありますので、これから畑沢の人たちとともに調査することになります。なるべく多くの人の参加をお願いします。
古道は、現在の車道とは全く別のルートになっており、交差する場所も2か所だけです。古道は、牛馬が通れるある程度の幅を持っていますが、重機がなかった昔ですので、傾斜が緩やかな所が選ばれています。古道ができた経緯は、例えば縄文期の狩猟やその後の山での作業道が、自然に街道に発展したのか、または軍事上の目的や鉱物資源などの運搬用に意図的に造成されたものであるかは分かりません。ただ街道を積極的に手入れしていたと思われるところが、あちこちに見られます。尾根を深く断ち切った切通し、急斜面を安全にトラバースする平坦な路面、路面の浸食を防ぐために街道の外へ排水する溝などです。少なくとも確認できたルートでは、明確に「街道」と分かるほどに「跡」が分かります。
峠付近と畑沢側の途中までは、きれいに下刈りがなされており、恐らく「往時のまま」と言ってもよいでしょう。しかし、残念なことに、村山市側の大部分は、峠からしばらくすると、杉の造林地や広葉樹が街道を塞いで、通ることは甚だ困難です。これだけの歴史的遺産には、まだまだ発見される宝が埋まっていそうな感じです。村山市歴史研究会による保存活動の動きがありますので、尾花沢市側も同調してほしいところです。