平成25年5月25日撮影(背炙り古道からの畑沢遠望)
背炙り峠を訪ねた5月12日の結果は先に報告しましたが、その帰路での報告をしておりませんでした。実は背炙り峠を降りてから、私ともう一人で上畑沢の古瀬K氏の家を訪ねました。同氏は、元々、私達とともに背炙り峠に一緒に行く予定でしたが、自動車の通行ができなかったので、自宅で私たちの帰りを待って下さいました。どうしても、畑沢の言い伝えなどをお聞きしたかったので、帰りに寄らせていただくことをお願いしていました。
古瀬氏のお宅に着いたのは、既に日が落ちかかった夕方でした。私たちが着くころは、もう外で待っていてくださいました。いつもながらの誠実なお人柄には敬服します。お話は、多分、語り尽くせないほどに沢山お持ちかと思い、できるだけ多くの言い伝えなどを聞かせてもらいたくて、ついつい気持ちばかりが焦り、的を射た質問になっていなかったようです。当然、お話の内容は多岐に渡り、焦点が絞れないままに終わりました。しかし、その中の一部には、次のようなお話もありました。
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古瀬氏のお宅には、かつて元和4年(西暦1618年)の資料が残っていたそうです。今から約400年も前で、江戸時代の始まりになります。つまり古瀬氏の先祖は、その時よりも前から畑沢に住んでおられたということです。畑沢における江戸時代が身近に感じられます。
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「古瀬の姓を名乗る一族は、平家の落人だった」と言い伝えられてきたそうです。ほかに、有路、大戸、豊島、菅藤、菅戸などの姓がありますが、畑沢にある複数の姓の中では、「古瀬」が一番古い一族のようです。上記1でも分かるように、江戸時代が始まった時には、すでに畑沢に住んでいたわけですから、「かなり前」であったことは確かです。ちなみに江戸時代の初期には、畑沢はまだ延沢家によって治められていましたので、古瀬一族は、延沢家の家が農民となったものでもありません。
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全国の古瀬の姓は、全て畑沢に由来するらしいとのことでした。
背炙り峠のことについても、お尋ねしました。畑沢と村山市の袖崎地区にも「峠に寺があった」という話が伝わっていましたので、古瀬氏が御存知のところを次のように教えていただきました。
以下は古瀬氏のお話
「寺を建てるために、土台石を村山市内の方から運んだという言い伝えがある。土台石は確認されていない。「寺屋敷」と言われているのが、どこなのかは分かっていない。寺を建てようとしていた僧は、中沢に庵を建てて住んでいたと言われている」
以上のように、寺が峠にあったという言い伝えとはかなり異なる内容でした。畑沢で私が聞いてきた話は、全て「峠に寺があった」という内容です。この二つの話を比べると、古瀬氏の話の方がより具体的な感じがします。古瀬氏の話を確認するには、やはり土台石を確認することになります。
ところで、峠の寺に関するインターネットのホームページを発見しました。それによりますと、寺屋敷と言われていた所があるとのことです。そのページは「背あぶり峠」「寺屋敷」の二つのキーワードで検索できますので、御覧ください。大変に参考になることが掲載されていますし、写真もうまく撮られています。